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25.地獄の火は闇黒の火である「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』

2023-09-10 02:43:25 | 天国・地獄

マキシム・プイサン神父「地獄(第二の死と云われる永遠の滅び)」『煉獄と地獄』岸和田天主会教会、1925年

25.地獄の火は闇黒の火である

地獄の火は闇黒の火である
(テレジア童貞の感想)

「彼の手足を練りて之を外の暗に投出せ」
(マテオニ十二の十三)と云う御言葉をもって天主は地獄が闇黒の中に在ることを教えられている。聖書及使徒の書簡中には悪魔を指して「黒闇の王、闇黒の権力者」と呼んでいるのを見るのである。聖パウロは「汝等は皆光の子、昼の子にして、我等は夜のもの、暗黒のものにあらざればなり。」(テサロニケ前五:五)と云われた。

 又、地獄の闇は火、そのものと同様物質的である。この二者は少しも矛盾しない。火はその天然の状態に於て空気中のガスの中で燃ゆる時、何時も、多少、光を帯びているのは事実であるが、地獄に於ては火の成分は完全にその素質を存じながら、ある先天的特質を失い、他の超自然的性質、即ち火自身の有せざる素質を得るのである。

 聖トマが聖バレル・ルグンラの説にもとついて「火は、神の権力によって、その焼失の特徴を失い、只その可燃性のみが、罪人の霊魂を苦しむるたあに用いられるのである」と教えたのは、即ち是れがためである。聖トマはなお付け加えて「この地球の真中にある地獄の中には、暗い煙に満ちたような火の外はない」と云った。

 聖グレコリオ・ルグランは、罪人は光及闇の中で、地獄の炎の光で、彼らと共に罪を受ける者を見る事によって苦しめられるのである。

 聖テレジアはある日非常に精神的に楽しみを感じていたら、み主が御現われになってもしテレジァが今までどおりよく天主につかえ、よく天主を愛するならば、永遠の幸福を得うるる保証をされ、なお一層罪の憎むべきこと、及地獄の罰の恐るべき事を感じさせるために、地獄の光景を目のあたりに見せしあられた。

「ある日のこと、自分は祈祷の最中、わずかの間肉身と霊魂と共に地獄に落されていた。自分が行を改めず、罪を犯して死んだならば、悪魔が準備した所へ行かねばならぬことを天主がお見せ下さるのであるとわかった。

 それは如くわずかの時間であったが、その記憶は何年たっても決して忘れることが出来ぬ。この地獄の入口はきわめて底くて、暗く、狭いカマドの如くに見えた、又地面は不潔きわまる泥檸で、悪臭鼻もつき一面に満ちていた。端の方に障壁がもうけられ、その中に狭い通路があって、そこから自分は幽閉されたのである。

(続く)




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