ちょこっと、息ぬき。

「いきいきと、生きていたいね。」

いきいきと、生きていたいね。(9) 

2006-04-04 23:25:35 | Weblog

★「充実していない」、「虚しい」、「寝食を忘れて没頭するものがない」。

 

  その当時の気持ちを言葉にするとこんな表現になります。

 

  わたしの通った学校では卒業するために論文を書かねばなりませんでした。わたしが選んだ題目は「いきいき生きるには」というまさしく自分が直面していた課題でした。

 

  「いきいき生きる」という表現は非常に漠然としています。ふだんの生活のなかで使うことはありますが、もし学術的に定義するとしたらその切り口がかなり重要だとは思っていました。でもわたしの能力ではその重要な第一歩をどのようにしたらいいのかがよくわかりませんでした。心理学とか、社会学とか、精神医学とかの本を幅広く読み込んでいたら話は別だったのでしょうが。

 

  つたないながらもわたしは、「いきいき生きる」ということを「自己実現」や「自我意識」とつなげて考えていこうとしました。この論文を書いていた当時は少しは本を読み込んでいろんなことを考えられていたのではないかと思いますが、いまこの論文を読み返してもなんだかよく理解できないでいます。

 

  ただ、そのころ読んだ本の題名のいくつかは今見ても非常に新鮮な感じがします。A.H.マズローの「人間性の最高価値」と「創造的人間」、E.フロムの「正気の社会」、ロロ・メイの「失われし自我をもとめて」です。

 

  わたしはこの論文を書くことにより多少なりとも自分のいく方向について考えられたらいいな、と思っていましたが、それはとんでもない勘違いでした。わたしの思いというものは別に整然とした理屈で説明できるものばかりではなかったからです。当然のことながら「こう考えたり感じたりしたから、こういうふうに行動した」ですんでしまうことも自分のなかには多々あったのです。

 

  でも4年生の10、11、12月にじっくり自分と向き合い、できる範囲で理屈で考え抜いた時間を持てたことは非常によかったと思っています。

 

  年明けに論文を提出しひと段落ついたのでしたが、落ち着いている場合ではありません。卒業したあとにどうするかを具体的に決めていかなければなりません。先輩や知り合いやその紹介を受けた方々と会っていただいたりしてこの時期は過ごしました。そして、卒業後は知的障害者の更生施設でボランティアをしながらアルバイトで自活し、医療・福祉の分野のなかでどこをやっていくのかを探ることとしました。