goo blog サービス終了のお知らせ 

chaiのボチボチいきまひょ

ちょいとここでホッとしていきませんか?
ホンのちょっとした日常の話で和みましょ(^-^)

どうしても書きたかったこと(2)~もう一つの全米オープンテニス

2014-09-21 | 忘れてはいけないこと
9月は全米オープンテニスで
錦織圭選手が準優勝で
日本国内では盛り上がりましたが

もう一つのドラマがあったことを
どれだけの方達がわかっているだろうか。

『テニスの全米オープン車いすの部は
7日、ニューヨークでシングルス決勝が行われ、男子の国枝慎吾(ユニクロ)と
女子の上地結衣(エイベックス)がアベック優勝し、ともに単複2冠に輝いた』
<国枝選手、上地選手が単複2冠全米車いすテニスの記事←クリックして下さいね>


男子シングルス、ダブルスで優勝した
国枝慎吾選手


女子シングルス、ダブルスで優勝した
上地結衣選手

と、記事が出ていた。

国枝選手はシングルスでは2011年から5度目の優勝!

日本人がしかも男女でそれぞれで優勝し、しかも5回も優勝した選手がいたなんてこれってめっちゃ快挙なのに…

取り上げたTV局はわずかだった。

え~っw(゜△゜)w 

これは『優勝』したのよ!

それなのに…

それなのに…(´-ω-`)

日本てホントに冷たい国なんだね。

もっと取り上げてあげてもいいはずなのに…

ひどいなぁ…

相方でさえ、呟いていた

「不公平だよなぁ」

ホントにそうだよ(-_-#)


どうしてキチンと評価してあげないんだろう…マスコミって(-_-#)

いつもそうだよね
視聴率ばかり考えて…


では…

国枝選手、上地選手
優勝おめでとうございましたぁ~!
\(^o^)/


<ご協力下さいm(__)m←クリックして下さい>

<コメントの投稿方法がわからない時は
ココをクリックして読んで下さいね>




どうしても書きたかったこと(1)~広島土砂災害

2014-09-20 | 忘れてはいけないこと
8/20(水)、広島で土砂災害が起きる。
1ヶ月経って行方不明の最後の方が見つかった。

1ヶ月経ってマスコミはチラッと報道しただけで、助かった方々、避難されている方達の情報はほとんど報道されなくなった。

また、避難されている方達の為の情報提供もない。

いつもこんなことが起きる度に思うのは
中途半端に取り上げて、あとは知らん顔しないできちんといろんな情報提供をしてあげればいいのに、と思う。

避難所で生活している方達や助かった方達へのアフターフォローがほとんどされていない気がするのだが。

もっと私達でできることはないのか、そういうことを報道してほしいな。

なんかな、言い方が失礼かもしれないけど、やりっぱなし、て感じにしかとれないのはワタシだけかな(´-ω-`)

ここで亡くなった方達のご冥福をお祈り申し上げます。

そして、助かった方々、今は何も考えられないでしょうが、決してくじけないで下さい。
こうして、微力ながら、応援しています。

<ご協力下さいm(__)m←クリックして下さい>


<コメントの投稿方法がわからない時は
ココをクリックして読んで下さいね>





平和への祈り

2014-08-06 | 忘れてはいけないこと
8/6(水)

広島へ原爆が投下された日。

広島の平和記念公園で式典の模様を
生中継されたのは…
1局だけだった。



その黙祷の時間だけでも
全TV局で生中継してほしかった。



子供の頃…
この日は
全員登校日に決まっていて
黙祷を捧げ、原爆や平和について
語ったものだ。

その当時
まだ、周りには体験者も多く
身近に感じていた。

ホントに平和を望むなら
限定されるとはいえ
武器輸出なんて容認しないよね。

武器をみんなが持たなきゃ
世界が平和になるのに

世界のみんなが笑顔になる日は
もう来ないのかな。。



一国の主のコトバが
全然、ココロを揺さぶらないのは
なぜなんだろうか。。

このコトバを
本気で受け止めてくれているだろうか。



あの日を忘れない~19年経って

2014-01-23 | 忘れてはいけないこと
1.17当日にブログアップできずにいました^^;



数日前から相方が
『もうすぐだな』…てため息をついていた。

1.17…あっというまに19年が経ってしまう。

朝から特集番組がチラホラとあるようで録画予約しました。

<昨年の1.17>

相方の震災の記憶
1
<阪神・淡路大震災手記>
2
<阪神・淡路大震災手記2>
3
<阪神・淡路大震災手記3>
4
<阪神・淡路大震災手記4>
5
<阪神・淡路大震災手記5>
6
<阪神・淡路大震災手記6>





前日から2人とも、あまり眠れずに起きて朝支度後、当時刻に手を合わせました。

相方は何も言いませんが
あの日の事は何年経とうが関係なく
やっぱり心の傷を抱えながら
必死で生きてきたんだと思います。

亡くなった方達のご冥福をお祈り申し上げます。

そして、どうか風化しないように…。














あの日 僕は6~阪神淡路大震災の手記~

2013-01-24 | 忘れてはいけないこと
*この日記は被災した相方が数年前にブログに書いたものです。
相方の了承を得て掲載してます。
(まだ、この時は2人とも出会ってません)


(5の続き)

大地震が起きても 家から出られる状況だったら まず部屋から履いて出られる靴が必要です。


家の中は壊れたもので散乱していて足を怪我すると忽ち非難出来なくなります。

安い靴で良いので寝室に1つ在っても良いかと。


それに サランラップ。水が寸断されて水に困った時 何に困ったかと言うと 食べた後の洗い物


洗う水が無くて結局お皿にラップをしてそれで食事しました ラップを剥がすだけで洗わなくて済みます。


ラジオ
避難所 配給など色んな情報はもはや携帯で確立されていますが 大災害のあの時 連絡が殺到して繋がりませんでした。


落ち着くまではラジオやワンセグなども役に立つかもしれません。


防災グッズ
まとめてリュックに入っているので やはり便利です。


新聞紙
冬など体に巻けば防寒に 燃やせば火元に使えます。


これはと思えるものがあれば 揃えておくと便利ですよ。


最後に
阪神淡路大震災で 亡くなられた方の
ご冥福をお祈りいたします。

(おわり)




ここからはワタシが…

ワタシは数年前に嫁いできたので
震災の事はわかりません。

でも…、住んでみて
相方、義両親から凄まじい状況を
淡々と語られて衝撃がありました。

その後、地元企業で福祉関係の仕事を
携わった時にも
働いている人達は
『震災』を基準にした話し方を
していました。
「建てたばかりの家がね、目の前で
崩れて焼けちゃってなくなったの」
「辛くて辛くて仕方なかったけど、
このままじゃいけない、てみんなに
支えてもらって頑張ってね、また、
家を建てたのよ」

…笑顔で言われた時には
なんて答えたらよいかわかりませんでした。

震災は何年経っても
被災者には年数なんか関係ない。
ずっと深い傷を負って
生きていかないといけない。


心から
被災されて亡くなられた方々
ご冥福をお祈り申し上げます。

おわり