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3-8-3 懐王への思慕

2018-09-05 03:53:16 | 世界史
『東洋の古典文明 世界の歴史3』社会思想社、1974年

8 楚辞の世界

3 懐王への思慕

 いま『楚辞』は十七編がのこっている。そのうち「離騒(りそう)」「九章」などの七編が、屈原の作と考えられる。
 ほかの諸編には、屈原のあとをついだ宋玉や景差の作があり、また漢の時代になってから作られたものも、ふくまれている。
 そうして『詩経』の詩が、歌唱されたものであっだのに対して、『楚辞』は朗誦されるものであった。
 ところで屈原か、はじめて懐王から追われた悲しみをうたった「離騒」は、『楚辞』のなかの第一の傑作である。
 屈原は、まず自分のうまれから、うたいはじめた。
  わが家は高陽帝(顓頊=せんぎょく)の子孫にて   わが亡(な)き父は字(あざな)を伯庸といった。
  寅(とら)の歳の初春、寅の月、        庚寅(かのえとら)の日に私は生まれた。

  父君は私の生まれつきを見て、     私によき名をたまわった。
  私に名づけて 正則(せいそく)といい、      私に字(あざな)して霊均(れいきん)といった。

  かく美(うるわ)しい生まれながらの質(さが)をもち、  さらにすぐれた才能をくわえた。
   江離(こうり=芳草)と辟止(へきし=芳草)の草を身にまとい、 秋蘭(芳草)をつないで帯かざりにしようか。

   ゆく水の流れに追いつけぬ気がして、  歳月が私を待たぬのをおそれ、
   朝(あした)に岡の上の木蘭(もくれん)をとり、  夕(ゆうぺ)に河の洲(す)の宿莽(しゆくもう、冬にも枯れぬ草)をとった。

   月日はあわただしくて とどまらず、 春はや去れば秋がくる。
   草木(くさき)のしおれるのを思い、      よき人の老(ふ)けゆくをおそれる。

   壮者を愛撫し 老醜を棄(す)つべきに、  どうしてその態度を改めたまわぬ。
   もし駿馬(しゅんめ)にのって馳せたまうなら、   いざ、私こそ その先導をつかまつろう。

   いにしえの三聖王の徳は純粋にて、   まことに衆芳(しゅうほう)がそのもとにあつまった。
   山椒もあり 菌柱(きんけい)もまじえて、     蕙(けい)や芷(し)のみつないで佩(お)びるのではなかった。

   かの堯(ぎょう)や舜(しゅん)が公明にして正大なるは、 大道にしたがって正しく進んだからだ。
   しかしなんと桀(けつ)や紂(ちゅう)の狂わしいことか、 それはただ脇道をせかせか歩いたからだ。

   おもうに悪党どもは逸楽をむさぼり、  わが行くては暗く 道はけわしい。

  しかし いかで身の災(わざわ)いをはばかろう、 御車(みくるま)のくつがえるのをおそれるのみだ。

  たちまち奔走して御車(みくるま)の前後にしたがい、先王(先祖の王たち)の遺業を追おうとしたが、
  しかるに君は わが心中を察せず、   かえって讒言(ざんげん)を信じて激怒したもう。

  もとより忠言が身の禍(わざわい)となるを知るも、みすみす捨てておかれようか。
  九天(九重の天)をゆびさして 私は誓おう、   ただ君のおんためを思えばこそ。

  夕ぐれに来ると言いながら、     ああ、なかばにして路をお変えなされた。

  はじめには私と約束しながら、     のち悔い、のがれ、心を移された。
  もはや棄てられるのをいといはせぬが、 君のしばしばの心がわりに心をいためる。
 屈原は、すぐれた天賦(てんぷ)の才能によって、政治をみちびこうと期待していた。
 しかし、それも懐主によって、むざんにくずれさった。
 けんめいに努力するにもかかわらず、王は心がわりして、意見をいれてくれない。
 ついで讒言(ざんげん)にあったさまを、せっかく植えた香草が、雑草に荒らされるのにたとえ、しりぞいて身の高潔をまもろうとしても、憂憤(ゆうふん)はおさえるすべがない。
 王が、讒言を信じたことは、うらめしい。
 しかし、いまは節(せつ)をまもって、しりぞこうとするが、なお救世の未練にたえかねる。
 そのような自分(屈原)を、姉がいさめた。よって四方の、空想の世界にあそぽうとする。
 いにしえの聖賢たちをたずね、さらに天にのぼって、天帝にまみえようとするが、ここでもいられない。
 進退きわまって、巫(みこ)にうらなわせると、なお遠遊することをすすめられる。ついに心を決した。

 こうして、吉占にしたがって遠遊する。
 崑崙(こんろん)をめざし、砂漠をこえ、車を八頭の竜にひかせて、日光のかがやく大空にのばった。
 ふと見おろせば、ふるさとがみえる。人も、馬も、かなしみ、なつかしみ、ふりかえるばかりで進もうとしない。
 「乱(らん)」(むすびの言葉)にいう。
  もうだめだ、国には人なく、私を知るものもいない。
  このうえは、どうして故都をおもおう。
  ともに美(よ)い政治をするものがいないからには、
  いざ私は、むかしの彭咸(ほうかん)の居(い)どころをめざして行こう。

 彭咸(ほうかん)とは、屈原がもっともしたっていた理想の賢人である。
 しかし、どういう人物であったのか、その事跡はよくわからない。


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