【当NGO日本語教室の風景:撮影A・Nさん】
さてさて、久しぶりの日本語教育の話題です。
以前に書いた事があるかも知れませんが、今、僕は、NGO活動の一環として、週に6時間(3コマ)、日系企業でのアルバイトとして、週2時間(1コマ)、計8時間(4コマ)の授業を持っています。当初は、その前準備に、教材なども自分で手作りして、授業時間の倍以上の時間を掛けていましたから、本当に大変だったのですが、最近では、各方面から教材の提供を受けたり、これまでの資料・情報の蓄積もあって、おかげさまで、最近は、少し楽になって来ました。
振り返って見れば、これを始めたのは、もう2年も前の事で、相当な時間を、日本語教育に費やして来ましたので、最近、僕の先生振りも少しは板に付いてきたのかな…と自画自賛しております。
…しかし、正直なところ、ここセブでの日常生活においては、日本語を使う場面など殆ど無いので、生徒たちの会話レベルは、中々、向上していないのが現状です。(苦笑)
…まあ、これは、日本人が日本国内で英会話をする機会が殆ど無くて、訓練不足の為、話せないのと同じ理屈でしょうね。ただ、確実に向上していると言えるのは、‘読み書き’の方で、上級クラスでは最近、一部、漢字の勉強も始めたところです。
これを特に、NGO活動の一環として行っている最大の理由は、日比の相互理解を促進する事であり、場合によっては、当方から出した日本就学生第1号のA君(今秋から日本の某国立大大学院で研究生として勉強を始める予定です)に続く人材を輩出する余禄もあるかなとも思いますが、まあ、何よりも先に、セブの若者たちに、日本語を教える事については、日本人の文化背景やら、思想・思考についても触れざるを得なくなる為、結果として、彼らとの距離が縮む事になり、‘そちらの方の効果’に期待はしているのですが....
また、教える側の僕も、英語を媒体としている事により、より一層、英語と日本語の違いを自覚し、そのスキルを磨くのにも役立っていますし、場合によっては、現地語での解説が有効になる場合もある為、日常、女房や、女房の家族たち、はたまた最近では、もうじき3歳になる娘が、話している‘ビサヤ語’に聞き耳を立て、頻繁に出て来る言葉については、一々、女房に解説を求め、それを日本語教室にフィードバックさせているような所もあります。(…多分、僕が娘に日本語と英語とを教える反面、何れ、近い将来、僕の方が娘にビサヤ語を習う事になるんでしょうね。…それほどまでに、子供が日常、耳から言葉を吸収するスピードは速いのです)
さて、ビサヤ語の表現の中で、僕が女房と付き合い始めた頃、本当に
‘ぶったまげた’
モノが一つ、ありました。まず、その状況を説明しますと....
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…それは、もう、6年前の事になりますが、女房との初デートに、(…と言いましても、現地の慣習により、一対一のデートではなく、女房には、二人の付き添いの叔母様が付いて来ていましたが...)僕は、少々、‘張り込み’まして、地元のちょっと高級な中華料理店へ皆を招待したのです。
…で、そのお店の主要な客層は、地元の華僑であり、味には定評があった訳ですが、そこでの食事中に、女房が、突然、日本語で、
『ああ、キモチいい!!』
…と、叫んだのです。
その時、ビールを口に含んでいた僕は、思わず、‘ブッ’と、吹き出しそうになりました.....
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…で、よくよく、そのワケを聞いて見ますと、彼女(女房)は、ビサヤ語の LAMI (ラミ)という言葉を安直に、そのまま日本語に置き換えただけだったのです。(…当時、女房は仕事の関係から、日本語の基本的な挨拶や、簡単な形容詞だけは、‘一応のボキャ’として持ってはいましたが、会話とかが出来るようなレベルではありませんでした)
要は…ですね。この LAMI という言葉は、日本語訳をすると、2通りの訳が出まして、
① ‘美味しい’
② ‘きもちが良い’
…という形容詞なんですね。まあ、‘美味しい’という感覚は、‘快感の一種’だと理解すれば、分からない事もないのですが.....
また、別の例では、フィリピン人に限らず、英語圏の人間が良く‘やらかす’勘違いですが、電話での‘hello’を‘もしもし’と訳すのは結構なのですが、その訳は何時でも何処でも同じなのだと早合点して、普通なら、‘こんにちは’というべき場面で、‘もしもし’…と、まあ、僕らにとっては、摩訶不思議な事を仰ったりするワケです。(苦笑)
…でも、嘗て聞いた話では、逆に、とある日本人が、‘If =もし’ という訳語にこだわったが為に、アメリカ人へ電話をかけた際に、“If If”(イフイフ)とやってしまった(その人にとっては、‘もしもし’と言った積もりだった)とか…(苦笑)
…まあ、こんなネタを日々、積み上げながら、面白くない語学解説に出来るだけ笑いを取り入れているのではありますが.....
上記のような例を‘生兵法は怪我の元’というのでしょうが、ウチの生徒に、この諺を解説するのは、かなり先の事になりそうですね。
因みにウチの女房は、‘ウマの耳に念仏’という諺の意味は、一応は、知っていまして、僕が、女房に、
『君に何を言っても、‘ウマの耳に念仏’だな....』
…なんて言うと、
『私は、ウマじゃない!!』
…と怒りますが、本当に分かっているのやら、いないのやら…(苦笑)
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日本語だと「気持ち良い」はちょいとヒワイな表現になってしまう時がありますからご注意を!ですね。(笑)
そうなんですね~~。…まあ、上の例では僕の受け止め方の問題でもあった訳ですが、その、‘ヒワイ’な方に聞こえて、ぶったまげた訳です。(苦笑)
‘マサラップ’と‘ラミ’…語感は殆ど一緒みたいで、‘快感を現す形容詞’のようです。
まあ、言えるのは、タガログ語にしろ、ビサヤ語にしろ、日本語や英語に比べると、何と言いますか、上記の通りなのですが、表現の幅が狭くなるみたいですね。特にビサヤ語では、時制のコントロールが粗くて、元々、‘現在完了形’という概念が無い…それ故に時間の観念があまい…という事もあるみたいですね。
…要は、そうした事が、ある種、文化水準を決めてしまっている部分もあって、フィリピンにおいては、教育を受け、一定水準以上の英語力を手に入れないと、特に北方の国で生まれたきめ細かい観念・感性を手に入れ辛い側面があるようです。
最近、「うちの3姉妹」とゆーブログ漫画が本になってるのを発見して購入してみたんだけど・・・
要は、漫画家さんでもあるママが3姉妹を育てていく子育てブログ・・・
なのですが、人間の子供の言葉のへなちょこ理解力にものすごく激しくうならされてしまったよ~~~www
人間て、生まれてきたら耳から言葉を覚えていくでじゃない??
そうすると「空耳アワー」状態で覚えて、微妙に使い方も間違ってたりなんかして・・・
(しかも発音も間違ってるw)
「なるほど~~~www」なんて思う間違った物言いなんかもあって、かなり楽しんで読んでますww
amebaブログで「うちの3姉妹」、是非ご一読してみて
語学を教えてる権兵衛さんも楽しめると思うんだぁ~~~
英語でいえば、I say it. I say it.ですか。権兵衛先生?
私は、ビサヤ語をよく理解していませんから、コメントできませんが。
先生は、奥様に「ウマの耳に念仏」とおっしゃった後、奥様は、答えられて 『私は、ウマじゃない!!』『私は、仏です!!』とつづけられたのでは?
失礼ながら、先生のご家庭を拝見しているとそうとも見れるのですが・・・
僕もウチの奥さんに話してると、仏様に話してるような気分になることがよくあります。特にコチラが教えてやろうなんて気が少しでもあると・・・見事にそんな気分にさせられます。
>北方の国で生まれたきめ細かい観念・感性を手に入れ辛い側面があるようです。
確かに大雑把な感じがします。人と人との関係の作り方とか、会話が重要な要素となるような局面では、なにか別の智慧があるんでしょうかね?
反面に大雑把で強い情愛みたいなものを感じる時もあるし・・・
奥さんとは‘英語‘らしきもので話してますが、概念を持てないものを‘言葉‘にできるはずもなく・・・すごくまずしい言葉ではなしてるんだろうなって思います。でも説明するのもたのしいし、理解するのもおもしろいです。・・・イマノトコロハ(~_~)
ビサヤ人にとって、時間というものは微細な区別をする必要のないものだったのでしょうね。反対に、(私たちにとってはどうでもいい)あるモノゴトに関してはめちゃめちゃ表現の種類が多いのかもしれません。
かつて遊牧民の言葉をかじったとき、「羊」を指す単語の多さにびっくりしたものです。同様に、エスキモーたちには雪の形状に関する単語がものすごくたくさんあるとか。
概念を具体的に言葉として表現することで、思考が確立する…文明・文化の発展に「言葉」の広がりが必要なことは間違いないです。そしてその言語を話す人たちの暮らす自然・社会環境によって、詳しく区別する必要のある対象とそうでないものが取捨選択されてきたのだと思っています。
日本では千年以上かけて漢字を媒体として中国から言葉・文化をとりいれ、ここ100年ほどはカタカナという便利な道具を使って欧米の文化を効率よく吸収してきました。日本語は外からの情報を受入れ・吸収しやすい恵まれた?言葉だと思います。
フィリピン現地語には、理数系・法律・経済関係の単語(=概念)がもともと存在しなかったので、英語(嘗てはスペイン語)習得は単に外国語習得だけでなくて、世界水準的知識への足がかりとして不可欠だったようですね。
その点最近の「Taglish」現象は、面白いですね。これからどう進化していくのでしょう?
かと思いました
中華だったんですね
ラミはおいしいの意味しか知りませんでした
セブに滞在しているとき、私と嫁の話しているのを聞いて、6歳と12歳の弟が勝手に日本語を覚え始めました
子供恐るべし・・・ですね
れなさん、ありがとう!早速、見てみましたが…笑い転げました。(笑)
確かに、ウチの子も、取り敢えず、自分に聞こえたまんまを口に出しているようで、正確度は50%程度のモノでしょうか…(苦笑)
ただ、こちらで発音を言い直してあげると、‘すっ’と修正しますね。
これまで結構面白い事を言って、笑わせてもらったのですが、多過ぎて忘れてしまいました。
これからネタづくりの為、書き留めておきましょうかね...
物凄く古風な表現で、日本の電信電話の歴史を感じますね。
>『私は、ウマじゃない!!』『私は、仏です!!』
>とつづけられたのでは?
いや~~、流石にそうは言いませんでしたが、彼女のおかげで、良くも悪くも、こちらが悟りを開けるのかも知れません…(苦笑)
ただ、最後は‘キモチ’なんでしょうが、ウチも比国在住で助かっている部分は本当に多いような気もします。
日本に住んだなら、‘このままじゃダメ’って部分が本当に多いような気もします。