前回ブログについて。
フレディ・マーキュリーさん、コメントありがとうございます。
ふるさと福島に誇りをもち、卑屈になることなく、被災県であり被曝県である福島の事実と民の心を伝えていければと、さらに思いを強くしております。
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このブログを始めて9月でちょうど丸5年になります。
コメントに対して、初めてコメントさせていただきます。
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私の表現が稚拙だったために誤解されたのかと思われるのですが、補足説明させていただきます。
私は、「福島」を恥とは思っておりません。
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前回ブログ中、秋田県の宿泊先の駐車場で「福島」ナンバーを隠したいと感じたとした記述についてですが、福島の人を泊めたという理由で宿泊先に今後いわれなき被曝騒ぎが起きないか、という心配からの躊躇であって、決して、福島県人の自分への卑屈や恥と感じてのことではありません。
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「3.11」の夜、私は息子宛の遺書を書きました。
その夜、妻は双葉町に住む両親や兄弟と連絡が取れないままでした。家財が飛び散った家の中を片付ける気力もないまま、なんとかつくった就寝スペースで、妻と息子が寝静まったあと、楽譜ノートの空きスペースに書きました。
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「お父さんは新聞記者として多くの不幸に接してきましたが、今回の不幸は特別です。そして、これからさらなる大きな不幸が福島に訪れるはずです。地獄はもっともっと大きく広まるでしょう。お父さんとお母さんは頑張ります。でも、いつか力尽きるでしょう。お前は頼るものをなくします。そのあとは、自分の力と才覚によって生き抜いていきなさい。自分のすべての能力を注いで生き抜きなさい。生き抜くことこそ最善の策です。そうして、お前の子どもたちにこの時代を伝えてください。生きて生きて生き抜くことが、お前の仕事です」。
概ねそんな筋。
その中で、とりわけ強調したのが「自分と、自分の家族と、自分の故郷に、誇りを持ち続けてください。それが自分への大きな励ましになります」といった旨。
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長々と説明させていただきましたが、以上の理由によって、私が「福島」を恥じることはないのです。
フレディさん、コメントを本当にありがとうございます。
妻の両親は、家もありませんし、自分たちが入ると思ってきたお墓さえありません。でも、健康です。ともかく元気に生きています。
ほかの土地に行ったことがない田舎者です。生まれ、育って、死んでいくと思っていた土地。ふるさとは、そんな土地です。
きっと、帰ることはできないです。が、それでも、ふるさとを恥じることなど決してあり得ないのです。
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