『リトアニアの英雄 聖カジミロ』アロイジオ・デルコル神父著
◆12、聖カジミロの使命
聖カジミロの使命は、リトアニアの国民をプロテスタントから守ると同時に、東に面しては、離教教会の危険からも守ることにあった。では、そのいきさつを述べよう。
モスクワの太公は、ツァー(皇帝)となったとき、西に向かってその領土を広めようとの野心に燃え、リトアニアを攻めることにした。
一方、リトアニアはカトリックであったが、離教教会のものとなっていたロシアは、リトアニアのカトリック者の英雄である聖カジミロをきらって、その崇敬に賛成しなかった。1654年にはロシア軍はポロクの町を占領したとき、まず第一に聖カジミロのチャペルを焼きはらい、モスクワの離教教会の大主教は、聖カジミロを破門したほどだった。こうして、170年も前に帰天していたこの聖人は、これほど離教徒のロシア人からきらわれていたのである。
同じ年にロシアの将軍シェルメチエフがポロクの町を占領したときには、聖カジミロのチャペルを焼きはらっただけでなく、カトリックの大聖堂を汚して馬小舎として使ったほどである。このとき、ひとりの美しい青年が将軍に現われて、「あなたたちは、わが国民が犯した罪くの罰である。しかし、わたしの国民はやがて、悔いあらため、その祈りは聞きいれられるだろう。それにひきかえ、あなたたちは、神から攻撃され、助かるみこみはないだろう」といったことが伝えられている。その青年は聖カジミロだったのである。聖人のこの最後のことばこそ、ロシア皇帝の王朝の亡びを暗示し、その予言は1918年に実現したと解釈する人もある。
◆12、聖カジミロの使命
聖カジミロの使命は、リトアニアの国民をプロテスタントから守ると同時に、東に面しては、離教教会の危険からも守ることにあった。では、そのいきさつを述べよう。
モスクワの太公は、ツァー(皇帝)となったとき、西に向かってその領土を広めようとの野心に燃え、リトアニアを攻めることにした。
一方、リトアニアはカトリックであったが、離教教会のものとなっていたロシアは、リトアニアのカトリック者の英雄である聖カジミロをきらって、その崇敬に賛成しなかった。1654年にはロシア軍はポロクの町を占領したとき、まず第一に聖カジミロのチャペルを焼きはらい、モスクワの離教教会の大主教は、聖カジミロを破門したほどだった。こうして、170年も前に帰天していたこの聖人は、これほど離教徒のロシア人からきらわれていたのである。
同じ年にロシアの将軍シェルメチエフがポロクの町を占領したときには、聖カジミロのチャペルを焼きはらっただけでなく、カトリックの大聖堂を汚して馬小舎として使ったほどである。このとき、ひとりの美しい青年が将軍に現われて、「あなたたちは、わが国民が犯した罪くの罰である。しかし、わたしの国民はやがて、悔いあらため、その祈りは聞きいれられるだろう。それにひきかえ、あなたたちは、神から攻撃され、助かるみこみはないだろう」といったことが伝えられている。その青年は聖カジミロだったのである。聖人のこの最後のことばこそ、ロシア皇帝の王朝の亡びを暗示し、その予言は1918年に実現したと解釈する人もある。