アントニオ・アウグスト・ボレッリ・マシャド著(成相明人神父訳)『ファチマの聖母』1997年(原著初版1975年)
◆32、マリア様の汚れない御心にロシアを奉献すること(2)
聴罪司祭イエズス会のジョセ・ベルナルド・ゴンサルヴェス神父にあてた一九三〇年五月二九日づけの書簡の中で、イルマ・ルシアは主イエズスがその心の奥深くに神の臨在を強く感じさせ、教皇に初土曜の償いの聖体拝領の信心を認可するように願うことを強く望まれたと伝えています。以下はイルマ・ルシアの書簡からの引用です。
「もしわたしが間違っていなければ、主はロシアでの迫害の終結をお約束なさいます。その条件は教皇様が荘厳かつ公の償いの業をなさった上で、ロシアをイエズス様の聖心とマリア様の汚れない御心に奉献なさり、さらには世界のカトリック司教たちにも同様のことをお命じになることです。教皇様はこの迫害を終わらせるためにすでに申し上げてある償いの信心を認可し、奨励なさらなければなりません」(回想録404ページ参照)。
その後、もう一つの内的な照らしによって、主はイルマ・ルシアにロシアの奉献がまだなされていないことについて不満を漏らされました。
「あの人たちはわたしの願いを聞き入れてくれなかった。彼らはフランス王のように後悔するだろうが、そのときはもう遅過ぎる。ロシアはその誤謬をすでに世界中に広めていて、戦争と教会の迫害は止まることを知らないだろう。教皇も大いに苦しむことになる」(回想録464ページ参照)。
一九三五年一月二十一日、イエズス会のジョセ・ベルナルド・ゴンサルヴェス神父にあてたもう一通の書簡の中でイルマ・ルシアは「主イエズスはご自分の願いが聞き入れられなかったので大変にご不満です」と書いています。(回想録412ページ)
一九三六年五月十八日、イルマ・ルシアは同じ司祭に次のように書き送っています。
「もう一つの問題ーロシアの奉献が実現するようにわたしが主張し続けることがふさわしいかどうかーについてですが、わたしの返事は前回とほとんど同じでございます。まだそれが実現していないことを残念に思います。しかしそのことを願われた同じ神がそれをお許しになりました・・・わたしが主張し続けることがふさわしいかどうかわたしには分かりません。もし教皇様が今そうなさったら御父はそれを受け入れて下さり、約束を果たして下さるような気はします。教皇様がそうなさったら主とマリア様の汚れない御心がお喜びになることは聞違いないと思います」。
「このことに関してわたしは内的に主とお話しています。つい先だってわたしは神様に教皇様があの奉献をすることなしにロシアを回心おさせにならないか聞いてみました」
「『わたしはその奉献がマリア様の汚れない御心の勝利であるとわたしの全教会に認めさせたいのだ。そうすれば、その後もマリア様の汚れない御心への信心が栄えるだろうし、それがわたしの聖心への信心と並ぶ信心になっていくであろうからだ』」
「しかし神様、教皇様はあなたが特別な霊感で教皇様を動かさない限り教皇様はわたしを信じて下さらないでしょう』」
「『教皇か?教皇のためにはたくさん祈りなさい。彼は聞き入れてくれるだろう。しかし、その時はもう遅過ぎるだろう。それでも、マリア様の汚れない御心はご自分に委託されているロシアを救うことになるだろう』」(回想録412、414ページ参照)。
(注)「彼らはフランス王のように後悔するだろうが、そのときはもう遅過ぎる。」
これは、聖マルガリタ・マリア・アラコックを通じて、わたしたちの主がルイ十四世になさった約束への間接的言及です。主は王に恩寵の生活と永遠の栄光、彼の敵に対する勝利を約束なさいました。ただしそれには条件がありました。それは、王が自分を聖心に奉献すること、王の宮殿の統治を聖心にゆだねること、聖心を王の紋章入りの旗に描かせること、聖心を王の紋章の中に刻ませることでした。
一七九二年、ルイ十六世が神殿の塔と呼ばれる牢獄に幽閉された時点で、この願いはまだ聞き入れられていませんでした。王は、もし自分と家族の自由、王位、王としての権力を取り戻したら、イエズスの聖心に自分自身、その家族、その王国を奉献ずる願を立てました。しかし、もう遅すぎたのです。ルイ十六世は、死刑執行の日まで牢獄から出ることを許されませんでした。