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『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 13

2017-03-19 02:12:55 | リジューの聖テレーズ
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 13

 司教さまと家族はみんなお聖堂に行って、着衣の式を待っていました。そのあいだ、父と別れたテレジアは、右の手にローソクを、左の手を院長にとられて廊下を歩きます。ふと目に入った幼ないイエズスの小さなご像!まるで自分にほほえみかけるかのようです。喜びにあふれて見るひだりての中庭に、テレジアは、あっと驚きました。

 庭を埋めつくした銀世界!思いもよらぬ純白の雪がつもっています。《着衣式の日に、白い雪を望んだわたしの密かな望みさえ、イエズスさまは聞き届けてくださった。だれがこれほどのおくりものを、愛する花よめに与えられましょう》とテレジアは思いました。

 その前日は、小春日和だったのに、ミサのあいだに急にふりだしたこの雪を、みんなも不思議に思いました。

 修道院に入ると個室で白い服を修練女の服にきがえ、美しい髪を切られて、白いベールをかぶらせられます。お聖堂にまつ人々には、格子の向こうに、大きなじゅうたんが藪かれ、ま'わりをゆりの花で飾っているのを見ました。

 ついにシスターの行列が現われ、テレジアはみんなに向かって格子の前にいます。うしろから修道服の白いマントを着せられると、かの女は、じゅうたんの上にひれ伏して、両手を十字架の形にひろげて待ちました。そのあいだシスターたちは、ローソクを手に、ミゼレレ(「主よ、あわれんでください」)の詩編を歌って、テレジアが世間に死んで、これからは、イエズスのためにだけ生きる使命をうけたことを告げるのでした。格子の向こうの深い沈黙!世間を放棄し、天使的な熱心さで自分を永久にイエズスにささげようとしているテレジアです。みんなは、感激のあまりに涙をおさえることができません。

『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 12

2017-03-06 06:46:58 | リジューの聖テレーズ
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 12

「まあまあ、わが子よ、神のみ旨なら、はいるでしょう」

 教皇さまの目は、慈父のやさしさをたたえています。でも、ご返事は・・・やっぱり失敗だったと思うテレジアの心の空は、もう晴れてはいません。

 ローマから帰って、司教さまが約束してくださった返事を待つ4か月の苦しいこと!でもついに、待望の日がやってきました。1888年4月9日です。

 その朝、家族とともにカルメル修道院の聖堂でミサにあずかったテレジアは、聖体拝領をすると、父の前にひざまずいて、祝福を願います。感激のあまり父は泣きながら祝福をあたえ、テレジアは立ちあがって修道院のなかに消えました。

 志願者の粗末な服にきがえて、テレジアが案内された個室は、ベット用の二枚の板とわらぶとん一つ、水がめに、ランプと小さな椅子だけです。なんという違い、そして厳しさでしょう!志願期は、ためしの一年で、掃除と庭の草ぬきが仕事です。なれないテレジアを院長さまは叱り、ある日、みんなの前で、「やっぱり思ったとおりでした。掃除をしたのが15才の子どもだとすぐ分ります」といいました。テレジアは、黙って頭をさげ、「こんなふうにとり扱われるのは、わたしにとって喜びです。イエズスさま、あなたをお慰めできますから」と心のなかでいいました。

 1年たって1889年1月10日着衣式の日がきました。父がその日のために準備してくれたりっぱな花よめ衣裳をつけ、テレジアは、家族とともにミサにあずかりました。聖体拝領をすると決定的な別れの時です。父が祝福を与えると、開かれた門のまえに待っているシスターたちの所へ司教さまが連れていきました。テレジアのうしろで大きな門が閉じられます。

『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 11

2017-03-05 05:26:15 | リジューの聖テレーズ
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 11

 父は、テレジアとセリーヌをつれて、2週間がかりのローマ巡礼に出かけました。ひそかなテレジアの目的のためにもです。なんと楽しい旅行だったことでしょう。イタリアの有明な巡礼堂をまわって、ついに、あこがれのローマに。

 はじめて見る聖ペトロ大望堂にテレジアは感激し、その墓で熱心な祈りをささげます。謁見まで、一週間あります。巡礼者たちは、ローマじゅうの聖堂にもうで、カタコンブにたどりつきました。わたしも、ここに眠る人たちのように、イエズスのために愛の殉教者になりたい!テレジアの心にあつい望みが燃えました。

 1887年11月2日、日曜日、きょうこそ謁見の日です。はたして、うまくいくかしら?おお、神さまと、念じてテレジアは、もう列のなかを進んでいます。かの女の勇気をくじくかのように、「教皇さまの前では、ひざまずいておん手にせっぷんしたら、すぐ立ち上って行かねばなりません」注意がいく度もくりかえされます。

 さあ、テレジアの番です。ひざまずいて、せっぷんして頭をあげたそのとき、かの女のまなざしは、教皇さまのおん目をみつめて離しませ.ん。おお、なんという大胆さ、テレジアは、「教皇さま」といいました、「15才のわたしにカルメル会にはいる許しをお与えください」

『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 10

2017-03-04 03:23:08 | リジューの聖テレーズ
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 10

 ある日、テレジアの目にとまった十字架上のイエズスのご像は、あまりにいたましく悲しげです、《イエズスさまは、人々の救いのために、こんなにおん血を流されたのに、それでもお恵みに逆いて地獄にいく人がいるとしたら、どんなにみ心は苦しまれることでしょう》と、テレジアは考えました。このときから罪人の救いのための熱心な祈りとぎせいがはじまりました。

 ちょうどその頃、世にも珍らしいといわれるほどの大悪人が死刑の宣告をうけました。死刑までにわずか2-3日しか残されていないのに、かれはどんなに司祭が努力しても回心しません。これをもれ聞いたテレジアは、かれのために愛のかぎりをつくして、特別な祈りをささけました。

 そして死刑のあった翌日新聞でみたことは何だったでしょう?「イエズスさま、カれを救ってくださってありがとりこざいます」とテレジアかれは死刑台にのぼりつめたときとつぜん心を打たれたようにふり返って、十字架にせっぷんしたのです。

 テレジアは、大よろこび、心に叫んでいいました、「イエズスさまが、わたしの小さな祈りと徳の花をうけいれてくださった!ああ、なんというしあわせ! わたしは、ひとりの罪人の魂を救えた・・・それなら、10人、百人、千人、いやそれ以上の魂だって救えるでしょう。そうだ、カルメル会にはいろう。そして祈りとぎせいと、いや、このいのりだって、なん千人の罪人のためにささげましょう」と。

 それにしても、16才まで1年半あります。とにかく父にゆるしを願うことにしました。もう3人の娘をささげた父です。目にいれても痛くない末っ子までもといったら、どんな気持ちでしょう? テレジアは胸の病む思いでしたが、聖霊降臨の日に打ち明けました。父は泣きました。でもいいました、「主がお召しになる所にいきなさい。わたしの愛する娘よ」



『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 9

2017-03-03 07:23:40 | リジューの聖テレーズ
『おさないイエズスの聖テレジア』企画:デルコル神父 文:江藤きみえ 9

 イエズスのおん母聖マリアのとりつぎで奇跡的になおったテレジアは、どんなに聖母を愛するようになったことでしょう。

 当時は満10才にならないと初聖体がゆるされなかったので、あと1年もまつのを、テレジアはとても辛く感じました。では、もっとりっぱに準備するため、徳の花をふやしましょうと決心したテレジアは、美しい一冊のノートをとり出しました。ポリーヌが修道院にはいるまえ、

「初聖体の準備として愛とぎせいの徳の花をここに書きなさい」といってくれたものです。テレジアは、できるだけたくさん書けるように、どんな小さな機会にも利用します。とうとう1884年5月8日になりました。

 はじめてご聖体のイエズスさまをいただく喜びで、テレジアの顔は、かがやくばかりです。シスターの学校でも3日間の黙想会を、このためにしていただきました。美しい白い服を着て、花のベールをかぶり、ミサにあずかりました。はじめから終わりまでテレジアは、もう嬉しくて、「愛するイエズスさま、わたしをあなたにおささげします」と、いくたび、くり返したでしょう!

 ご聖体をいただいたそのしゅんかん、そのほほを流れる涙が、かぎりないよろこびを映して、真珠のように光っていました。まるで天の喜びという喜びが、みんな小さな心に降りてきて、はり裂けるかと思われるほどです。

 初聖体の式は午前ちゅうに行なわれ、午後は、同じ仲間と、自分をマリアにささげる式です。このときも、みんなにかわって、その祈りをとなえるために選はれたのは、テレジアだったのです。ああ、どれほどの感激と感謝が、祈りのことばとともに天にのぼっていったことでしょう!

 初聖体の日の夕方、テレジアは、父といっしょにカルメル会の修道院を訪れました。ひさしぶりに見る婦の美しいこと!姉もまた白い花よめの服をつけ、頭にばらのかんむりをいただいています。姉のためにも、この日は、修練を無事におえて修道誓願をたてる日となっていたのです。その美しい姿は、イエズスの花よめとなったからでした。すぐテレジアの決心はきまりました、「そうだ、わたし、お姉さんのようにイエズスさまの花よめになるわ、あんなに美しい白いベルと花のかんむりをつけて・・・」

 でも、それから2年間もの長いあいだを、テレジアは悪魔のはてしない誘惑と戦わねばなりませんでした。