『リトアニアの英雄 聖カジミロ』アロイジオ・デルコル神父著
◆11-4、その後
1569年、イエズス会は、リトアニアに入り、聖カジミロのすばらしい手本をみんなに紹介して、みごとにカトリックの信仰をプロテスタントから守りぬいた。その10年後イエズス会は、ビーリニュスに、一つの高等学校と一つの大学を設立したのだった。
さて、イエズス会とビーリニュスの司教ベネディクト・ヴァイナの努力で、1604年は、聖カジミロにとって、大きな光栄の年となって現われる。すなわち、5月10日、11日、12日に、聖カジミロの軽巖な大祝日が行なわれ、ていそしきかれにささげる新しい聖堂の定礎式が行なわれたのである。しかも、この大祝日の準備は1年間もかかり、かぞえきれないほどの人々が参加した。
その記録をかいたイエズス会の歴史家が注意しているように、この大祝日は、明らかに反プロテスタントのねらいがあった。こうして、あらたに力を得たカトリック信者は、聖カジミロの旗じるしのもとに整列したのである。
◆11-4、その後
1569年、イエズス会は、リトアニアに入り、聖カジミロのすばらしい手本をみんなに紹介して、みごとにカトリックの信仰をプロテスタントから守りぬいた。その10年後イエズス会は、ビーリニュスに、一つの高等学校と一つの大学を設立したのだった。
さて、イエズス会とビーリニュスの司教ベネディクト・ヴァイナの努力で、1604年は、聖カジミロにとって、大きな光栄の年となって現われる。すなわち、5月10日、11日、12日に、聖カジミロの軽巖な大祝日が行なわれ、ていそしきかれにささげる新しい聖堂の定礎式が行なわれたのである。しかも、この大祝日の準備は1年間もかかり、かぞえきれないほどの人々が参加した。
その記録をかいたイエズス会の歴史家が注意しているように、この大祝日は、明らかに反プロテスタントのねらいがあった。こうして、あらたに力を得たカトリック信者は、聖カジミロの旗じるしのもとに整列したのである。