成瀬仁蔵と高村光太郎

光太郎、チェレミシノフ、三井高修、広岡浅子

広岡浅子と日本基督教女子青年会YWCA、そして津田梅子 明治45年夏期修養会

2015年07月07日 | 歴史・文化
 浅子は、横須賀で開催された夏期修養会において、行事の初日に講演を行い、2日目の求道者懇話会では経験談を話し、28日、29日には浅子の師である宮川経輝の講演、30日には同じく山室軍平の講話が行われている。
 日本基督教女子青年会の第七回夏期修養会は、明治45年7月23日夕(火)ー31日午前(水)、神奈川県横須賀大津村の勝男館(かつをかん)を借り切って行われている。
 修養会の予告記事によると、勝男館は海辺に近い同地第一の旅館であり、昨年の開催会場の東屋(鵠沼の東屋旅館)より広大であると記されている。参加者は、横須賀停車場から徒歩、人力車(35銭)、馬車(8銭)などで行ったようである。
 修養会は盛会であったようで、来会者は総数で228名に及び、勝男館は狭隘となり、近傍の寺と百姓家に分宿することになったという。
 小橋三四子による修養会の報告記事によると、明治天皇の御大患を憂え今会期は親睦会、遠足などを遠慮したが、結局、会期中の30日未明、崩御され、朝講演予定の山室軍平の司会の下に奉悼の祈りが行われ、山室の講話「摂理」が行われたという。翌朝解散の予定も直ちに解散となり、会期は一日早く終わったようである。
 浅子の講演「基督の教訓と婦人問題」は、行事初日の24日、朝天祈祷会、聖書の組の後、10時から1時間、行われた。浅子の実績、多額の寄付、話題性などから講演は修養会の目玉であったのではないだろうか。
 2日目の25日には、求道者懇話会が行われ、浅子が経験談を話し、茶菓の饗応の間に懇談して益々基教の精神を知るの便を与えらると記されている。
 修養会の来会者として、支那人6名、朝鮮人1名があり、3日目の26日、青年会協議では、支那人の陳、李両女史と朝鮮人の金澤とし子姉の談話があった。金澤とし子は、故国朝鮮で日本人教師の下に小学校を終え、父母に乞い、師に計りて、日本に留学、爾来日本女子大学附属にありて業に就いているという。
 浅子の師である宮川経輝は、「霊的修養」という講演を28日、29日の2回にわたって行い、同じく山室軍平は、「摂理」という講話を30
日に行っている。
なお、夏期修養会の会計報告には、寄付金の一覧があり、浅子は金45円を寄付している。ついで外国人幹事のミス・マクドナルドと日本人の総幹事の河井道子がそれぞれ8円を寄付している。井深花子は5円、津田梅子は2円を寄付しており、浅子の寄付金が図抜けて大きいことがわかる。
 一方、浅子に宮川経輝牧師を紹介した成瀬仁蔵は、渋沢栄一、姉崎正治らとともに思想団体・帰一協会を設立し、明治45年7月10日、帰一協会第一回例会が上野精養軒において開催されている。出席者は13人である。
 このようにみてくると、浅子と仁蔵の考え方や方向性は、受洗や帰一協会などとの関係もあり、かなり異なって来ているといえるだろう。
 



















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