下町アパッチ約十名応援団

bjリーグを東京アパッチを中心に応援してます。

未だ道の半ば(3)

2007-05-02 21:57:13 | bj全般

仙台・新潟・埼玉・東京・大阪・大分の6チームで開幕を迎えたbjリーグ。
華々しく開幕を迎え、3会場で10000人超の観客を集めましたが、翌日の試合では新潟の会場を除いてほぼ半減といういささか期待はずれな結果に終わってしまいました。
考えられる原因がいくつかあって(あくまでも去年開幕時の話。この内のほとんどは劇的に改善されてます)、
 1.バスケそのもののレベルが低い
 2.外人の個人技ばっかりでどこの国のリーグなんだか
 3.MCウルセー
 
etc....

1,2はまったくその通りとしか言いようが無かったと思います。
bjの日本人選手は、JBLのスカウトから外れた選手。スキルはそこそこあっても、トップレベルにはやや届いていないっての言うのが当時での正直な感想。
一方外国人選手はNBAでのプレイ経験は無いものの、各国のバスケットボールリーグを渡り歩いてきたつわもの共。
はっきり言えば、舐められてたんでしょうね
開幕の、大分-大阪戦では大分の100点の内日本人の得点はわずかに4点という結果でした。
その後も、外国人選手による蹂躙が続き、日本人選手の影がどんどん薄くなっていきます。
 埼玉は元NBAの#8ベンワーが早期離脱#55ウィリングハムを早期解雇し、早々とオンザ1でシーズンを戦わなければいけなくなってしまいます。その結果、埼玉は#3トニーエルが合流するまでの間苦戦を強いられることになり、悪夢の19連敗を喫してしまうこととなります。
 合流後も戦力が整わない、埼玉はHCのチャールズジョンソンを選手契約するという荒技に出ました。今では考えられませんが。
 東京では、集客が伸びず応援もまばらな状態で、厳しい運営を強いられました。当時はアパッチシートという便利なものも無かったので、声を出しての応援が非常にやりづらく、静かな客の多い有明では非常に寒い日々が続きました。
 大分は、成績不振を極めシーズン半ばでHCのジョワン・オールドハムを解雇しました。結果的には英断となるのですが、当時の大分の外人の暴走っぷりを止めるには到らなかったようです。
 一年目の前半は、各チームとも生みの苦しみを味わいました。

 しかし、リーグの中盤から後半見違えるようにいい動きをする日本人選手も出てきました。#3鈴木裕紀(大分)#23清水耕介(埼玉)#12仲摩純平(東京)#9小菅直人(新潟)等です。彼らが出てくることで、日本人でもやれば出来るんじゃないかって空気が生まれてきました。

3については、バスケットボールで盛り上がるといった文化も無かった開幕当初、各地のMCは地域密着を過剰に意識し、バスケの進行よりも応援で盛り上げることに意識が集中していきました。結果として、対戦相手の煽りやマイクでのブーイングなど、バスケの本筋から外れた進行が相当反感を買い、各所で批判の的となりました。
埼玉なんかも開幕当初は、ブーイングのためにブーイングのテープを流すなど、なかなか苦労したようです。

そんな中で、確実にブースターが育っていった地域がありました。
大阪と仙台です。

そのブースター達がbjリーグの可能性を見せ付けたのが、1年目のファイナルでした。
大阪はbtを中心に、ハリセンを使った応援で大挙して有明に押しかけました。
仙台は、ブレイクダンスのお兄さんがいるチアリーディングで盛り上げました。
何よりも、仙台には手ぬぐいで踊る「ジンギスカン」がありました。
ジンギスカンはものすごい武器でした。あっという間に他ブースターを巻き込みました。
紫や、黒で踊る東京や大阪のブースターが続出したのです。

そして、そのファイナルに集まった人数は7600人を超えました。
まだまだ、バスケットそのものの技術は未完成ながら、それだけの数の観客を呼ぶことに成功したのです。
1年目のbjリーグは、困難と混乱のなか一応の成功を収めて幕を閉じました。

その(4)に続く。



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