平成4年3月、明治生まれの祖母が他界した。あれから30年を越える。
「明治生まれの女は、今の人とは違うんだから」が口癖だった。
明治時代、士族の家に生まれ、女学校へ通い、銀行に勤めた経験が祖母のプライドだったのだろう。
日本が、高齢社会に進み始めた昭和50年代。
高齢者の福祉対策に区役所が敬老の日のお祝い会を開催した。
招待された祖母は、「お婆さん」と自分の事を呼んだ職員に
「私は、あなたのお婆さんではありません。〇〇さんと呼びなさい。」と答えて、
その場の雰囲気を台無しにした。
現在、〇〇さんと呼ぶのが常識である。
平成4年3月その日まで、祖母は一人暮らしをしていた。
食事の用意をして、好きな野球チームの新聞記事を読む。
炬燵に入りテレビを見ながら転寝をしていると思えた。
何時呼吸を止めたのか、、、わからない。
その時を静かに、これが私と眠っている様だった。
人は必ず死を迎える。
祖母は、望んだとおりの最期を迎えたのだろうか。
もし、
今、生きていたら、、、、。
ACPの話をしたら、、、。
意思決定支援の説明をしたら、、。
祖母は、どんな思いを話してくれただろうか。
話しておきたかった事。やりたかった事。
今でも、聞きたいと思う。
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