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チェロローグへようこそ! 万年初心者のひとり語り、音楽や身の回りのよしなしごとを気ままに綴っています。

呼塚の常夜燈

2020年11月30日 | ぼくのとうかつヒストリア
Looking at past water transportation:
The witness of history, Yobatsuka 'Joya-to'

The 'joya-to', all-night street lamp, erected at the end of the Edo period (1865) remains in Yobatsuka on the bank of the O-horigawa-river in Kashiwa City. The joya-to served as a landmark for river traffic at that time and contributed to the prosperity of the region.
After the Meiji era, boat transportation has gradually declined. Today, joya-to and the surrounding environment have changed significantly, but the names of the people engraved on the joya-to can be said to be valuable clues to the history of the area.


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千葉県柏市の呼塚(よばつか)と言えば今では渋滞で有名になっていますが、手賀沼の西端にあるこの場所は江戸時代までは船着き場として手賀沼の水上交通の要所でした。呼塚は水戸街道に接していて便利だったのです。手賀沼周辺の村々の米や魚などが、ここから陸路(馬)で流山方面へ、そこからまた舟で江戸に運ばれました。成田山、香取神社や鹿島神宮詣での旅行客も舟を利用しました。常夜燈は呼塚河岸の目印として、また、交通や地域の安全、繁栄を願って江戸時代末期(慶応元年、1865)に建立されました。
 
 

The landscape of the place where the joya-to seems to have been.

かつての呼塚河岸と思われる辺りに立ってみました。個人的には、常夜燈があったのは大堀川が手賀沼に注ぐこの辺りの岸のどこかだと思われますが、今のところはっきりしません。奥に見えるのが常磐線の高架、頭上を通るのは国道6号線の呼塚橋です。環境が大きく変わって、江戸時代の風景を想像するのは容易なことではありません。大堀川にかかっていた旧水戸街道の橋ももうありません。



A close view of the joya-to site. This joya-to has been moved here from the bank of the O-horigawa about 200m away.

現在、常夜燈は元の場所から200mほど離れた場所に移転して静かに佇んでいます。小さな大師堂があり、その後ろが常夜燈です。右手は大堀川リバーサイドパークと言い、土手に沿って続く水と緑の遊歩道になっています。



The joya-to and a Daishi-do.

この地域独特の「送り大師(東葛印旛大師講)」四番札所の呼塚大師堂が建っています。ここは送り大師が行われる五月上旬に最も賑わいを見せます。



A full view of the joya-to. Its height is 4.19m(13.6ft).

常夜燈は堂々とした宮前型で、その高さ4.19mは市内一です。細くくびれた竿石が全体のシルエットを引き締めます。



A close view of the front and right side of the joya-to.

竿石正面には「成田山」、「常夜燈」、他の面にはそれぞれ「天下泰平」(向かって右)、「五穀成就」(同左)、「村々安全」(裏)と人々の願いが刻まれています。その下、「月参」、その下は「講中」と大書、脇に「東斎敬書 [印]」とあります。その下の段に寄進した人たちの住所と名前が刻まれていますが劣化が著しく、判読できる文字は多くはありません。



Numerous addresses and names on the pedestal of the joya-to (on the left side of the third row from the top).

保存状態のよい面を見ると多数の人々の住所と名前が刻まれていることが分かります。建立に当たって寄付をした講員の人たちでしょう。一段と大きい「卋話人」、左端の「柏村下組/發願主」云々はよく判ります。150年ほど前にこの地域で暮らしていた人々のことを思うと親しみを覚えます。
裏面側はほとんど読めず、「越中高岡辨山 恵芳尼」などこの地方以外の地名、人名の入った箇所があるはずなのですが、結局判りませんでした



An opening for the fire on the back of the joya-to.

常夜燈裏面の火口。他の三面はデザインも三日月形など開口が狭いのですが、現在より著しく暗かった時代、灯りをともせば目立ったと思われます。
竿石に「村々安全」と彫られ、台石には昭和17年と63年に移転したことが刻まれています。


この常夜燈の建立から僅か数年で明治を迎えます。その後、日本鉄道(現在の常磐線)が敷かれ柏駅が開業(明治29年12月)すると常夜燈の役目は終わったと思われます。しかし、この常夜燈が今に残っているだけでも、この地域の昔日の様子や祖先の想いを知る手がかりとなるでしょう。



O-horigawa seen from Kita-Kashiwa Bridge.

北柏橋から見た大堀川です。かつて、大小の舟が出入りした水面には釣り人が糸を垂れています。呼塚の常夜燈は、ほんの150年前の交通事情が現在とはまったく異なっていたことを教えてくれる貴重な証人です。現在の手賀沼、大堀川の風景を常夜灯はどう思いながら見つめているのでしょうか。

(2020年10月撮影 Nikon Z 6 / NIKKOR Z 24-70mm f/4 S)


主な参考文献
1)柏市史編さん委員会編『柏のむかし』1976年6月、柏市役所.
2)柏市教育委員会編『柏の金石文Ⅱ』柏市教育委員会、1999年3月.
3)相原正義著『新・柏風土記』崙書房出版、1986年7月.
4)『東葛印旛・大師講』(鎌ヶ谷市郷土資料館調査報告書Ⅰ)1990年3月、鎌ヶ谷市郷土資料館.


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