秋の彼岸、父の墓参に故郷に帰り、ついでに実家に立ち寄った。2年前に東京で働いていた姉と、大学を卒業した姪っ子が同時に帰ってきてから、実家に私の居場所はなくなった。帰省の際も数時間、立ち寄るだけだ。それでも、これまでの膨大な親不孝を少しでも挽回しようと、母の肩もみをして帰ってくることにしている。
母が自分で使っているという小物入れをくれた。よこ5センチ、たて10センチ、高さ5センチくらいの木箱でスライド式の天板がふたになっている。
手作りのようだ。聞くと、父親が作ったらしい。 母が20代のころのものらしい。多分60年くらい前のものだ。おれより年寄りだ。
母が小学校教諭をしていた時に使っていた「チョーク箱」。かつては、小学校では黒板に白墨で板書して生徒に教えた。チョークは字を書くごとにすり減っていくし、折れやすい。また、おしゃべりをしている生徒に投げつけたりもするから、かなり急速に消費される。だからどの先生も自分のチョーク箱をもって10本くらいは入れて持ち歩いていたと思う。
木箱は何度も塗装を塗り替えられ艶やかで、その効果だろう、天板の滑りが非常に良い。
昭和40年代ごろまでは、男性は家族が使う道具はだいたい自分で作った。女性は家族が着るものはだいたい自分で作った。
おれは、元気だった頃の父の姿をあまり覚えていない。だから、父が若かったころの父のものに執着がある。
昭和30年ごろの背広は、いまでも使っている。仕立屋さんの住所は「勿来市」(現在のいわき市南部)とある。社会の窓がボタン式。使いづらいが、おれが知らない、元気だったころの父と時間を共有できるようでうれしい。
この木箱には、お気に入りの加藤製作所の万年筆を入れている。
父が60年前に作った箱。自分にとっては、なかの万年筆より貴重な品だ。
小学4年のときから父は病に伏した。
現在、息子は中学2年。息子の記憶の中の自分は、できるだけ長く元気な姿でいたいものだ。
※このところ仕事が立て込んでいてブログアップを忘れていた。最近はアクセス数など気にならなくなったが、11年間、入院時以外は毎月アップしているのがこだわり途切れるところだった。9月30日、ぎりぎりセーフ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます