ちょこっと、息ぬき。

「いきいきと、生きていたいね。」

いきいきと、生きていたいね(42)

2006-08-29 13:14:33 | Weblog

☆医療ソーシャルワーカーへの道

民間保険の請求をすることになりましたが、つぎは医療保険の請求です。

いわゆる診療報酬の請求です。

 しかし、日本の制度というものは非常に細かいというか、いろんな制度との整合性をとろうとしているのか、非常に複雑なので理解しにくいのです。

 そこに、わたしも面食らってしまいました。

 公的な医療保険といっても、国民健康保険、政府管掌、組合、共済などの各種保険と何種類もある上に、それぞれの制度の中で独自の運用をする部分があり、さらにわかりづらいのです。

 

 現在は診療報酬の請求はコンピュータで処理しますが、当時は手書きでした。

 ひとり1枚もしくは2枚、その方の加入している医療保険によって紙の種類が違ってきます。まず、どの紙に記入するかを確認しないとあとで全部書き写さなければならないので要注意です。

 どんな薬をどれくらい飲んでいるか、その薬の値段はいくらか、どのような処置をしているかをひとつひとつ手で書いていくのです。

 とんでもなく手間のいる作業です。

 

 事務所には診療報酬請求事務を担当する女性が二人いましたので、わたしはその補助的な役割を担いました。

 

 こうして、本来医療ソーシャルワーカーの業務でないことをやりながら、秋を迎えます。

 


いきいきと、生きていたいね。(41)

2006-08-06 14:09:07 | Weblog

☆医療ソーシャルワーカーへの道

車の運転を覚えるために、昼休みに上司の車を借りて部屋探しにいきかせてもらいました。

3~4日で決めました。一人暮らしをし始めて以来、4件目の部屋となります。

この部屋を借りた当時、住むことになった町内で大事件が起こりました。

いまだに裁判が継続されている、連続幼児殺人事件です。

連日、新聞社の黒塗りの車が何台も行き来していました。ヘリコプターもバタバタと音を立てて、飛んでいました。

 

ある日、母親から電話がかかってきました。

「あんたの住んでるとこの様子は、おかげさんでテレビでよう見せてもろた。そやけど、なんでそんなややこしいとこに住むことにしたん?」

「しゃーないやん」、そう思いました。

 

仕事では、電話相談の受付けをやったり、上司がしている入院相談の面談に同席させてもらいはじめました。

くわえて、交通事故で入院していらっしゃる方の、民間保険への費用請求の明細書づくりをすることになりました。

まだ、保険の割合など確定していない段階でしたので、ひとまず保険会社が負担するのですが、毎月発生する入院費の明細を手書きで作成したのです。

いまなら、おそらくもっと省略化された形式も考えられますが、コンピュータが普及していないころでしたので、ずいぶんと手間をとられてしまいました。

その内容には、診療報酬明細書という各個人別の各健康保険組合への請求状況も書き込まなければならなかったので、その書面を見慣れていない上に内容もよくわからないわたしにとっては大変な作業でした。

でも、医療ソーシャルワーカーだから診療報酬のことはわからない、看護師だから診療報酬のことはわからないなんてことは、給料をもらって働いている以上言ってはいけないなと、このとき思いました。

お金は、湯水のように湧いてくるものではないのです。

病院も保険組合や、各利用者からの収入によって成り立っているのですから、当たり前といったら当たり前ですが、平成8年当時でさえ、「看護師は売り手市場。職場が気に食わないと思ったらすぐ辞める」ということがまかり通っていました。

このような環境では、常識的に社会人らしくない人、プロとしての技能を十分持ち合わせていない人も多く作り出す温床であるとしばらく経ってからわかりました。

 http://blog.with2.net/link.php?341741


いきいきと、生きていたいね。(40) 

2006-08-02 22:45:57 | Weblog

★医療ソーシャルワーカーになれるのか?

院内盆踊り大会も無時終わり、いよいよソーシャルワーカーの本来の仕事である相談業務をすることとなりました。

相談業務と一言でいっても、仕事をはじめていきなりできるというものでもないので、事務所に詰めて病院にかかってくる外線電話をとることから始まりました。

外線電話とこれまた一言でいってもいろいろな部署につながなくてはならないので大変です。

 

まずどんな部署があるのか?

そこになんと言う名前の人が勤めているのか?

電話をかけきている相手はこちらにいつもかけてきている人なのかどう

か?

などをわからずにやるので、気を引き締めて事にあたりました。

 

しかし、入職後1週間以上も掃除や行事の準備で動いていたおかげで、短い時間に人間関係はでき始めていました。

わたしの存在を知ってもらうこともできていたし、各部署のいろんな人と同じ時間を過ごすことができたので名前を覚えたり覚えてもらったりするチャンスはもらえていたのです。

 

こうして病院での仕事は始まりました。

あらためてお伝えしますが、医療ソーシャルワーカーという仕事には国家資格がいまだにありません。

社会福祉士という資格が平成のはじめころにできましたが、あくまでも社会福祉士であって、病院や保健所などのように医療にかかわるソーシャルワークにかかわる人材の身分保障や質の保証は確保されていないのです。

だから、病院が医療ソーシャルワーカーとして雇い、

「わたしがこの病院の医療ソーシャルワーカーです。」

と名乗れば、それで成り立ってしまうのです。これを名称独占という言

葉で表現します。現在も同様なのです。

 

このようにして、外線電話をとることにより具体的にどんなところからどのような部署に電話が入るのかということを知ることができたことにより、自分の勤め先はどのようなポジションにある病院なのかを肌で感じることもできました。

加えて、入職直後のこの時期、早めに身につけなくてはならないことがありました。

 

それは、車の運転でした。

 

駅から車で30~40分かかる病院です。患者さんのご家族の面会も大変です。もっと大変なのは、送迎バスぐらい運行してしていないと職員も勤めに来てくれないのです。

いろんな事情をこれから知ることとなります。