さて、今日の話題は、前回の‘無念・無想’の内容を受ける事になりますが、比人たちの識字能力他(?)について、言及してみたいと思います。
【ウチのゲート前に貼り付けてある看板です】
…上の画像は、皆様には分かって頂けると思いますが、日本語で言えば、‘駐車禁止’を示す看板の画像です。
ウチの周辺には、レストランが多いが、各レストランの駐車場のスペースが狭い事もあって、食事のピークタイムには、路上駐車が横行し、ウチも、ゲートの戸口の真ん前に、車を止められて、出入りが難しくなる等の問題が時折、発生するので、このような看板を掲げて、自己防衛をしているのですが....
しかしながら、その効果は、あまり芳しくなく、未だに、そうした違法駐車に悩まされているのが実情です…(苦笑)
…そんな状況を見て、‘フィリピン人は、文盲なのだろう’とか、‘英語を理解出来ていないんだろう’とか、仰せになる先進国出身の外国人も時に居られますが、実はそうではないんですね...(苦笑)
率直に言えば、ウチの5歳になる娘だって、この看板の意味は理解しております。
以前に、彼女は、その看板の真ん前に平気で駐車していた(邪魔な)車を指して、
『‘駐車禁止’って書いてあるのに、分からないの?』
…と、詰った事があったので、僕は、
『おう!そうだよな!多分、この車の持ち主は、こんな簡単な英語すら出来ない大馬鹿者なんだろうな!!』
…と、周囲、少なくとも100mには響き渡るであろう、大きな声で、(僕のささやかな抵抗として、‘連中’に聞こえるように)罵った事もありました。
…ある時など、ウチの戸口ギリギリに駐車をされて、ウチへの出入りにも困った不都合に怒った、ウチの義母が、隣のレストランに怒鳴り込んだ際、その車のオーナーとして、名乗り出てきた若い女性は、実は、比国の国家試験に合格し、弁護士の資格をもって、某大手弁護士事務所に務めている女性だった事が発覚し、ウチの義母が、
『…あなた、弁護士なのに、この看板の意味が理解出来なかったのかしら?』
…と嫌味を言った所、彼女は、言葉を失って、
『…スミマセン、スミマセンでした...』
…と、ただ、平身低頭、謝っていた姿を、僕は忘れる事が出来ません...(法律の専門家が、この体たらくでは、比国は法治国家ではないと言われても、仕方のない事かも知れません...)
…つまり、こうした問題の本質は、文字が読めるとか、文の意味が分かるとかの問題ではなくて、何らかの情報を捉えた時に、それが、即、適切な行動が繋がるかどうかの問題だと僕は思っています。
まあ、ひとつ、言える事には、先に挙げた、弁護士の如く、本来ならば、国民のお手本にもならなきゃいけない階層が、(皆が皆とは言いませんが、一般的には)余りにも横着・横暴で、金や力を持った時に、お約束事よりも、金や力にモノ言わすような感じになってしまっているので、‘上悪ければ、下之に従う’の例え通り、ここフィリピンには、日本人が考えるような‘お約束’は存在し得ないのだと言うことですね...
…だからこそ、比国の特権階級に、今の、‘この荒れた状態’を改善・改革する事など、全く期待ができないんです。以前から、何度も述べております通り、国民のレベルが低く、‘何が良くて何が悪いのかすらわからない状態にしておいて’、結果として、(不公正に対して)糾弾の声が上がらない事をいい事に、(酷い場合には、ほんの一握りの記者などが、そういう声を上げたとしても、‘消してしまう’事すら可能なのが実態なので)そうした輩は、好き勝手をして、国を腐らせ、(そうした犠牲の上で)この世の春を楽しんでいるのだと言い切っても、決して過言ではないのです。
…さて、話が、ちょっと、逸れましたが、そんな環境をして、庶民の意識レベルが上がる筈もなく、(…つまり、こうした事は‘上’の責任であり、庶民レベルを叩いたところで何もならないんですが)庶民層においては、上位階層と同じような‘横着さ’も然る事ながら、‘こうした文字やら文やらが、何ら、権威をもたない状態’の中、識字はして、意味も分かったとしても、先の記事に挙げた、‘無念・無想’が彼らの行動原理である事も相俟って、時に、僕ら日本人からすれば、“何で???”と首を傾げてしまうような問題も、日常茶飯事のように多発するのです...
実は一昨日も、この国の舗装状態の宜しくない道路での往復200km超の出張(勿論、プルメリアのNGO活動)を行った際、こうした類の問題の為に、ちょっとした被害を被りました。
【当NGOから郡部の学校への送付物ですが...】
…上の画像は、実は、10日以上前に、プルメリアのセブ市の現地事務所から、郡部の小学校二校の担当教諭に宛てて、訪問予定及び、事前に確認して頂きたい事他を記した文書を作成し、他の送付物と合わせて、荷造りをし、宛名も表に貼って、発送したモノの内の一つです。
しかし、皆さんも、ご存知の通り、二足の草鞋を履いている僕は、この時、メプサへの出稼ぎに出発する日の早朝に、上記の通り、宛名の違うパッケージを二つ用意して、朝から出て来て、事務作業をお手伝いして貰っている当方の大学奨学生に、
『LBC(比国の宅配業者)の近くの支店が10時には開いてると思うから、それ、出しといてね...』
…と、引継ぎをして、メプサへ出かけたので、‘最後の詰’は人任せだったのです。
しかし、その後、色々な事に忙殺され、僕は、その後のフォローアップも出来ないまま、出張予定日当日を迎えたのでした。(そのお手伝いの大学生から、発送日当日に、‘送りました’との携帯メールは受け取っておりましたが..)
そして、迎えた当日朝、主要な目的地である、上記二校へ向けて出発直前に、先方の担当教師の方二名に、それぞれ、“予定通り、これから伺いますので...”と、携帯メールで、一報を送ったところ、“分かりました。お待ちしております”との返信が返って来たので、これをもって僕は、“ちゃんと書類は届いているし、話は通じている”と解釈したのです。
…が、一校目の訪問+奨学金支給+子ども達との面談も終わり、さあ、次へ行こうかと思ったその時、担当の先生が、
『あっ、権兵衛先生、忘れるところでした。これ、ウチへの配達物と一緒になっていましたけど、マチュティナオ小学校
行きですよね?』
…と、差し出されたのが、上の画像の送付物でした...
…こんな事があるなんて、日本の皆さんに、御理解頂けるでしょうか?
正直なところ、こうした状況に慣れている筈の僕ですら、一瞬、凍りつきました...
…確かに、この荷物を引き継いだ際、僕はメプサへの出掛けで、急いでいたので、言葉足らずになっていたかも知れません...
…でも、パッケージは、サイズは、ほぼ一緒だったものの、明らかに、二つに分かれており、ちゃんと二つに別々の宛名がデカデカと貼り付いていたんですよ...
…問題は、上記の宅配業者LBCは、郵便局とは異なり、専用のビニール製の封筒と送り状があるので、先のパッケージについていた宛名を専用の送り状に手書きで転写して、パッケージを専用の袋に入れ、送り状を貼付して送り出す…というプロセスを踏む事です。
…で、実は、こうした問題が起こった事、そして、今後は気をつけて欲しいと言う事は、問題の大学生には伝えたのですが、勿論、この学生は、学業成績も上位であるし、英語力もあるし、帳簿付けにもミスは少ないし、決して能力が低い訳ではないんですが、‘何がどうしてそうなった’のか、本人にも、全く自覚がない(覚えていない)んですね...(ただ、ひたすら、申し訳ないと謝ってはおりましたが...)つまり、これも、前回、取り上げました、比人たちの‘無念・無想’によって生じる問題なのです。
…大体、想像できるのですが、該当の学生は、僕に、‘それ送っといて’と言われて、非常に機械的に、そこにあった封筒(パッケージ)を二つ、一度に鷲掴みにして、(何故だか、送り先は一箇所だと思い込み、確認する事もなく、)LBCまで持って行き、偶々、上になっていた封筒の宛名のみを送り状に転写して、LBCのカウンターに出したに違いありません。そして、そこにいた受付の担当者も、何故、パッケージが二つに分かれているのに、宛名がひとつになっているのかを考える事もなく、これまた、ただ、機械的に受付をした…そんな感じなんでしょう...
そして、これもまた、日本ではあり得ない標準なので分かり辛いのですが、ここには、いわゆる‘ホウレンソウ’(報告・連絡・相談)の重要性が全く認識されておらず、例えば、今回のように書類を受け取った側の担当の先生から、‘届きましたよ’…という連絡がないのも当たり前、そして、荷物が間違って届いた事すら気にしていない(…誤って廃棄する事なく、保管していてくれただけマシ)…こうしたレベルにあるんですね...
…僕も、何となく、気にはなっていて、書類がついたかどうか、携帯メールで確認しようと思いつつ、忙殺されてしまったような状況で、これは、僕のミスでもありますが、でも、結局、言える事は、日本人の確認が入らないで、比人たちだけに任せておいたら、まともに物事が進まない可能性が非常に高く、その分、やっぱり、僕のような現地担当の日本人の負担はどうしても大きいし、日本人がこけたら、後のフォローが先ず、利かないって事なんです...
…まあ、こうして大学生に事務仕事他のお手伝いをして貰っている理由は、こちらの負担の軽減も然る事ながら、彼らに対する教育訓練が主なところと言っても良く、こうした失敗をちゃんと自覚して貰った上で、こちらが指導すれば、素養の高い子は、次には二度と同じ過ちを犯さない(つまり、レベルアップする)のは、これまでの経験上、ほぼ間違いのないところです。(特に女の子はですが...)
…言えるのは、貧困層の若者を相手にした場合には、幾ら彼らに素養・才能があっても、経済的な制約によって、あらゆる経験が不足していて、結果として能力が発揮できないので、こうして、こちらも痛い目に遭いながらでも、何とか、彼らに育って行って貰うしか手が無いんですね...
そんな訳で、‘行っていた筈の要請文’が届いていなかった、マチュティナオ(バディアン)の小学校には、情報が行っていなかったので、当然の事ながら、こちらが望んだ準備が出来ている筈はなく、また、来月、フォローアップの為に‘行き直し’になりました。…でも、そこへ行くには交通費も、それなりにかかりますし、時間も片道3時間コースですから、僕の弱った腰にはキツそうです。(…それまでにリハビリしておく必要がありそうです...)
まあ、でも、こちらにとっても、担当の大学生にとっても、将来の事を考えれば、安い授業料かも知れません...
ランキングに参加しています。応援してくださる方は、何卒、1日1回のクリックに御協力ください。
プルメリアHPへのリンクです。
私事ですが、在住で現地採用の身ながら運良く某外資系の会社で働いています。
周りはみんなUP、ラサール、アテネオ、UST、しかも新卒ばかり。
そんな中で平均年齢を一人で下げてる爺さんが、普通に月間MVPを半分近く取ってます(笑)
日本は本当にみんな「お利口さん」ばかりで、その中で頭角を現すのは並大抵ではないですし、いつも競争してなくてはならず、精神的にも凄くシンドイのですが、ここフィリピンだと上記の如きですね。
そうですね。仰るとおりなのかも知れません。
結局、言える事には、この国は見かけ体裁に拘るばかりで、今の現状はどうなのか(国際競争力も含めて)…と言う事を一切、考えないで、既得利権者がのうのうと横暴・横柄にのさばれる為にどうしたら良いかしか考えていないから、何処かに才能が眠っているかも知れないモノを殺してしまっていても平気だし、結局は私利私欲だけの事しか、上から下までないんですよね...
上記に挙げられましたハイスタンダードな教育を受けられる階層ってのも、実は、経済的な制約によって、途中で脱落している連中が大多数ですから、本当の意味で、皆が横一線で切磋琢磨し、出て来た連中とは言いがたいんですね...
…が、日本も最近、ちょっとマズイですよね。
何時までも米帝の言いなりになっている状態をどうにかしないとね...
リアル・アメリカン・チッチャロン
http://food.silkenhut.com/wild-willy-real-american-chicharones/
リアル・スパニッシュならまだ分かるんです。
こういうのに何もギモンを感じないのがとってもギモンなんですよ(笑)
だってこの場合の「アメリカン」が南米を指してるとは思えませんよね?
何がリアルで、どこがアメリカンなのかと。。。
基本的な思考能力が前提の話ですが(笑)「あれっ?なぜだろう?」とか、「う~む、これは一体何を意味してるのだろうか?」って普通、考えますよね?
例えば『フィリピン人って~だ』というのは概念上の話なのに、ラサール卒の人でも「ミンナジャナイデショ」って反論して来ます。
これがUP卒だと「勝手にジェネラライズするな」とちょっとカッコ良い(笑)
文化が違うと他方から見れば幼稚に見えたりするものですが、正直言ってフィリピン人って、上記の概念化能力のなさも含めて考えてみると、ADHDなんじゃないか(特にフィリピーナ!笑)って思うことが多々あります。
アハハハハハ...
この前のオンゴイパパさんじゃないけど、本当に吹いちゃいました(爆!)
これ、確かに、仰るとおりで、逆に、僕は、比人の中で、ADHDだと診断される人がどんな人なのか、見てみたいです。
こう言っては言いすぎかも知れませんが、あるグループの中で、‘特異的な反応’(要は他の人とは違う)と言うことになれば、それが問題化しますが、大多数がそうである場合には、それが普通って事になっちゃいますからね...(苦笑)
それと、‘物事を考えないように’…と言うのは植民地時代時代からの宗主国の意向が反映されているのであり、その為の重要な役割を担ってきたのが、某宗教だと僕は考えております。
また、ウチの名古屋大学へ留学しているB.A君も、被告の政治事情に大変に強い教授(勿論日本人)に師事した事で、その辺りがハッキリ見えたようで、比国の教育システムは、ご主人様(特権階級)に物事を考える事なく、疑問を持つ事無く、服従する事しか教えていない(教師と生徒の関係がその象徴)…と言っていた事がありましたっけね...