今回のお話は、先月の出来事です、
この日は、前職でお世話になったスタッフの訃報に宇都宮に行った時のことです。
余談、娘が作ったご飯(^u^)/
野菜炒めとサラダと五穀米のご飯(^O^)
慌てて撮ったので、セッティングする間もなく…言い訳(笑)
急な来客(私の為)に手作りしてくれましたぁ~(^。^)y-.。o○
美味しかったです。ありがとう!
まぁ、手前味噌なお話はこの辺でおしまいにして (--〆)
私の私的感覚ですが、宇都宮の人って人情が厚いと思うのです。
と言うか、前職場での宇都宮のスタッフ達は皆、温かい人ばかりだった(T_T)/~~~
その逆で、私の偏見や思い込みがあると思いますが、ある方角の土地の人達とは、何故か後味の悪いことばかり続く…方角的に良くないのかな?
最後は、その人となりが見えてきて不条理な人柄、疎遠になる事態が起きる。
ものごとの全ては自分の心の中にあるといいますが、これも「未熟な自分がいるよ!」と教えてくれているのでしょうね…(深)
そんなことで土地柄人柄を比較してしまうのですが、
宇都宮の方達は、とても明るく元気で気取らず、裏表が無く思いやりがあって本当にいい人ばかり(^^)/
私が栃木県民と言う要素も大きいですが、
いい人ってどうして先に逝ってしまうのか…今回のことで改めて思いました。
「憎まれっ子世にはばかる!」ってことわざがありますが、一理あるのかな?と思います。
あるサイトから、憎まれっ子世にはばかる
訃報を聞いて、「ああ、こいつやっと死んだか」というような訃報はないものである。
死んで欲しくない人、別にさほどの害を与えているとも思えない人に限って死んでしまう。
佳人薄命というが、いい人は早くに亡くなり、みんなから嫌われる人ほど堂々と生きている。
そう考えると、憎まれっ子には生命力がある。
言いたいことを言ってやりたいことをやって、自己中心=憎まれっ子が長生きするのはストレスがないからかな?
ストレスがたまると早死にするというのは医学的にも根拠があること。
その逆に、相手の気持ちになってものを考え、行動出来る人が、どれだけ世の中にいるんだろう?
万人から好かれる慈悲に満ちたような理想的な人は…
究極のコミュニケーションとは、一切相手を批判しない、期待しない。
相手のすべてを受容できる人と言います。
今生の私は足元にも及ばない…
故人に届くように。本当に今までありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます