成瀬仁蔵と高村光太郎

光太郎、チェレミシノフ、三井高修、広岡浅子

井上秀と米国留学土産の青い目の人形 明治43年

2016年04月11日 | 歴史・文化
昭和2年、「世界の平和は児童から」という目的で、米国から約12000体のいわゆる「青い目の人形」が贈られた。
 当時、井上秀は日本女子大学校教授の職にあったが、実は明治41年、米国に留学し、2年後、帰国の際に米国の青い目の人形を持ち帰っている。
 井上秀の長女・管支那(当時十一歳、のちに日本女子大学教授)は、後年、述懐している。
 「この遊学の土産として母が持ち帰ったものは、今も私の脳裏にはっきりと刻まれているアメリカの人形である、、、その頃、明け閉じの出来る青い目の人形は、特に地方に住む子供には物珍しかったに違いない。夏服、冬服は固より、平常着、晴れ着から下着類や外套に至るまで、彼女の友人たちが手縫いで作って下さったものだという。人形という手段を通して、子供に洋服の着替えを学ばせるためである。数年前、田舎の実家(兵庫県)に帰った時、座敷の違棚の下にある戸棚でそれを見たが、今は如何なっていることだろうか」
  当時、明治政府は学校教育において、良妻賢母主義教育を推し進め、人形はその格好の教具として当時の国定教科書に頻出していた。
  井上が米国の最新の人形を持ち帰ったのは、おそらくこのような人形による良妻賢母主義教育を熟知していたからにちがいない。また娘の支那も明治の国定教科書でこのような教育を受けてきたにちがいない。

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