『リトアニアの英雄 聖カジミロ』アロイジオ・デルコル神父著
◆12-3、聖カジミロの使命
1795年からリトアニアは、ロシアの領土となり、聖カジミロの祝日と、その賛美歌が禁じられるようになり、その聖堂は、離教教会の聖堂となった。
第一次世界戦争ののち、1918年からビーリニュスは、ロシアの支配をはなれて、ポーランドの支配下に移った。そして、第二次世界戦争のあと、1945年からリトアニア全土は、ソ連の支配下へと移っていったのである。
聖カジミロの聖堂は閉じられて、紙の倉庫となり、こうして、1962年からは、無神論の博物館にされた。
ビーリニュスの司教座大聖堂も美術博物館にされたので、聖カジミロの遺物は、今、ビーリニュスの町はずれにある聖ペトロ、聖パウロの聖堂に安置されている。それは、なん百年も前に解放された感謝のしるしとして建てられたあの聖堂である。
今でも信者は、その遺物の前にひさまずいて、こう祈っている。
「マリアの国であるリトアニアの保護者聖カジミロよ、あなたは、賛美を歌って、聖母を尊敬し、お聖堂の門前にひざまずいて、聖母のおん助けを願っておられました。
そして、地上のらくな生活と名誉をすて、潔白を愛されました。どうぞ、この国に、あなたの手本にならう潔白の花が咲くように取りついでください」と。
(ビーリニュスの町はずれにある聖ペトロ、聖パウロの聖堂。今は司教座聖堂のかわりに使われ、聖カジミロの遺物が安置されている。)
◆12-3、聖カジミロの使命
1795年からリトアニアは、ロシアの領土となり、聖カジミロの祝日と、その賛美歌が禁じられるようになり、その聖堂は、離教教会の聖堂となった。
第一次世界戦争ののち、1918年からビーリニュスは、ロシアの支配をはなれて、ポーランドの支配下に移った。そして、第二次世界戦争のあと、1945年からリトアニア全土は、ソ連の支配下へと移っていったのである。
聖カジミロの聖堂は閉じられて、紙の倉庫となり、こうして、1962年からは、無神論の博物館にされた。
ビーリニュスの司教座大聖堂も美術博物館にされたので、聖カジミロの遺物は、今、ビーリニュスの町はずれにある聖ペトロ、聖パウロの聖堂に安置されている。それは、なん百年も前に解放された感謝のしるしとして建てられたあの聖堂である。
今でも信者は、その遺物の前にひさまずいて、こう祈っている。
「マリアの国であるリトアニアの保護者聖カジミロよ、あなたは、賛美を歌って、聖母を尊敬し、お聖堂の門前にひざまずいて、聖母のおん助けを願っておられました。
そして、地上のらくな生活と名誉をすて、潔白を愛されました。どうぞ、この国に、あなたの手本にならう潔白の花が咲くように取りついでください」と。
(ビーリニュスの町はずれにある聖ペトロ、聖パウロの聖堂。今は司教座聖堂のかわりに使われ、聖カジミロの遺物が安置されている。)