セブ島移住者の本音トークⅡ

セブ島でNGO活動に従事する管理人が、フィリピン人家族との奇妙な生活や、現地での国際交流について語ります。

想像もしなかった未来に...

2015-07-26 | NGO活動

今日の話題は、この冒頭画像に写っている絵画とそこに描かれている女の子の事になりますが、この絵画、プルメリアのセブ現地事務所に長年飾ってあるものですので、ここを御訪問頂いた方は御覧になった事があると思います。


この絵が飾られたのは、実は前団体の頃からですから既に10年以上前からの事になりますが、この絵の謂れ(?)を、これまで、僕の記憶が正しければ、恐らく4~5名の方々にしか御話した事がありません。


…が、ブログの中では、何かそれに関連する御話はひょっとしたら、した事があるかも知れません。


まあ、それはさておき、最近、僕は、この絵に描かれている少女本人(今は大人の女性)に出会いました。


...ここに描かれている少女は実は、元、僕らが支援して来た学生です。


この絵は、彼女のお父さん(美術家)が彼女をモデルに描いたモノで、この絵が、僕の手元に来た経緯と言うのは...


…この元学生の妹さんは、当時3歳で、再生不良性貧血という難病にかかりました。


症状は白血病とほぼ同じ、骨髄性のモノで、非常に厄介な病気です。


当初、担当のお医者さんの説明を聞いた僕は、‘白血病’かと思いましたが、明らかに白血病とは違う用語を使っておられたので、綴りを伺い、調べて見た所、普通の辞書にも載っていない、日本語でも聞いたことのない、この病名に、インターネット検索でやっと、行き当たりました。

この時、お金のない彼女の家族は、熱が出て鼻血が止まらない状態になった為に公立病院に運び込んだのです。


…が、ここの公立病院というもの、当時からカナリの経済成長を果たした今でも、半ば、‘野戦病院’のような状態で、どんな症状の患者もある程度、症例別(?)に一塊に集められるものの、仕切りは一切無い大部屋の状態で、院内感染は当然の如く発生します。


…で、こうした難病にかかり、免疫力が大いに低下した当時3歳の妹さんは、そこで院内感染により肺炎を併発して非常に危険な状態になったのを、皆で慌てて、実は僕が背中に背負って、近くの私立病院まで運んだのでした。


そこでちゃんとした検査を受け、出て来た病名が‘再生不良性貧血’というものだったのです。


…医師の話に拠ると、この病気の治療には、

1.アメリカから輸入の非常に高価な薬(当時で日本円換算20万円弱)を投薬して様子
  を見る。

2.それでもダメなら骨髄移植。(もっと大きな金額がかかります)

…そうした形しかないとの事でした。

…で、こうした状況を当時の団体の本部(…と言っても個人レベル)に報告したのですが、本部の結論は、‘一個人に対して、しかも支援学生本人以外に、そこまでの事は出来ない’…と言うものでした。


まあ、正直な御話として、今、プルメリアが同じ問題に直面したとして同じ事が言えるのですが、当時僕は、若かったし、それなりの資力も持っていましたから、組織に属する者としてはあるまじき行為と自覚しながらも、この少女を見捨てることが出来ず、僕自身が自腹を切って薬を買い与えた次第です。

ただ、その時、彼らに伝えたのは、この支援はあくまでも僕個人の持ち出しに拠るものであると言う事と、

『申し訳ないが、ここでダメだったら、骨髄移植まではどうしようもないから勘弁して欲しい』

…と言う事でした。


…で、非常に運よく、この薬が効き、当時3歳だった妹さんは、命拾いをし、今では、元気にハイスクールに通っています...


そして、僕自身のこの‘蛮行’も(結果が良かった事で)何とか後で本部に認められ、何とか僕の方も‘一時立替’で事は済んだ次第です...

…で、この冒頭画像の絵は、絵描きのお父さんが、僕に恩義を感じ、せめてもの御礼にと下さったものです。(絵心のある方が、この絵を見られて、日本で売ればそれなりの価値はあるとの事でしたが、この国ではこうしたローカルの美術はどうしても買い叩かれる傾向にあり、絵描きさんとして食ってゆくのは難しいのです)

そして、この絵に描かれている元奨学生本人ですが、お父さんの血を引き、センスが良い事、それに僕らの支援で、国立大学の美術系学科を卒業してグラフィックデザイナーになる事が出来た事も相俟って、今では、日系企業とも取引があるようで、商用で日本にも何回か数ヶ月単位の出張をした事もあるようです。そして、最近、隣町に家まで建てたそうです...


表題を‘想像もしなかった未来に’…としましたが、僕自身、この学生がここまで出世するとは思いも拠らなかったというのが本当のところです。

もっと言えば、1,000人近く支援した中で精々4~5人ではありますが、収入レベルでは僕を上回った元学生たちが存在します...(まあ、僕の収入が低いと言う事でもありますが...)

確かに彼らの成功は嬉しいです。けれど、反面、彼らが成功の階段を駆け上っていた間に僕は何をしていたんだろう…そんな感じも正直しているところです...


…当時の事を思い出して、20万近くのお金を一時に自腹で出した事、それに嫁の家族に対しても同じような事をした事もありますが、正直、今の僕にはそれは無理です。(この前のデング熱の際にも大変な思いをしましたし…)

その辺りを思うとやっぱり寂しいですね...(より一層貧乏になっている言う事で…苦笑)

まあ、イマ、ココから頑張る…それしかないですね...


そんな風に思いを新たにした再会でありました...



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