キリストのあかしびと 公教会の教父たち

公教会(カトリック教会)の諸聖人、教父、神父らの伝記を掲載していきたいと思います。彼らは、クリスチャンの模範です。

愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父 5

2018-04-13 00:01:28 | ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父
『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 5

 心の秘密は知るよしもありませんが、その頃学校のそはのキリスト信者の助けなる聖マリアの大聖堂で宣教師の送別会がありました。祭壇の上からドン・ボスコのあとをついだルア神父の話がひびきます。これに全員参加した生徒たちの間から、ヴェルシリア少年の熱い視線が宣教師たちの中のひじょうに若いひとりに注がれていました。

『ぼくもサレジオ会の神父さまになりたい』と、ヴェルシリアの心が思わず熱い決意を叫ばずにいられなかったほど、その人の態度は深い印象を与えました。やっぱり、そのとき、ドン・ボスコが、かれの心に叫びかけていたのです。かれは、以前から信仰に対して熱心でしたが、それからは、ますます燃えていきました。

 あれから、神学生になり、司祭になっても、かれは、イエズスと聖母マリアのみ心に対する信心を大切にしました。

 ローマに留学を命じられ、哲学博士号を得たヴェルシリアは、もうサレジオ神学校の先生です。22才になったばかりなのに、1895年12月21日、司祭に叙階されました。

聖ドン・ボスコのあの有名な夢のなかで、サレジオ会の宣教師は中国に入ったのです。でも、生存中は実現しませんでした。それがこの世紀になった今、実現されようとしています。

 1905年、最初のグループが選はれました。その団長に選はれたものの、出発がのびるのをみたコネルリ神父は、ある日ヴェルシリア神父を訪れました。

「わたしは団長にされたのに、どうしてたか分りませんが、目上があちらに行かせないような気がしてなりません。ああ、そうだ、神父さま、中国にはあなたが行きますよ、そして殉教者になるでしょう」。

 そんなこと、あるはずがないと思っていった冗談でしたが、その冗談が実現しようとは!・・・まもなく、コネルリ神父は病気になり、その代わりは、ヴェルシリア神父に決まったのです。しかし、乗船した一行に教皇の祝福をもって行き、その額を渡す役目をしたのは、コネルリ神父でした。

愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父 4

2018-04-13 00:01:05 | ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父
『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 4

 そのうち、まもなく夏休みになって家に帰って来ました。途中まで汽車で、それから先は乗り合い馬車です。「やあ、ヴェルシリア、大きくなったなあ、おまえ今にりっぱな神父さんになるぞ、わしには、ちゃんと分るんだ」と、かれと同じ町の御者はからかいます。「いやなこった!少年は馬車を飛びおりて歩いて帰ります。「あきれた子だ、冗談だよ」と叫ぶ御者の声。

 ヴェルシリア少年の好きなものは、数学と馬です。「ぼく大きくなったら獣医になるんだ」と」口ぐせのようにいう少年のとなりに、ひとりの軍人が住んでいました。りっぱな馬をもっているこの人と、少年は仲よしになりました。馬の世話をしてあげるかわりに乗馬をゆるされたヴェルシリアは、大よろこび。夏休みを馬に乗ってかけまわりま免『やっぱり、ぼくの未来は、将校がいい。すてきな馬に乗り、戦場をかけめぐる軍隊の先頭を行くんだ!』と、はてしない空想に胸をおどらせながら・・・

 イタリアでは、10月から新学期が始まります。トリノに帰った少年は、もう中学3年生です。ドン・ボスコも病状が悪化したので、トリノに帰ってきましたが、少年は、まだドン・ボスコの所へはいきません。たとえ行こうと考えても、不可能になっていました。それにしても・ドン・ボスコは、天国から少年の心に話しかけたのでした。中学3年生を卒業したヴェルシリアが、8月には、志願者の黙想会にあずかっているではありませんか!

 あとで、おかあさんの話によると、あんなに軍隊や軍馬のことに心を奪われていたのに、かれは、中学3年の途中で、ドン・ボスコのもとにとどまる決心をしていたのです。

 心の秘密は知るよしもありませんが、その頃学校のそはのキリスト信者の助けなる聖マリアの大聖堂で宣教師の送別会がありました。祭壇の上からドン・ボスコのあとをついだルア神父の話がひびきます。これに全員参加した生徒たちの間から、ヴェルシリア少年の熱い視線が宣教師たちの中のひじょうに若いひとりに注がれていました。

『ぼくもサレジオ会の神父さまになりたい』と、ヴェルシリアの心が思わず熱い決意を叫ばずにいられなかったほど、その人の態度は深い印象を与えました。やっぱり、そのとき、ドン`ボスコが、かれの心に叫びかけていたのです。かれは、以前から信仰に対して熱心でしたが、それからは、ますます燃えていきました。

愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父 3

2018-04-12 23:59:56 | ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父
『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 3

 この子は、だれでしょう? アロイジオ・ヴェルシリアです。1873年6月5日に北部イタリアのオリヴァジェッシという小さな町に生まれました。兄弟としては、ふたりの姉妹だけですが、家庭でよい教育をうけ、教会ではミサ仕えをします。明るく、数学が得意で、信心深いこの子をみるとき、町の人は、「きっとこの子は神父さまになるでしょうね」と話します。でも本人は、そんな話に耳をかしたくないのです。

 「ねえ、アロイジオ、おまえ、トリノのドン・ボスコの学校に行かないかえ」とすすめる両親に、少年は答えました、「ぼく、絶対に神父さまにならないという条件でいいなら、行くよ」

 こんな条件で寄宿生になったのですから、今度、ドン・ボスコから、「話があるからおいで」といわれると考えたのでした。『話って、何だろう? ひょっとして、神父さまになれとすすめるのではないだろうか?』と。行かなかったのは、このためでした。

 そのうち、まもなく夏休みになって家に帰って来ました。途中まで汽車で、それから先は乗り合い馬車です。「やあ、ヴェルシリア、大きくなったなあ、おまえ今にりっぱな神父さんになるぞ、わしには、ちゃんと分るんだ」と、かれと同じ町の御者はからかいます。「いやなこった!少年は馬車を飛びおりて歩いて帰ります。「あきれた子だ、冗談だよ」と叫ぶ御者の声。

愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父 2

2018-04-12 23:59:28 | ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父
『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 2

 1887年6月24日、トリノの学校では、盛大にドン・ボスコの霊名日が祝われました。その前日も荘厳な祝賀会が行なわれたのは、健康を損ねていたドン・ホスコを慰めるためでもありました。中学2年生を代表して、お祝いのことはを読んでいるのは、ルイジ・ヴェルシリアその人です。少年が読み終わって、ドン・ボスコの前まで進み、あいさつしようとしますと、その人は、ほほえんでいいました、「ヴェルシリアくん、あとでわたしの所においで、きみに話したいことがあります」でも、なぜか少年はドン・ボスコの所に行きませんでした。

愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父

2018-04-12 23:58:33 | ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父
『愛と潔白の殉教者 ヴェルシリア司教 カラヴァリオ神父』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ

◆ ヴェルシリア・アロイジオ司教

1873年6月5日 北部イタリアに生まれる。
1885年 トリノ市のドン・ボスコの学校に入学
1888年 ドン・ボスコが帰天してからサレジオ会入会
1895年12月21日 司祭叙階
1906年 サレジオ会最初の中国派遣宣教師の団長となる
1911年 マカオの北にあたる中国本ヒのシェウンチャオの新布教地に
1917年 カントン地区のシュチョウの新教区長となる
1920年 シュチョウの初代司教に叙階
1930年2月25日 カラヴァリオ神父とともに殉教
1983年5月15日 教皇ヨハネ・パウロ2世により列福式

◆ カラヴァリオ・カリスト神父

1903年6月8日 北部イタリアに生まれる
1913年 トリノのドン・ポスコの学校に入学
1918年 サレジオ会入会
1922年 ヴェルシリア司教に中国の布教地に行くことを願う
1924年 中国に渡り、まず上海で、のちにティモル島で勉強をつづけながら布教
1929年5月18日 シュチョウでヴェルシリア司教により司祭叙階。リンチョウ教会の助任
1930年2月25日 ヴェルシリア司教とともに殉教
1983年5月15日 教皇ヨハネ・パウロ2世により列福式