ちょこっと、息ぬき。

「いきいきと、生きていたいね。」

いきいきと、生きていたいね。(12) 

2006-04-30 16:13:01 | Weblog

★車での日本一周旅行で、わたしはなにを見つけるのでしょうか。何を感じ、何を考えるのでしょうか。

 

  9月1日に北海道に向けて出発しようということを友人数名には話していました。それをどう聞きつけてきたのか、高校の後輩が「北海道だけでいいから一緒にいかせてくれ」と連絡をとってきました。

 

  ひとりで行くことの意義は大きかったのですが、高速道路代やガソリン代を折半できることや自分ひとりでは思いつかないことを経験できるかもという思いからOKを出しました。

 

  もう1つちょっとした変化がありました。8月のお盆を過ぎたころ、あまり下宿人の前に姿を現さない大家さんが私の部屋を訪ねてきました。

 

  「この建物を建て直したいので10月中に部屋を空けてもらえないか」というのです。いわゆる立ち退きというものですが、家賃の6か月分を補償金としてくれるというのです。

 

  9月いっぱいは旅行で不在です。ひょっとしたら旅行が10月にずれこむかもしれない状況です。しかも不動産に聞いたところサラリーマンも含めて8月、9月に引っ越す人が多いということでした。なので10月中に引っ越し先を捜すときにはすでにいい物件(環境や家賃)は借り手がきまっているというのです。

 

  そこまで考えたら、旅行に行く前に新しい部屋を決めて手付金なんかも少しは払ってから旅に出たほうがよさそうでした。

 

  いつも利用していた「貸本屋」(漫画、雑誌、単行本を1冊80円とか100円でレンタルしてくれるお店でした)の店主が地域には知り合いが多いと言っていたので相談したところ、その地域の物件の情報を多く持っている不動産屋さんを紹介してくださいました。

 

  早速そこに行き4~5の部屋を見せてもらい、2日間で決めてしまいました。もともとそろそろ風呂付の部屋にでも移りたいなと考えていたところだったので、タイミングとしては最高でした。なにか大きな力が自分の行動を後押ししてくれているのではないかとうれしく思ったほどでした。

 

  車を借りる手はずも整え、もって行く衣料品やものはめどをたて、あとは9月1日に向けて体調を整えるだけでした。

 

  いよいよ、お気楽青年にとっては大きな第一歩を踏み出す時期を迎えます。

 

 


いきいきと、生きていたいね。(11) 

2006-04-19 23:29:33 | Weblog

★大学を卒業し、その年の春からアルバイトで生計をたてることとなりました。時間を自分の思うように使える絶好のチャンス。自分探しの旅に出ることを考え始めました。

 

  非常に悠長な話なのですが、知的障害者の施設でボランティアをしながら自分で勉強を続け、やりたいことを探すということしか決めてなくてアルバイトの生活に入ったのです。

 

  たしかにこの時点ではもしどこかの学校に行く必要があったとしてもどの学校に行ってどういう勉強をするのかということが定まっておらず、毎日ただ自分ひとりで「自分は何をしたいのだろう」ということを探す毎日でした。

 

  春が過ぎて夏が来て、ようやく新しい生活のリズムにも慣れてきたころ、「こんなに自由に時間を使えるのは今しかないかもしれない。精神的にも煮詰まってきているしこのままだと苦しい。日本一周でもしてみようかな」とふと思うようになりました。

 

  気になるのは費用ですが、そのころのアルバイト料は仕事の量によっても違っていましたが、月に20~23、4万円になりました。家賃5万円プラス諸雑費5万円で生活していましたので、蓄えもありなんとか実行可能な範囲でした。

 

  これまたのん気なもので、旅にでることを決めたらなんだか生活にハリが出てきました。真夏の暑い時期は汗水たらして暮らしているほうがわたしは好きなので、会いたい友人もいる北海道に9月1日に出発することとしました。

 

  旅費はできるだけおさえるためにレンタカーを借りてその車の中で寝泊りすればいいかなと考え、近所にあったトヨタレンタリースに「1ヶ月かりたらいくらになるのか」を聞きにいきました。

 

  それだけで約15万円ということでした。これまたアバウトな話ですが、日本一周にかける期間は約1ヶ月と決めていましたので、もし5千円の宿に毎日泊まるとしても同じ金額が必要になるのです。しかも、毎日初めて訪れる土地で見合った金額の宿を見つけることは非常に手間もかかるし、わずらわしいことははっきりしていましたので、「移動は車で。そして自分の思うところで寝る」ということはあっさり決めました。

 

  また、たぶん一生に1度の日本一周にせっかく行くのだから、自分がそのときどきにどんな気持ちで旅をしていたかも含めて記録しておきたかったので、8ミリビデオを買うことにしました。

 

  何年か経って、もしだらけた日々を送ることになった場合は、そのビデオを見ることによってこの時期の自分の一生懸命な思いを呼び覚まして、自分にかつをいれたいと思ったのです。

 

  量販店に行ってあれこれ悩んでいたら非常に親身になって相談にのってくれる店員さんに出会うことができました。約20万円くらいしたと思いますが、記録を残すことと、普段使ったことのない機器をさわる喜びと、それから20年前はそれ以上安い商品がそんなになかったこともあり、すぐ購入しました。

 

   毎日楽しみながら、準備を着々と進めていきました。

 

 


いきいきと、生きていたいね。(10) 

2006-04-12 01:02:52 | Weblog

★アルバイトで生活費を稼ぎ、福祉施設でボランティアをやらせてもらいながら自分の進みたい道を探る生活が始まりました。

 

  学校を卒業し、アルバイトをしながらボランティアをする日々が始まりました。

 

  午前10時から午後2時までは知的障害者の更生施設で過ごし、夕方4時からワープロの入力の仕事をするのが日課でした。仕事の方は、夜の8時に終わることがあれば遅くなるときは午前2時まで仕事をしたりしていました。

 

  要するに下請けなので、仕事の依頼がない場合は比較的早く終わります。しかし、お得意さんから急な仕事の依頼が入ったときは断ることができないので、遅くなっても仕事をやり終えることが求められました。

 

  4月にはいってから大雪が降ったことがありました。いつもは30分ほど時間をかけて自転車で仕事に通っていましたが、さすがにその日は自転車で帰ることができませんでした。仕事も午後10時過ぎまでやっていたのですが、最終のバスの時間も過ぎてしまったのでめったにないことなのですがタクシーで帰ることにしました。

 

  でも駅前にはタクシーを待つ長蛇の列が続き、なかなか自分の乗る車が来ませんでした。1時間を過ぎても自分の前に15人ほどいましたのでわたしは歩いて帰ることにしました。

 

  自分の家まで約10キロ。普通に歩くと自分の足で約1時間40分の行程です。しかし、積もった雪の上は思うようには歩けません。結局、2時間10分か20分くらいだったと思いますが、雪の降りしきるなかをしかもあまり車も通らない大通り沿いを、行きかう人にも出会うことなく歩き続けました。

 

  10時過ぎまで仕事をして、タクシーに並び始めたのが10時半過ぎ。約1時間待って11時半。その時刻から歩き始めて下宿に着いたのはもう午前2時前でした。

 

  2時間も歩いたら、いくら寒いなかとはいえのども渇きます。宿には風呂はなく最高の条件ではなかったのですが、勢いのおとろえない雪を眺めながら缶ビールを飲みました。そのビールがなんとおいしかったことか。20年も前のことですが、その味といい、街灯に映しだされていたよこなぐりの雪が空から落ちてくる様は、大袈裟ではなく昨日のことのように鮮明に記憶にとどまっています。

 

 


いきいきと、生きていたいね。(9) 

2006-04-04 23:25:35 | Weblog

★「充実していない」、「虚しい」、「寝食を忘れて没頭するものがない」。

 

  その当時の気持ちを言葉にするとこんな表現になります。

 

  わたしの通った学校では卒業するために論文を書かねばなりませんでした。わたしが選んだ題目は「いきいき生きるには」というまさしく自分が直面していた課題でした。

 

  「いきいき生きる」という表現は非常に漠然としています。ふだんの生活のなかで使うことはありますが、もし学術的に定義するとしたらその切り口がかなり重要だとは思っていました。でもわたしの能力ではその重要な第一歩をどのようにしたらいいのかがよくわかりませんでした。心理学とか、社会学とか、精神医学とかの本を幅広く読み込んでいたら話は別だったのでしょうが。

 

  つたないながらもわたしは、「いきいき生きる」ということを「自己実現」や「自我意識」とつなげて考えていこうとしました。この論文を書いていた当時は少しは本を読み込んでいろんなことを考えられていたのではないかと思いますが、いまこの論文を読み返してもなんだかよく理解できないでいます。

 

  ただ、そのころ読んだ本の題名のいくつかは今見ても非常に新鮮な感じがします。A.H.マズローの「人間性の最高価値」と「創造的人間」、E.フロムの「正気の社会」、ロロ・メイの「失われし自我をもとめて」です。

 

  わたしはこの論文を書くことにより多少なりとも自分のいく方向について考えられたらいいな、と思っていましたが、それはとんでもない勘違いでした。わたしの思いというものは別に整然とした理屈で説明できるものばかりではなかったからです。当然のことながら「こう考えたり感じたりしたから、こういうふうに行動した」ですんでしまうことも自分のなかには多々あったのです。

 

  でも4年生の10、11、12月にじっくり自分と向き合い、できる範囲で理屈で考え抜いた時間を持てたことは非常によかったと思っています。

 

  年明けに論文を提出しひと段落ついたのでしたが、落ち着いている場合ではありません。卒業したあとにどうするかを具体的に決めていかなければなりません。先輩や知り合いやその紹介を受けた方々と会っていただいたりしてこの時期は過ごしました。そして、卒業後は知的障害者の更生施設でボランティアをしながらアルバイトで自活し、医療・福祉の分野のなかでどこをやっていくのかを探ることとしました。