ほかにも、公文式算数教室で採点しながら教える仕事や、塾の講師、高校の後輩の実家でやっていたパーテーションの仕事の手伝い、劇場のロビーのタイルの張替え、それから帰省時には父親の仕事の関係で紹介してもらった土木作業などをしました。
それぞれの仕事はそれぞれの面白みがあり収入にもなったので非常に楽しく過ごせたのですが、でも時間を切り売りしているような気がしていまひとつすっきりしませんでした。
アルバイトには行くのだけれども学校の授業には行かない日々が続き、1年生の終了時にはわずか10単位しか取得できていませんでした。必修の外国語3科目がそれぞれ2単位で計6単位、それからゼミの4単位のみだったんです。幸い、1年間に最低何単位をとらないと次の学年に進めないという規則はなかったため留年はしないですみました。
しかし卒業までには140~150単位は必要であったので、2年生の時は心をいれかえて朝から晩まで学校で授業を受けていました。これもかわった規則ですが、1年間に取得できる単位数にも制限はなく、私は90単位くらいの申込みを年の初めに出し、結局82だか84単位を取得しました。こんな生活をしていたので、この時期に急に遠方から遊びに来た友人と会う時間がとれず、「私が通っている学校の授業を一緒に受けてみないか」と誘い、一般教養の宗教の講義を親友と受けたことがありました。
中学のときは無邪気に遊んで過ごしました。高校のときは「中学のときに手放しで遊んでいたから、これからは少しまじめに勉強しよう」と考えてやみくもに勉強することを選び、大学に入ってはその反動で無気力になり怠惰な1年を送り、これまたその1年を取り返すために2年生のときは学校にいりびたりなるというありさまです。
ビジョンがない、目標がない。
「高校在学中に、『おまえはなんのために勉強するか?』といってくれる先生に出会いたかった」などと、人に頼るような考えをわたしはいまもっていますが、わたしは大学の2年を終えた時点でようやくその課題に立ち返ることとなったのです。
おそまつといえばおそまつな生き様です。でも、恵まれた時代に生きていることの恩恵といえば恩恵かもしれないと思います。しかし、生きていくうえでは動機が必要です。
わたしは大学3年になって「おれはどんな風に生きていこうか?生きていくためには仕事をしていかなければならい。どんな仕事をしようか?」と遅まきながら具体的考え始めました。そう考えるようになるまでもいつも心になにかひっかかりがあってすっきりせず、いつもどんよりとした気持ちで過ごしていました。こんどはすこしは前進したものの、答えをみつけられない苦しみを抱えつつ生活することになりました。
「俺はなにをしたいんだろう?」「どういうふうに生きていきたいんだろう?」
悠長な話ですが、本当に私はこの時点でそう思い、そして動き始めることとなりました。アルバイトでいろんな仕事を見てその中から決めるとしてもそんなに多くの仕事に触れることにもやはり限りがあります。自分の身内や知り合いがやっている仕事を見たことがあってそれを自分もやってみようなどと感じる機会にもめぐまれなかった私は、学校の図書館に行ってそれに関して答えをくれる本はないかを探し始めました。 いまのように「世の中にはこんな仕事があります」といった解説本が書店に売っていたわけでもなく、インターネットもない頃でしたので地道に探しました。わたしが見つけたのは、業種の分類の統計資料だったと思います。大きく分けて「営利団体」と「非営利団体」がある。そのそれぞれに属する業種、たとえば農業とか林業とか工業とか、工業のなかにも製造業があったり鉄鋼業があったりという分類の表をまずてがかりにしました。いま思えば新聞の株式のページを見ても同じレベルの情報を得ることができるのですよね。
なんの方向性も見出してなかった、もうすでに20歳を過ぎた青年が見事に遅い第一歩を踏み出したのです。