配達してきました!
今日は 道路工事が多くて 非常に疲れました。
なんじゃ~ この渋滞は~!!!
おばあちゃんと私 ・・・ ちょっと 思い出して書いてみようかな
かすかな記憶・・・
私の家には 母のおかあさん、 つまり おばあちゃんが 一緒に暮らしていた。
たぶん、私が生まれた時には いなかったと思う。
たしか、おばあちゃんは 足をひきずって 歩いていた・・・
そして いつからか 杖を? いや 松葉杖を ついて 歩いていた。
家の中は 何かにつかまって 歩いていたと思う。
小さい頃の 私の おばあちゃんの記憶は この 歩く姿だった。
7段飾りの お雛様! その前で 1枚だけ 写真の中で 笑っている私がいる。
その お雛様が ずっと 家にあったのかは 覚えていないけど
お雛様の前で おばあちゃんが転んで ひな壇が めちゃめちゃに 壊れたのは 覚えている。
それ以来 お雛様は 飾った記憶がないので 私は お嫁に行かれないと 思っていた。
おばあちゃんには 6人の子どもがいる。
母から見て 兄・姉・弟・妹二人。
おばあちゃんは どうも この兄弟の家を 転々としていたのでは?
足が不自由になって 他の家は 玄関が 階段だったり 坂道が多かったり・・・
そして 最後は 母の所に 落ち着いたのかもしれない。
これは 確かめたわけではないので 大人の話を かじっただけ 想像にすぎない。
お正月になると 親戚が みんな うちに集まるようになった。
あの頃は とても賑やかだった。
いとこの Nちゃんは いつも 噛み付いたりおもちゃを壊したりして
末っ子の私を 悩ませる子だった。
毎年 お正月になるのが 怖かった。
後で知ったのだが、Nちゃんは 私のことを 好いていてくれたようだ。
おっと、おばあちゃん・・・。
みんなが 遊びに来ても おばちゃんは 部屋の中から 出てくることはあまりなかった。
みんなが 交代で おばあちゃんと 話をしに 部屋に出たり入ったりした。
それが 普通のこと おばあちゃんは あの部屋にいるもんだと 思っていた。
私の兄姉は 歳が離れていたので あの頃は ほとんど 家にいなかった。
母も 仕事をしていて 昼間はおばあちゃん一人だった。 と 思う。
私が 学校から帰ると おばあちゃんと 折り紙をよくした。
あの頃 どんな話をしていたんだろう?
おばあちゃんの 部屋にいた記憶はあるんだけど・・・。
外に遊びに行く時は 「おばあちゃん行ってくるよ!」 なんて 出かけたのかな?
私が 小学校高学年になると あまり おばあちゃんと遊ばなくなった・・・?
それまでは ハイハイをすれば 家の中を移動できた おばあちゃんも
まったく 部屋から 出てこられなくなった。
一度 トイレから 部屋に戻れなくなって 大変なことがあった。
おばあちゃんは 痩せていたけど 重かったらしい。
動けないから 全体重が母の手・体にかかった。
私も手伝ったような気がする。
本当に 重たかった ような・・・。
子どもの作文みたいですね。
今日は ここまで そろそろ おねむの時間となりました