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地獄の永遠性(2)「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』

2023-09-21 22:10:02 | 天国・地獄

マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年

29.地獄の永遠性(2)

 誤り得ざる公教会は福音に基づくから、第五回の公会議にて「地獄に於ての悪魔の罰、あるいは、罪人の苦しみは唯しばらくの間である。いずれ限りがあると、口に云うまでもなく、唯心に思う者あれば、その者は破門すべし」と。地獄の苦しみが永遠でないとすれば、天主は造物主とは云われぬ。何となれば、無害に天主を嘲弄する事が出来るからである。罪は永遠であるから、地獄は永遠でなければならず、霊肉分離の際から永遠、そのままおかれる。

 即ち善者なれば天主に背く事の出来ぬように善に固定すると同様、罪人は永遠に悔い改めをする事が出来ぬ悪に固定する。

 とにかく、わかるわからぬにかかわらず、明白かつ確固たるイエズス・キリストの聖言葉を信じ、真心かつ謙遜な信仰をもって使徒信経の「終りなき生命を信ず」を毎日唱えて貰いたい。

 地獄の苦しみが永遠でなければならぬのは、彼庭に於いて、聖寵が受けられぬからである。永遠という性質に因って、地獄の苦痛は、限りが無いとしばしば論じたが地獄に在る罪人の上に、変化改心、赦宥を乞うなどの時期が仮にあるとしても彼らのため、その時期が全く無駄になる。

 その理由は、自己が受けている罰の原因がいつも自己に存在するからである。罪人が現世を去る時、罪を選びとったため、地獄に落ちる者は悪に固着し、悔い改めが出来ず改心する時期を利用する事が出来なかった。この時期を有効ならしめんには大切な聖寵を要するのである。ところで聖寵をこうむるのは、人の功績の結果ではなく、イエズス・キリストの御功徳より出ずる。この恩恵は天主より一般、人類に代価なしに降し賜わる超性的恩寵を得ずは到底人類は改心が出来ぬ。





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