人は「正しい事とは何か?」と考え「正しい事」「本当の事」のみを求め、追求しながら生きるものです。では本来、正しい事・本当の事とはどんなものなのでしょう? 私自身はすべての偽物が消えて 最後に残ったものだけが本物と考えています。
これは『世にある ありとあらゆる事を経験し、嘘を見抜けるようにならねば、本当の正しさなんてわかるはずもない』という意味にもとれますが・・もちろん人生は短いですし 時間も限られてますから、全部を経験して検証するなんて不可能なのは言うまでもありません。
よって「正しい事を求める姿勢」をやめて「何が間違いか?を検証する姿勢」へと、人生そのものを大きく転換してゆくことが重要ではないでしょうか。哲学的な人生とは、ソクラテスやプラトンが唱えたとおり【世にある前提をすべて疑い、議論の対象にすること】からしか始まらないのですが、これは 常識や経済・国のあり方・歴史に至るまで、何もかもを その成り立ちや原点ごと疑う行為とも言えます。
では、そもそも哲学が指し示す間違いとはなにか? これは矛盾のあるもの全てです。「矛盾があるものは嘘である可能性がきわめて高い」この思考さえ身につけば たいていの嘘は見破れるもの。この基本さえはずさなければ、世にある あらゆる事象を経験しなくても ほとんどの見当はつけられるようにも感じます。
哲学とは【正しそうなものが見つかったら そこへのみ傾注する】ような 世のマーケットとは一線を画すものですが、それは基本姿勢そのものが「正しいものは永遠に見つからない」というところにあるからかもしれません。つまり、その時点で正しいと感じたものは一経過にすぎない! と言う事。哲学とは終わりなきものであるがゆえに、そこには進化・変化しかないわけです。
おそらく こういった姿勢こそが 経営者や研究者には求められるはずなんですが、そのあたりが、世の常識とは 最も大きく異なる点かもしれませんね。正しいと思われる事に生きるか? 偽物を消してゆく事を楽しいと感じながら生きるか? これは大きな問題に思われます。