カトリック情報 Catholics in Japan

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シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者 21、晩年の活躍

2018-11-07 00:52:51 | シュステル枢機卿
『シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著

◆21、晩年の活躍

 つねに健康で、大活躍をしてきたカルディナルも、70才の声をきくと、少しずつ疲れを感じはじめてきました。ほとんど、かけ足で登っていた階段も、休み休み登るようになりました。それにしても、かれは生涯の最後の年もまた、視察のために、村に出かけて行くのです。

 今度ばかりは、さすがに説教ができませんでした。そのうち、司祭叙階金祝(50周年記念)の日がやってきました。みんなは、大喜びで祝いました。と、とつぜんそのとき、すばらしい声で説教しはじめました。まるで生きかえったかのようです。

 でも、教皇特使の命をうけて、南イタリアのサレルノ市で行われた、教皇聖グレゴリオ7世700周年記念の盛大な式典にあずかってから、急にからだの衰弱を感じました。

 帰途教皇さまにあいさつをして、ミラノに着くと、ふたたび視察をつづけました。それにしても、ジョベンツァーナ教会の階段を、もうひとりでは登れませんでした。かれは、ふたりの供に支えられながら、視察をつづけました。次にブリアンツォーラ村の視察もしました。が、これが最後となったのです。

(写真:サレルノ市から帰る途中教皇ピオ12世に報告するシュステル枢機卿)

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シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者 20、戦争被害者を救うために

2018-11-06 06:50:12 | シュステル枢機卿
『シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著

◆20、戦争被害者を救うために

 その他、カルディナルは、戦争と爆撃の後遺症を必死になって、いやそうとしました。

 3万もの家族が、家を失っています。これを、どうやって助けようか、《よし、焼け石に水一滴かも分らないが、わたしは全力をつくそう》とカルディナルは考えました。

 それにしても、かれが呼びかけると、驚くほどの人々がこれに答え、あらゆる所から集まってくる援助物資に司教館はもうぎっしりつまって動けないはどです。これらは、必要な人々に、どしどし配られていきました。

 その後、イタリアのポレジネに大洪水があったときも、またオランダに大変な洪水があったときも、カルディナルは、ミラノ教区の人々に呼びかけて、ひじょうに大きな援助金をおくることができました。


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シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者 19、ムッソリー二との出会い

2018-11-05 03:57:40 | シュステル枢機卿
『シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著

◆19、ムッソリー二との出会い

 訪問者のなかで、とくに目立っていた人々のなかに、ムッソリー二がいます。ムッソリー二は、あの育名なイタリアの当時の首相です。そのときまで、ミラノのファシストの代表者たちは、さかんに司牧活動の邪魔をしていたし、カトリックアクションの青年会に、どれほどの妨げをしたか分りませんでした。でも、そのときかぎり、ぴたっと迫害をやめてしまったのです。

 あれからみんなが"鋼鉄の同盟"と呼んだ同盟を、イタリアは、ドイツと結びました。

 ところで、5月3日は、昔からの習慣で、ミラノに保存されていた、イエズスが十字架につけられたときの1本の釘を尊ぶ盛大な行列がありました。

 ちょうどこの行列のときでした。シュステル・カルディナルは、大聖堂の入口に立つと、勇敢にも、はっきりと、こう宣言しました、

「イタリアが救われるのは、鋼鉄の同盟によってではありません。キリストの十字架だけがイタリアを救うのです」と。

 二度目にムッソリー二と会ったとき、カルディナルが、ドイツにおける力トリック教会を守るようにたのみますと、ムッソリー二は答えました、「ヒットラーの頭には、三つの釘があって、だれもこれをひき抜くことはできません。その一つは、種族の問題、第二は、ヘブライ人に対する憎しみ、第三は、力トリック教会に対する迫害です」と。

 カルディナルが最後にムッソリー二と会ったのは、戦争も終わりに近い頃で、ムッソリー二は、すでにドイッからもうらぎられて、希望がありませんでした。

 自分の政府の役人たちとミラノにやってきたムッソリー二は、使いを出して、カルディナルに、「あなたに会いたいので、県庁に来て欲しい」といわせました。

 カルディナルは、その使いに、「わたしは、カルディナルとしては、そちらに出向くことはできないので、あなたこ目身司教館においでください」とことづけました。

 こうして、ムッソリー二が司教館を訪れると、そこにはイタリアの新政府の代表者が来ていました。ファシスト政府の降伏をとり扱うためでした。

 カルディナルが、両方の陣営が自由に話し合えるように、部屋を出ようとすると、「いいえ、ここにいらっしゃってください、お願いします」とみんなが頼みました。

 まもなく、両方から口論が沸騰して、憤慨のあまり、ビストルに手をかけようとしているのが見えました。カルディナルは、今度は、大きな威厳をもって、これを止めたのですqとにかく最後に、降伏状にサインを迫られたムッソリー二は、一時間の猶予を申し出て、県庁に帰って行きました。それは、夜の8時でした。

 カルディナルは、ムッソリー二のために、どんなに戻ってはしいと願ったことでしょう。でも、かれは、9時になっても、司教館には姿をみせませんでした。

 そして、恐れていた通りのことが起きたのです。ムッソリー二は、スイスに逃げようとして、途中でつかまり、もう容赦はありませんでした。次の朝、ミラノのある広場で殺されたうえ、逆さ吊りにされて、民衆のさらしものになったのです。

 その噂はたちまち広まり、カルディナルの耳にも入りました。かれは、ひどく悲しみました。もうじっとしていられません。このようなことをした責任者に、抗議と嘆願をしました。

「なんということをするのです?こんなことは、野蛮人だけがすることです。恥しいと思いませんか。さあ、早く死骸をおろして、葬むりなさい。いや、お願いします。もし、おろさないなら、わたしが、広場に行って、自分で死骸をおろします」

 もちろん、処刑者たちは、そうせざるを得ませんでした。もし、カルディナルに死骸をおろされでもしたら、民衆の反感を買うことになります。


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シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者 18、変わった訪問者

2018-11-02 07:01:43 | シュステル枢機卿
『シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著

◆18、変わった訪問者

 またあるときは、変わった訪問者がありました。競輪のチャンピオンだったジノ・バルタリです。

 大司教は、おおよろこびで迎え、かれを祝福しました。

「大司教さま、新しい教会をお建てになるための献金をもってきました」バルタリは、こころ晴れやかに、栄光が与えてくれたよろこびの献金をさし出しました。

「ありがとう。主があなたに報いてくださいますように」司教は、バルタリの手をしっかりとにぎりしめて、いいました、「でもね、バルタリさん.、あなたは、無事に、最後の決勝点にまで、がんばらねばなりませんよ」それは、天国に入るようにというすすめでした

 それから何年かが過ぎた頃でした。「あの有名なチャンピオン・バルタリが事故でやられた、意識不明のまま病院にかつぎこまれたそうな」というニュースが、カルディナル(シュステル大司教)の耳に入りました。かれは、すぐさま病院にかけつけ、バルタリの枕もとに立ちました。かすかな胸の動きが、まだ生きているというわずかなしるしです。

 カルディナルは、聖母に信頼のまなざしを向けると、愛のかぎりをつくして、ベットの上にかがみこんで祝福を与えます、「イン・ノミネ・バトリス・エ卜・フィリイ・エト・スピリトゥス・サンクティ・アーメン」(父と子と聖霊のみ名によって。アーメン)。

 チャンピオンは、はっとして、われにかえったかのように目をみ開きました。そしてじっと大司教さまをみつめました。

「この前のことを思い出したでしょう?」とカルディナルがいうと、バルタリは、うれしそうに、にっこりして答えました、

「そうです、大司教さま、最後の決勝点です」

シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者 17、未来の教皇ピオ12世

2018-10-31 06:54:17 | シュステル枢機卿
『シュステル枢機卿 - 模範的な司牧者』カスティリオニ神父・デルコル神父共著

◆17、未来の教皇ピオ12世

 あるとき、未来の教皇ピオ12世パチェリ枢機卿もおいでになったことがありました。シュステル大司教のよろこびは大変なもので、全力をつくして、お泊めしようとしました。でも、他に用事もあって、すぐお帰りになったので、かれは残念がっていました。