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このままでは、終わらせない

2025-05-01 14:29:00 | 日記

息子の6ヶ月検診で
小児科の医師から
体重の増加がないことを指摘された


生まれた時は
3114グラム


特に小さいと言うわけでもなかったが
発育が少し遅いという


このまま成長が遅れると
成長ホルモン剤の投与を
考える必要があり
隣県の医大で受けねばならないことや
保険適用外で、自費診療になる説明を受け



1ヶ月後に体重増加が見られなければ
検討することになってしまった



母乳といえば
勢いと量の多さに
飲み追いつけず
むせぶほど出るというのに


母乳に栄養が足りないのか
離乳食の回数を増やしたらいいかと
悩みながら
とにかくやれることは
何でもやってみた



1ヶ月後
一応増加したので
やれ一安心か


とはいかない



生後2か月くらいから
アトピー性皮膚炎の症状が
身体中のあちこちに現れ
小児科以外にも
皮膚科アレルギー科

県内で
評判のいい病院があると聞けば 
どこでも行った


処方される薬は
大体同じ


少しは気休め程度に
薬が効いたりするも
すぐに効き目はなくなり
更に酷くなる


痒がり
むずがる息子から
片時も目が離せない


民間療法も
色々やった


自宅には
アルカリ整水器を取り付け
飲料用はアルカリ水を
肌には酸性水を患部にひたす

痒がって眠りが浅いので
寝具は備長炭入りの布団に


湯船にニンニクを入れると良いと聞けば
値段の高いニンニクを買いまくった



それらは全く
効果は見られなかった



それどころか
ますます悪くなるばかりだ



アレルギー検査では

覚えているだけでも
ダニ
ハウスダストはもちろん
牛乳ー牛肉
卵ー鶏肉
カニ海老など甲殻類
果物では
いちごにスイカ
なんと、米に小麦もまでだ


まだまだあったと思う



今現在
息子は好き嫌いもなく
お肌といえば
剥きたての茹で卵のようなほど
ニキビひとつ出来ない羨ましい肌をもち

乳幼児の頃の
アトピーに苦しんだ記憶は
全くないらしい



とにかく当時は
乳幼児の息子の
アトピー性皮膚炎を完治させたい一心で
あらゆる治療法を試せば
お金もかかるばかりで
母も随分協力をしてくれた



養殖の魚は、その魚が食べているエサに
アレルゲンがあり
父は魚を釣るたびに、大量に私に分けてくれた



家族中で緊張し
ハラハラし
息子の将来を案じるくらい
アトピーの症状は酷いのだ



保育園へ行く頃には
県内の市立病院の
アトピーを専門にしている医師を
紹介してもらえた


藁にも縋る思いでいる私に
診察をした医師から
四国に専門の医師がおられ
そちらの名医にかかるようにと勧められた



入院も余儀なくされるという




離婚をし
稼ぎも少ないのに



四国へ行って
名医にかかると
治るかとか


もう信じられなくなった



毎日孫の顔を見て
元気を出そうと
病と闘う母を
どんなに淋しがらせるだろうか


いいと聞く療法は
何でも試したし
息子のアレルゲンの食材は
私も食べず
アトピー用のおやつ
料理は薄味
肌着も全てアトピー肌用



週に何度も通院するのにも
お金がかかる


悪い事に
離婚したては
直ぐに保険証をもらえなかったため
病院代は全て自費診療




市役所に相談へ行けば
自費診療代は
保険証がもらえたら
後請求できるから
しばらくは自費で仕方ない

収入が少なければ
当時の民間アパートから
市営アパートへ移り
保険証が発行されるまで
両親からの援助でも受ければ




窓口で
ちいさな息子の目の前で
悔しくて、泣いてしまった



「引っ越すお金なんてない
病院代も高くて、保険証も時間かかるって....」

泣きながら
ゴニョゴニョ言って


市役所を後にした



この時のことは
息子は覚えているらしい



幼いながら
衝撃を受けたのだろう



そして
ついに
頭の中で
張り詰めた糸がプチンと
切れた




もう
病院も行かない
援助もいらない


意固地になり


ヤケクソな気持ちになった



これが私の悪いところだった




世間知らずな私の
自分勝手で意地っ張りな性分が




お金に困る道に
進み始めた原因を作った



当時は
これでいいって


自分に信じ込ませた