goo blog サービス終了のお知らせ 

chaiのボチボチいきまひょ

ちょいとここでホッとしていきませんか?
ホンのちょっとした日常の話で和みましょ(^-^)

あの日 僕は5~阪神淡路大震災の手記~

2013-01-21 | 忘れてはいけないこと
*この日記は被災した相方が数年前にブログに書いたものです。
相方の了承を得て掲載してます。
(まだ、この時は2人とも出会ってません)


(4の続き)

その後は

各地の被害 悲しいエピソード 等はテレビで知ることとなった。


そう あのテロ集団が地下鉄サリン事件を起こすまで!!


あの集団が起こした事件のせいで 圧倒的に情報量が減った。


テレビが殆ど地下鉄サリン事件を報道し始めたからだった。

正直 テレビの安直さと麻原を恨んだ。

水 食料 住む場所 風呂 情報‥色々なものに困った地震だった。


幸い親戚や友人に亡くなった人はいなかった事は 別の意味で他の人とは違う震災を味わったのかも知れない。


災害に対して何が必要か などはその時の状況によって変わるものだから 一概には言えない。


防災グッズを揃えていても家の下敷きになってしまえば役に立たたなくなってしまう事も‥


しかし 何も準備しないよりは していた方がいいに決まっている。


幾つか役に立つかどうか分からないが 体験から 紹介したい‥


つづく

あの日 僕は4~阪神淡路大震災の手記~

2013-01-20 | 忘れてはいけないこと
*この日記は被災した相方が以前、ブログに書いたものです。
相方の了承を得て掲載してます。
(まだ、この時は2人とも出会ってません)


(3の続き)
危機感と恐怖感で瞬時に
早く戻らないと戻れなくなる!!


そうとっさに判断し
来た道をそのまま 戻った。


家に帰って改めて 家の中がグチャグチャになっているのが分かった。


そう 出掛ける前はまだ薄暗かったのだ。


幸いに家は一部損壊の判断だったが
家の中は 相当の被害だった。


電気は40分で復旧した。
ガスはプロパンでボンベが倒れて
ホースでぶら下がっている状況だった。

水は明くる日まで出ていたが
コップに汲むと 底に砂が溜まった。


結局、本管がダメージを受け
一番復旧するのに時間が掛かり
元に戻るまで自衛隊の給水車に
10日ほど頼らざるを得なかった。


その間、風呂に困った。

その後は災害復興支援に会社が入り
1月27日から5月3日まで
1日も休みなく働いた。


あちこちの被害や災害復興は仕事を通じて見てきたが
自分たちの生活にも必死で
瓦礫や焼け跡など客観的に見ていた。

じっくり見て 感じる隙などなかったからだった。

続く



あの日 僕は3~阪神淡路大震災の手記~

2013-01-19 | 忘れてはいけないこと
*この日記は被災した相方が以前、ブログに書いたものです。
相方の了承を得て掲載してます。
(まだ、この時は2人とも出会ってません)


やがてポートアイランドに繋がる 浜手バイパスに辿り着いた。


その道は一方通行で2車線の道だった しかし 1台の車が 逆走して来た。


「危ないヤツがおるなあ!」
そう思ったが また1台引き返して来るのを見て
事故でも起こして 通行出来ないと判断した。


素早くUターンして税関の方から橋を渡ろうと考えた。


しかし 既に遅く
警察官が立っていて通行止めをしていた。


その時初めて 橋が渡れなくなっている状況だと 分かった。


心配していたものは 確信に変わった。


街が凄いダメージを受けている。


心配していたものとは その事だった。

続く


あの日 僕は2~阪神淡路大震災の手記~

2013-01-18 | 忘れてはいけないこと
*この日記は被災した相方が以前、ブログに書いたものです。
相方の了承を得て掲載してます。
(まだ、この時は2人とも出会ってません)


今は料金所が無くなってしまったが
有料道路を登り 下る途中に
神戸を見渡せる場所がある。


それはテレビでしか見たことのない空爆でもされたかのように
大きな黒煙が2本 あっちとこっちに
立ち登っていた。


空恐ろしい恐怖に駆られながら
車を走らせた。


暫くは幾つかのトンネルが続き
長いトンネルを抜けると
新神戸駅下から 地上に出て来た。


街はまだ静かで
何事も無かったかの様に見えた。


しかし1つ1つ目を凝らして行くと
ハッとして 目を疑った。


国道沿いの信号が皆消えていた。

ヘッドランプを点けたまま大きな交差点を窓から手を上げ
止まってくれ 何とか渡った


渡った先のビルの一階は普段見慣れた大衆食堂だった。


しかしあの日は違った。


看板が地面の位置にまで下がり
崩れた瓦礫から足だけが出ていて
仲間がその足を引っ張っている。

そんな光景を車を走らせながら
唖然と見ていた。


信じたくはない光景だからだ。

しかし
僕はまだ その時は 普通に仕事へ行かなきゃ…

と思っていた。

車のラジオは地震が起きたことしか 伝えてはいなかった。


街が どうなっているかも知らないで。

続く


あの日 僕は~阪神淡路大震災の手記~

2013-01-17 | 忘れてはいけないこと
*この日記は被災した相方が以前、ブログに書いたものです。
相方の了承を得て掲載してます。
(まだ、この時は2人とも出会ってません)




6時に起きる予定だった‥


夢を見ていたかもしれない‥しかし 何も覚えていない。


ドン
と 高いところから重量物が落ちたかの様な音がした。

と同時にドドドド
とゴオオオ!!!!とハモって音と振動が近づいて来るのが 寝ていて 分かった。

家まで辿り着いた瞬間!!

ドン
ガガガガドドドドドガドガドガトガ ガチャンガチャンガチャンガチャンガチャンガチャンガチャンガチャン!!


何が起こったか分からなかった‥

体は起こせたが 立ち上がれなかった


部屋には当時 デカいスピーカーが両サイドに付く オートターンテーブルのレコードプレイヤーとテープデッキ。


後付けした最新のCDプレイヤーとカセットラックとビデオラックを載せていた。


その内のビデオラックが寝ていた布団目掛けて飛んできた!!

飛び起きたお陰で間一髪 直撃を免れた。


揺れた後も余震が続き またアレが来ると思ったら 心臓が躍った。


寝ている時間帯に余震が来たら 心臓がバクバクして 眠れなくなるのだ。


でも その日の朝は仕事に行く日だった。ポートアイランドまで 先ずは行かなきゃいけなかった。

家の食器棚から全部床に散らばった食器を踏みつけながら 仕事へ 向かった。

続く