★幼い頃住んでいた桜島を再びおとずれました。「アルバムに貼ってあった船の上の写真はこれか!」と桜島フェリーが海の上を走っているのを見て気づきました。
1987年9月25日。幼稚園にあがるかどうかというときに一時鹿児島に住んでいました。写真のアルバムの中には溶岩道路や林芙美子文学碑などの写真があったのを覚えていますが、子供心に「ここはどこなの?」と思った記憶があります。
その答えがこのとき出ました。まさに、子供の頃に写真で見た風景が目の前にありました。なつかしいような、不思議なような。しばらく文学碑の前で佇んでしまいました。
この日の一番の目的は「佐多岬」です。国道224号線、220号線、269号線、佐多岬ロードパークを使いました。
天気は快晴。日差しは真夏のままでした。ロードパークに入ってからだと思いますが、道端にハイビスカスのような花があちこちに咲いていました。
「さすが南国!咲いている花が違う!」
まだいたるところで工事中であったロードパークを突き進み、ようやく岬に到達しました。が、車を降りてから確かトンネルのようなくらい道をしばらく抜けていかないと岬の灯台へは行けなかったように思います。
灯台からは種子島なんかがはっきり見えて、頭のなかにはなぜか「鉄砲伝来。いごよくふえる(1549)、種子島。」と小学校のときにおぼえたフレーズがよみがえってきました。
きょうは少々感傷的で、知的な旅です。
佐多岬をあとにし、国道220号線で日南海岸を北上、さらに10号線で日向市まで進みました。
どこの駅だか記録に取るのをわすれてしまいましたが、駅近くの公園の前に車をとめて、「旭浴場」という銭湯に入り、「九龍」というラーメン屋で食事をしました。
この店は35歳ぐらいに見える主人がやっているようで、奥さんは手伝っているようでいないようで、なぜかしら店の中をうろうろしていました。わたしがテレビのジャイアンツ戦を見ながら食べていたら、ちょこっと洗い物をしたかと思うとおもむろに友人らしき人に電話をし始めました。
「パチンコ、行こ!今日は出るよ!」
そしてだんなに「パチンコ行ってくるわ!」と言い残し、店を出る際に、わたしに向かって「あんた、ゆっくりしていき!」と言い放っていきました。店にいる間にわたしも少しは話をした間柄ではありましたが、こんな調子です。
これが人情味のある風景だなと思いました。「ゆっくりしていき!」って言われて、うれしかったです。
銭湯に入ったときにも人情に触れました。風呂から上がってコインランドリーを使っていたとき、閉店が9時なのを知らずにゆうゆうと過ごしていたらご主人らしき人が片付けに来ました。
「もうお店、終わりですか?もうじき乾燥もおわりますから。」と言いましたところ、「それじゃ、家のもんがみな風呂上がったら来るから使っていてください。」と言っていただきました。
南国九州の宮崎にて人の温かさやありがたさを感じながら、この日は延岡市内の国道10号線沿いのサービスエリアに車を止めて寝ました。