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ヒョータンのスタッフブログです!

料理やワインのちょっとした裏話など、ヒョータンの日常を皆様にお伝えできればと思いますので、どうぞお楽しみに!

雨の季節

2014-06-06 23:59:48 | 文学
こんにちは、アルバイトの手嶋です。

昨日今日と、雨がよく降っていますね。
今年もあっという間に梅雨の季節ですね…

今日は最近読んだ、楽しい本を紹介します。

「さよならは小さな声で」松浦弥太郎著
暮しの手帖 編集長の松浦弥太郎さんのエッセイ集です。
松浦さんが旅先で出会った美しいふるまいや、仕事への考え方などが
丁寧な文章で表現されています。
その中でも「コミュニケーションは手紙で」という項が心に残りました。
自分らしいライフスタイルを貫く為に、電話を引かず、
大切な友達とのやりとりは全て手紙で行う女性との出会いが綴られています。
私は毎日のようにメールやメッセンジャーの便利さを楽しんでいるのですが、
相手のことを考えながら、
ゆっくり便箋や切手を選んで手紙を書きたい気持ちになりました。

「非道に生きる」園子温著
「愛のむきだし」や「冷たい熱帯魚」など、
極端な表現が話題を呼んだ映画監督の半生を描いた自伝です。
どんな風に映画と向き合ってきたのか、どうして過激な映画を作るのか、
道なき道を生き抜いた先の希望が語られています。
最初から最後まで、文章からエネルギーが溢れていて、
読んでいるうちに元気が湧いてくるような本です。

今日はおうちにいようかな?と思う日は
本を読んだり、友達に手紙を書いたりのんびりして
元気をチャージすれば、次の日雨が降ってもはつらつと過ごせる気がします。

てしま

特にオチのない犀星先生の話

2013-12-13 14:48:21 | 文学
こんにちは、アルバイトの岡崎です。
年の瀬となり皆さまもご多忙の日々をお過ごしのことと拝察致します。
斯く言う私も今年一年のツケを払わされている真っ最中という感じです。
今年の厄は今年の内に落としておきたいものだなと日々痛感しています(笑)

灰色の十二月を過ごしている私なので、明るい話題の持ち合わせもなく、
不図一年前の自分は何をしていたかなと思い去年の手帳を見返していました。
詩が数編書きつけてありました。
残念ながら(?)私の自作ではありません(笑)
室生犀星の詩です。

室生犀星は大正から昭和にかけて活躍した詩人・小説家です。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」
ではじまる『抒情小曲集』(「小景異情」)が最も有名な作品ですが、
たしかに最近はあまり読まれなくなった作家の一人かなと思います。
去年の今頃、自分はずっと犀星の作品を読んでいました。
そのとき自分の心に響いた作品をここに載せてみたいと思います。

情熱の射殺
自分は結果の於いて恐ろしいことになるので
仕方なく引金を曳いて
自分の中にある情熱を射殺した
彼は何者かに擁かれたまま
鳶のやうに寂しく屋根の上から転がり落ちた
そして情熱と別れた自分は
冷たい巌窟のやうなところに
硝煙をあびたまま喪失者のやうに佇んでゐる――(『「鐵集」前後』)


選んだ自分もちょっとクサいなあと思います(笑)
でも去年の自分の心境はまさにこんな感じだったのでしょう。


盗めよ
右の手をもて盗めよ
君にのみ盗むことの
一つなる霊性のゆるさる
曲者はふくめんの黒
手をのべあひて
しづかにそそぐ夕の契(ちか)ひ
夜はしんの黒の黒
窓のともしびを消し
同志は黒のふくめんす(『抒情小曲集』)


これを読んだときアラビアンナイト的なイメージがぶわっと広がりました。
すごくロマンチックな詩だと思い、とても気に入っています。
「一つなる霊性」を深読みすればするほど、妄想力が駆り立てられます(笑)

自分の心の状態によって詩から受けるイメージというのも全く違ってくるので、
そんな変化を面白いなと思いながらいつも読んでいます。
お気に入りの作品が見つかったら、またご紹介したく思いつつ…。

岡崎

6月とさくらんぼ

2013-06-28 17:31:09 | 文学
みなさま、こんにちは。
ご無沙汰致しております。
アルバイトの岡崎です。

ひと月過ぎるのは早いものですね。
6月は個人的にとても充実した日々を過ごしておりました。
約一ヶ月間地元の高校生と触れ合い、一生に一度しか出来ない経験をたくさんして来ました。
そのお話もいつか別の形で出来るといいなと思います。

さて今回は何を話題にしようかというと、私がいまの場所に住みはじめてから毎年6月にしていることです。

お墓参り、なんですが。

誰のかというところが重要ですね。
6月19日と言えばピンとくる方もいらっしゃるかもしれません。
「桜桃忌」と称して毎年三鷹の禅林寺でこの方の法要が行われています。
作家の太宰治です。
今年はさすがに当日には行けなかったので、遅れて墓参して来ました。
毎年墓前にさくらんぼが山のように積まれるのが印象的です。

6月19日は正確には太宰治の命日ではありません。
入水自殺を図った玉川上水から遺体が上がったのがこの日なんですが、それが奇しくも太宰の39回目の誕生日と同じだったので、故人を偲ぶ日として定められたそうです。
死んだ日が生まれた日と同じくされるのは偉人の証なんでしょうか。
たしか坂本龍馬も暗殺されたのが誕生日と同じだったような気がします。

今回は近くにある太宰治文学サロンにまで足を伸ばして来ました。
レプリカですが太宰家の表札が展示してあって何だか感動してしまいました。
グッズショップではストラップと鉛筆を購入して来ました。
鉛筆には「メロスは激怒した」の文が刻んであります。

「走れメロス」は太宰作品のなかで私の好きなもののひとつです。
単純なストーリーで読みやすく、主題も把握しやすいためよく国語の教科書に採用されますが、詳しく読むといろいろと突っ込みどころの多い問題作です。
そこがまた好きなんですが。
寺山修司が書いたものに「歩けメロス」という評論文があります。
「歩け」というところに寺山修司ならではのセンスを感じます。
これがメロスの痛いところを突きまくっていて読むとスカッとするんですが、同時に学校で教えられる国語のお行儀のよさにびっくりさせられる文章でもあります。
メロスに激怒!したかったらぜひ一度読んでみてください。

またまた文系な話になってしまいました。
次回はローカルなネタをもう少し広げていければいいなと思います。
それではまたお目にかかれますよう。

アルバイト 岡崎

昔、女ありけり…

2013-05-31 19:06:51 | 文学
こんにちは、二度目まして。
またお目にかかれて光栄です!
本日は、アルバイトの岡崎がみなさまにブログをお届けしたいと思います。

さて、突然脈絡のない話で申し訳ないのですが、みなさま『枕草子』って覚えてますか?
高校生の頃、タメにならない(と思っていたであろう)古典の授業で出てきたアレです。「春は曙…」ではじまる、今で言うところの「エッセイ」の最初の作品です。
なんでこんな話をはじめたのかと言うと、私ごとで恐縮ですが、実は今、教育実習のため数年ぶりに母校の高校に帰ってきております。
そこで、かわいい(!)後輩たちに教えることになっているのが、この『枕草子』なんですね(笑)
「げっ…、よりによって古典を教えにゃならなんのか…(←自分も苦手だった)」と思いつつ調べはじめた『枕草子』なんですが、……なかなか面白い!すごいぞ清少納言!!
ということで、生徒の前でこの作品の面白さを語る前に、軽い練習のつもりで(って言ったら失礼かな)、まずこの場を借りてお話出来たらと考えたわけです。(暫しお付き合い頂けたら嬉しいです!)

『源氏物語』の作者の名前を聞かれれば、こちらのほうが答えられる方は圧倒的に多いんじゃないかと思います。
『源氏物語』の作者、紫式部と清少納言は同じ時代を生きた人なんですね。
どちらも同じ天皇の二人のお后さまにそれぞれ仕えた女性だったんですが、清少納言が宮仕えを退出した後に紫式部が入れ替わりに宮中へ入った形だったので、残念ながら(?)この二人に面識はなかったとされています。
紫式部は自分の日記のなかで「清少納言は気に食わない女」とメチャメチャに批判しているんですが、なぜかと言うと、それは彼女が自分の『枕草子』のなかで漢文の知識をひけらかしているからで、そのことを指して紫式部は「イケスカナイ」と言ってる訳なんです。
この時代、漢字で書かれたもの扱うことは男性の領分とされ、一方、女性に認められていたのは平仮名で読み書きすることだったので、清少納言がやっていることは当時のジェンダー意識からするとある意味マナー違反だったんです。
しかし、その暗黙の了解をあえて突き破って、女性も男性に負けないくらい漢文の知識があるぞ、しかもそれを生活のなかで応用する能力も十分備わっているんだ(当時、貴族の教養としてまず一番に求められたのは和歌の才能だったので、多くは男性との歌のやり取りのなかで描かれています。)、ということを示して見せたのが、『枕草子』で清少納言がやったことだったんです。
かなり挑戦的なことをしていると思いませんか?

女性の地位向上、と言うか、創作の上での女性の意義について、方向性は違うけれど、実は紫式部も似たようなことを考えていたんです。
平仮名で書かれた物語やお伽話は、理知的な男性たちからすれば「絵空事」としてずっと蔑まれてきた、という意識がこの時代の背景にあります。
紫式部は『源氏物語』のなかで主人公の光源氏に、「物語のなかにこそ、生きた人間の姿がある」とあえて言わせているんです。
清少納言が『枕草子』のなかで積極的に当時のジェンダー意識を撹乱したのに対し、紫式部はあくまで、したたかに、女性の領分とされた物語文学のなかでその重要性を主張していったんですね。
今、私たちが古典の作品として真っ先に名前を挙げられるものも、その多くはこうした女性たちの手によって書かれたものだと言うことを考えると、日本の文化に与えた彼女たちの影響の大きさについて改めて考えさせざるを得ない気持ちになります。

社会で戦う女性たちはいつの時代も変わらずカッコいい!ということで、今日の話のオチにしたいと思います(笑)

岡崎