落 城
朝日新聞というエリートを象徴する牙城が、ついに炎上、陥落した。
「誤報」があった、などと弁解しているが、何のことはない、全てが取材によらない、「思い込み」による「捏造」だらけだったのである。
今回の「吉田調書」(福一原発)、「吉田証言」(いわゆる「慰安婦」)、「南京大虐殺」、「沖縄珊瑚KY事件」、「靖国参拝問題」、などなど・・・(朝日新聞が作った捏造の歴史、朝日新聞の不祥事年表 など・・・)全ては朝日新聞による「歴史の捏造」であり、内容としては創作以外の何者でもない。
よくもまぁここまでハチャメチャやってくれるものよ、と感心するほどである。
朝日新聞社長の謝罪会見があったあと、「吉田調書のサイト」 には、「謝罪」の画面が追加された。
(調書の画面 前後)
(謝罪の部分)
と同時に、捏造した箇所を「赤字」で明示。
同様の場所の英語サイトででも、同じように「赤字」で示した。
この捏造記事が最初に配信されたのが2014年5月20日。
韓国のセウォル号沈没(2014年4月16日)後の乗務員が我先に逃げたことが国際的に非難されていた、ほぼ1ヵ月後である。
「日本人も逃げていた!! 」という記事は、韓国人の溜飲を大きく下げたという・・・・・・・・。
(当初記事)
(クリックで大画面)
捏造記事は、世界中のメディアも驚きとともに続々と報道。(元記事はここ ~謝罪会見後は、冒頭に「おわび」が記された。)
タイムズ紙やBBCニュース等は「2011年の危機に逃げた 福島原発労働者!」というようなタイトルで、東電や日本政府が、今まで情報を隠匿していた事や、第一原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田所長の待機命令に違反しして10km南の福島第二原発へ撤退していたという報道に、驚きと非難の声を伝えていた。
当初、日本政府は「吉田調書を公開しない」と言っていたので、朝日新聞としては、どんなウソを書いても絶対にばれないと踏んで捏造記事を書いたようなのだが、この記事の影響で、世界中では、「なんだ、日本人も朝鮮人と同じように逃げるんだ・・・」というイメージが植え付けられてしまった・・・・。
これこそが朝日新聞の目的だったのであり、なんとしても日本を、日本人を貶めたい、という目的を達したのだった(涙)。
こんな反社会的なことを平然と実行する企業の団体が、「新聞は情報伝達とともに公共性があるから税金まけろ !!」と騒いでいる。
お笑いタレントよりも、よっぽど面白・・・始末に負えないギャグを撒き散らしている。
・・・それにしても、760万部(実態は280万部で大赤字・・・)もの販売部数を誇る「天下の朝日新聞」だが、8月5日の早朝にメルマガ「勝谷誠彦の××な日々。」で、「朝日新聞が従軍慰安婦『問題』のデッチあげについて初めて謝った」との信じられない知らせに驚愕し、「こ、これは歴史的な !!」との思いで急遽、キヨスクや近くのコンビニに馳せ参じて購入しようとしたのだが・・・
・・・・どこにも 「天下のアサヒ」を扱っている販売店がない!
・・・新幹線が来ようかという富山駅のキヨスクにさえも置いてなく、とぼとぼ帰ろうとしていた道すがら、たまたま入った駅北口のコンビニで、缶コーヒーでも・・・と思って何気なく新聞販売のコーナーを見てみたら、なんと! ・・・「1部」だけ残っていたので、即、購入。
次の日も同じところに赴いて購入し、確保した次第。
(8月5日の朝日新聞)
ところで、
今回の朝日新聞社長の記者会見をきっかけに多くのサイトでいろんなコメントや解説などが掲載されているが、刮目したのは「BLOGOS」の一連の記事。
その中の1つは、「朝日新聞はどうして産経新聞に敗れたのか デジタルからの考察」という記事。
「産経はニュースを解放する道を選び、朝日はニュースを囲い込む道を選んだ。この過ちが、朝日新聞とネットの間に埋めようのない溝を作った。」とある。
「オープン化」と「クローズド」という戦略の話題では、PCとかが好例なのだが、これは、またいずれかの機会に・・・。
産経は、アーカイブ以外は、ほぼ全記事を無料で閲覧可能だが、アサヒや、その真似をした日経・読売・河北新報・北日本新聞等は紙媒体である 新聞「紙」 の購入を前提条件として、かつ、記事についても「有料」を原則としている。これでは二重取りだ。
この件については、以前にも「ありがとう・・・」の中で採り上げたことがあったが、些末な囲い込みにこだわったあげく、大事なことを見逃しているような気がしてならない。
また、「死もまた社会奉仕」 というサイトにも共鳴した。
「生命の損失は追悼するが、社会に迷惑を与えていた社会的人格の死は大きな意義を持つ。」
ジャーナリスト石橋湛山の言葉だそうである。
・・・・愚生、前職のトップとイメージをダブらせていた。
三顧の礼で迎えられたことには、それなりに応えたつもりだったが、所詮、地位を横暴と勘違いする程度の器、と諦観したからだった。
創業と、事業の社会的な貢献には敬意を表するが、金銭の取扱いには賛同しかねたし、人事考課への罵詈雑言は聞くに堪えなかった。
亡くなったとき、功績は功績として評価するが、偏狭な理屈とそれを吐き散らす者が消えてなくなったことに、社会的な意義を感じたものである。
「死」とは、人間社会を守る仕組みの1つであることを実感した・・・。
世の中には、金を持たせたらダメな者、地位を与えたらダメな者、酒を飲ませたらダメな者など、いろいろ いるものだが、醜いのは、周りの、 おもねるというか、媚びへつらう輩共である。
そのような者たちと一緒に、いわば、泥船に乗り続けていることを潔しとせず、三行半をつきつけた形となった次第である。
結果的には、他の中枢の職員数名を守れたのでは・・・、という自負もある。(まぁ、わかる人にはわかる話。それでいい。)