JBpress (福島 香織:ジャーナリスト)
2024年9月2日
この夏、習近平国家主席に関する噂・デマ・ゴシップが数多く駆け巡った(写真:新華社/アフロ)
中国では7月中旬に三中全会が行われ、8月上旬に恒例の北戴河会議が行われた。この2つの重要な会議の間、習近平をめぐるさまざまな噂、デマ、ゴシップが国内外を駆け巡った。中国政治の秘密主義、不透明さを思えば、こうした噂、ゴシップが起きやすいことは理解できるのだが、今年の夏の政治的噂、デマの多さは異様だ。その背景について考えてみたい。
7月、三中全会の最中に習近平が脳卒中で倒れた、という噂が流れた。その後、7月30日から8月19日まで習近平は公の場所に姿を現さなかったので、病気ではないか、肝硬変が悪化し肝臓移植の手術を受けた、といった噂がいくつも流れた。
8月に入り北戴河会議が始まると、政変、クーデターの噂が相次いだ。たとえば、李強や蔡奇が習近平から離反したとか。解放軍制服組トップの張又侠・中央軍事委員会副主席と公安部部長の王小洪が手を組んで、習近平を拘束したとか。紅二代メンバーらが、共青団派の生き残り政治家、元政治局委員の胡春華を後押しして習近平から実権を奪ったとか。
さらに温家宝が北戴河会議で習近平の腹心、蔡奇らを痛罵したとか。長老たちが習近平に反省をせまり、習近平に鄧小平路線回帰を受け入れさせた…などなどだ。
7月30日から8月19日まで、習近平の動静が不明となったこともあり、病気説、政変説、失脚説が飛び交った。ざっくり数えると30くらいの異なる噂が錯そうした。
こうした噂、デマはおよそ3つに分類される。1つが習近平の健康にかかわる噂。もう1つが習近平失脚の噂。そして3つ目が習近平の政策路線転換の噂。
もう少し噂の具体的な中身を見てみよう。
デマその1:脳卒中説
まず習近平の脳卒中説は紅二代の証言なるものが在外華人知識人たちの間で流れた。CCTVの三中全会報道で、習近平の写っている映像があまり取り上げられていないこと、閉幕日に閉幕式の中継がおこなわれず、またその日の夕方のCCTVの定時ニュースでも、閉幕式の映像が使われなかったことが、こうした噂の拡散に拍車をかけた。
閉幕日の夜には習近平がきちんと出席している閉幕式映像が配信されており、一応、この噂は「デマだった」ということになったが、一部では「噂を打ち消すためにつくられたフェイク映像ではないか?」といった噂も広がった。習近平は脳動脈瘤、糖尿病、肝臓の病があるといった噂があり、会議中に習近平だけ2杯分の茶杯があるのは1杯が漢方の煎じ薬であるという、健康問題の「噂」は広がりやすい素地があった。
習近平国家主席だけ2杯分の茶杯がある(写真:新華社/アフロ)
ただ、中国共産党指導者たちが受ける医療水準は世界最先端であることは間違いなく、脳動脈瘤や糖尿病などで執政不可能になるとは常識的には考えにくい。
次に政変デマだ。
デマその2:政変説
これは8月19日にベトナム共産党のトー・ラム書記長との会談で完全に否定された。20日はフィジー首相、パリ五輪選手団との会見、全国人民代表大会(全人代)列国議会同盟(IPU)加盟40周年記念行事・第6回発展途上国議員セミナー参加の外国議員らとの会談と三連荘の外交パフォーマンスを見せ顕在ぶりをアピール。8月29日にはサリバン米大統領補佐官と会談、クーデター首謀者と噂されていた張又侠もこれに先立ってサリバンと会談しており習近平と解放軍不仲説を否定する外交パフォーマンスとなった。
ただ、三中全会期間中から人民日報など官製メディアが、習近平報道を抑制ぎみにしていたのは事実だ。李強や蔡奇も、演説の中で以前よりも習近平新時代思想の言及が極端に減り、側近たちが習近平と距離を取り始めたのではないか、などという説も流れた。書店などで習近平に関する著書が一番目立つところから撤去される状況もあり、代わりに鄧小平に関する書籍の陳列が明らかに増える現象が起きていた。
今年の8月22日は鄧小平の生誕120周年なので、それなりの鄧小平記念イベント、記念出版物は増えると予想はされていたが、想像以上に鄧小平記念の報道やイベントが盛り上がり、そのことは習近平の失脚、とまではいかないが、これまでの政策を反省して路線変更するのではないか、という噂の拡散を後押しすることになった。
さらに習近平の路線変更説もある。
デマその3:路線変更説
面白いのは、北戴河会議で長老たちに反省を迫られた習近平が、自らの政策の過ちを認め、個人独裁から集団指導体制に回帰するなど「8つのコンセンサス」を長老たちと共有した、という「噂」だ。在米華人政治学者の呉祚来がSNSのXで発信したものが大きく拡散されたのだが、8つのコンセンサスとは以下のとおり。
①習近平同志は、党と国の重大な決定において、政治、経済、外交、軍事の各分野で党と国に悲惨な影響を及ぼした、核心的権威の過度の強調と重大な誤りを深く見直さなければならない。
②中央政府の重大な政策や決定は、一個人によって決定されるべきではなく、個人崇拝を助長するものであってはならない。指導者が仕事に関係のない内容の本を出版してはならず、新聞や雑誌が仕事に関係のない行為を公表してはならない。集団指導体制が重視され、党と国家の重大な決定は、事前の調査とベテラン同志と大衆の意見聴取によって行われるべきである。
③党と政府の分離が重視され、党中央委員会が主要な決定と政策に責任を持ち、国務院は国の行政事務を処理する上で比較的独立しており、党中央委員会は国務院の行政事務にあらゆる面で干渉しない。
④ロシアによるウクライナの侵略、中東テロ勢力を支持せず、米国、西側諸国との関係を改善する。
⑤香港の自治権を尊重し、台湾海峡の平和を維持し、台湾および南シナ海の周辺国家との問題を激化させない。
⑥経済、特に民営経済を中心とした任務を推進し、民生の保障を発展させ、暴力による治安維持を行わず、陳情のスムーズなルートを保証し、マフィア勢力を取り締まり、社会の安定を保証する。
⑦幹部層の育成、特に党と国家の後継者の経験を育て、党と政府の人事原則として各地から平等に登用し、個人を中心としたコネ登用や派閥形成をしない。
⑧政治体制改革を議題のスケジュールに挙げ、草の根の民主、党内民主を強化し、制度的な民主的プロセスを保証して、中国共産党の真の民主化に取り組む。でなければ、人民に対する裏切りであり、初心を忘れれば、必ず人民か見捨てられ転覆させられる。
さらにもう1条付け加えるなら、北戴河会議は制度化し、1年に1度開催し、退職後の国家指導者も現役の中央委員会常務も参加するべきだ。その職責は主に、中央の任務に対する監督であり、重大な錯誤があれば問責し、挽回不可能な間違いに対しては、指導者の責任を問い、反省、修正、あるいは辞任を求めること。
退職・現職の正国家級中央指導者、民主党派の指導者、鄧小平ファミリー、江沢民ファミリー、毛沢東ファミリーから鄧樸方、江綿恒、毛新宇が参加した会合で、習近平がこうした反省をさせられた、というのだ。
もう1つ興味深い噂は、温家宝が北戴河会議で、習近平の腹心である蔡奇と李希を名指しして、「文革時代の極左思想に回帰している」と批判した、というものだ。
デマその4:温家宝ブチ切れ説
ネタ元はオーストラリア在住の華人法学者の袁紅冰で、本人が体制内の良識派筋から聞いた話、という。温家宝はこの時、「改革開放の流れ逆走することは、長江や黄河を逆流させるようなものだ」とブチ切れた、らしい。
ちなみに温家宝がブチ切れた理由は北京青年報が8月5日から3日連続でキャンペーンを展開した「トランプゲームの摜蛋禁止令」で、これは蔡奇が主導で行った「反腐敗キャンペーン」の一環だという。
このカードゲームは金融官僚の間で流行しており、「接待麻雀」のような感じで欧米金融マンとの交流にも利用されたりするのだが、蔡奇はこれを「退廃を助長するカードゲーム」と禁じるキャンペーンを北京青年報紙上で仕掛けたのだという。温家宝はこうした息抜きガードゲームですら、党として禁じる蔡奇らのやり方が、文革時代の四人組に似ていると感じて「切れたのだ」という。
「8つのコンセンサス」も、「温家宝が蔡奇、李希を痛罵」も、ともに裏は取れない。だが、ちょうどその頃、鄧小平生誕120周年報道が異様なほどに盛り上がっていたので、これは習近平が反省している証ではないか、という人もいた。
この夏に流れたこうした噂、ゴシップについて、おそらくはすべて、デマであろう。だがすでに、多くの人にとってそれが「裏のとれた事実であるか」ということは重要ではなくなっている。とりあえず、こうした噂を拡散することに意味があるのだと思う。
主に3つの理由があろう。
デマが大拡散した3つの理由
1つはかつてないほどのSNSの発展があり、SNSのインプレッションは在外華人ウォッチャーたちの重要な収入の1つであるということがある。だが、もう少し深くみれば、習近平の健康不安、習近平失脚、習近平の路線転換の話題をアップすれば多くのインプレッションを稼げるということは、多くの国内外の中国人、中国に関わる人たちがこうした状況になってほしい、起きてほしいと思っている、ということだ。
もう1つは、在外華人たちによる暗黙の共闘での「認知戦」が仕掛けられているのではないだろうか。言霊ではないが、言い続けていればそれが現実になる、という思いがある。
嘘でもデマでも、それを人々が口にし、噂しあうことは人々の認知に作用する。中国が国内の人民や、日本や米国、台湾などの世論に影響を与えるべく情報戦、認知戦を仕掛けていることは有名だが、共産党から国を追われた在外華人民主活動家や法輪功学習者らは、逆にSNSや動画配信サイトを通じて中国の官僚や人民、社会に対する認知戦を仕掛けている、と考えられないだろうか。
3つ目は、習近平自身への心理攻撃という見方がある。習近平自身が、自らの健康や、権力維持能力、部下たちの忠誠心や人民の支持などに、極度な不安を感じているのは間違いない。こうした不安を一層煽る目的で、アンチ共産党の在外華人やチャイナウォッチャーたちがデマとわかっていても噂をまことしやかに拡散しているのかもしれない。
習近平は心配で夜も眠れず食事ものどを通らなくなり、最終的には個人独裁や社会主義回帰路線を修正したり、あるいは自ら引退を決意したりするようになればよい、という願いをこめて。
もっとも、認知戦のつもりでデマやゴシップを真実らしく拡散しすぎるのは考えものだ。拡散している側の認知もゆがむからだ。そうなれば習近平政権の状況を見誤ることになり、それが1つのリスクとなる。噂はほどほどに。裏をとり続けるジャーナリズムの意義は失われてはならない。
福島 香織(ふくしま・かおり)
ジャーナリスト。大阪大学文学部卒業後産経新聞に入社。上海・復旦大学で語学留学を経て2001年に香港、2002~08年に北京で産経新聞特派員として取材活動に従事。2009年に産経新聞を退社後フリーに。おもに中国の政治経済社会をテーマに取材。主な著書に『なぜ中国は台湾を併合できないのか』(PHP研究所、2023)、『習近平「独裁新時代」崩壊のカウントダウン』(かや書房、2023)など。
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