趣味を仕事にする。
なんだか素敵な響きだけど
自分がやってみてわかった。
趣味と仕事は全然違う。
ウッチーも自書「僕は自分がみたことしか信じない」の中で言ってました。
高校までは楽しくサッカーをしていただけだったが、
プロになってみると
期待に答えなければと言うプレッシャーから不眠症になった、と。
読んだ時は、高卒ルーキーでいきなりレギュラーで
順風満帆に見えても、そうじゃなかったんだなぁ
程度にしか思わなかったんですが、
今となっては実感を伴ってわかる・・・気がする。
プロサッカー選手としがないPCインストラクター、
期待の差は比べたら申し訳ないけどさ。
教室の皆さんは基本リタイア後の人生を楽しんでます。
その楽しみの一つのPC教室なんだけど、
果たして通っていただく価値を提供できてるんだろうか・・・
ある時そんな考えに取り付かれました。
それには、きっかけがありました。
教室でひきこもりの青年を受け入れることになりました。
青年は
・ひんぱんに休む
・来ても必ず遅刻
・来るとパソコンが得意で教えることがない
うちの既存の生徒さんは
・病気と葬式以外は基本休まない
・必要以上に早めに来る
・わりと過去に教えたことを忘れて、教えることが結構ある
真逆・・・
その上、青年には取り扱い上の注意事項のようなものもあり
対応に苦慮してしまいました。
その辺りから、そのクラスの雰囲気が乱れたように感じ、
今までやっていたことに対する自信がなくなっていき、
気付いたら自分のやってること全てに意味がないような・・・
そんな気分になってしまいました。
青年が来なければ、スランプに陥らなかった・・・というわけでもありません。
多分遅かれ早かれスランプにはなっていたのでは。
そういう時期にさしかかっていたんだと思います。
前述のウッチーは鹿島三連覇の後
鹿島でやることはやり終えた
と、ドイツに旅立っていきました。
私もいいオファーがあれば旅立ちたかった。
ふくふくが通っている塾の先生から
荒れてしまったクラスの立て直しを頼まれたのが
唯一のオファーでしたが(同時期にあること自体びっくりだけど)
教える自信もないしね・・・
そんなある日、ヨガの教室に行きました。
今まで一度もそんなこと聞かれたことないのに
ヨガの先生が
「最近仕事はどうですか?」
と尋ねてきました。
仕事・・・(遠い目)
「最近、ちょっと悩んでいて・・・
先生も不調とかありますか?」
逆に質問してみました。
すると、
年に3回くらい「この内容でいいんだろうか・・・」
と思いつめて、内容をがらっと変更する
とのことでした。
ヨガとパソコン、
教えることに違いはあるけど
講師としての立ち位置はなんか似てる。
先生とのやり取りに直接答えがあったわけではないけど
出口の方向は微かに見えたような・・・
そのすぐ後、パソコン教室に新しい生徒さんが入りました。
少し前にご主人を亡くされ、さみしくて仕方がないと・・・
でも、落ち込んでばかりでもいられないから
来年回ってくる組長に備えて
パソコンを習いたいんだそうです。
人生、そういうことなんだよね。
そんな気持ちになりました。
で、ここで終われば再び前へ向かう私、なんだけど
またしても不穏なメモが教室の机の上に・・・
「chabonosukeさん
教室でアスペルガーの人の受け入れを打診されました。
どうしましょう」
今は、どっちかと言うと無理・・・
そして、これもまた人生?
基本の生徒さんから求められているものと、ひきこもり青年から求められているものは全く違ったのでは?
求められているものが違うのに同時に両方に満足してもらえるように対応するのはかなり難しいように思うんだけど。
「求められているもの」の方向が複数ある分、うっちーよりもchabonosukeさんの方が難しいかもよ。
まだぼんやりとした不安に包まれてます。
そう、ひきこもり青年は「人とのふれあい」がテーマだったんだけど
それもぱっとしないし・・・
親御さんの「藁にもすがる思い」だけが私の肩にのしかかったんだと思うよ。
その後ひきこもり青年は親とのトラブルが更に深刻になって
PC教室どころじゃなくなった模様。
全く来ることもなくなって、これはこれでほっとしてしまいました。
ちなみにアスペルガーの人も見合わせていただき
本来の「高齢者のためのPC教室」に戻りましたよ。
しかし、なんでいちいち「うっちー」引き合いにだすんだろうね・・・
自分で自分に突っ込んでしまったよ。