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Retro-gaming and so on

深夜アニメはかつてのアニメよかマシ

さて、以前、僕が思ってるトコの深夜アニメの仕組みを書いたけど。
冒頭にも書いたけど、別にウラ取ってるわけじゃない。業界人でもないし。
だから場合によっては「見当違いの事」を書いてるかもしんない。
しかし、ブログはあくまで「日記」であって、業界紙でもねぇんでこれでイイと思ってる。
ある程度テキトーでいいんだ。「公開用の日記」だしな。
本当の事を知りたければ業界人が書いたブログでも探して読んでくれ。
僕はアニオタじゃないんで、そこまで根詰めて調べる気もないんだ。

ただ、以前こういう事があった。福島原発以降、電気が足りない、とか言う話があった際に、twitterで、言っちゃえば老害気味のマスコミ卒業組が

「深夜アニメをやめるべきだ。アニオタの為に電気を使うな。」

的な事を言ってた事があって、まぁ、そういう単調な論調を形成する事「こそ」が老害で、かつマスコミ出身者のしょーもないトコなんだけど。
以前の論から言うと、「深夜アニメ」っつーのは極端な話、「アニオタの為に作っているわけじゃない」。言い換えると、零細出版社のれっきとした「経済活動」で「営業活動」なんだよ。それもかなり「無い知恵を絞った上での結果」での、な。
それをアニオタ蔑視で、さも「アニオタを叩くためだけに」あげつらうように見せかけて、ってのは「皆の為」とか言いつつ、単に「自分が関係なく理解もしてない」ブツを叩いてるだけ、だ。良くあんだろ?そういうの。
ははは、アニオタを叩いてるけど、実際に叩かれてるのは「メジャーじゃない」出版社の方だ。出版社側から言わせると明らかに「いい迷惑だ」(笑)。営業妨害に等しいんだけど、こういう輩はそこに気づかない。
もう一回言うけど、深夜アニメってのは本質的には「CM」であって、対象として「アニオタ」ってのはどーでもいいんだ。っつーかそこは「最大出資者」である出版社は考えてない、って言っていいと思う。そりゃ出来れば広く一般人に自社出版物を「知ってほしい」わけだけど、コストの関係で深夜になってる、って単純に言えばそれだけの話なんだ。
言っちゃえば、それこそ元でさえ「マスコミ関係者」だったらちょっと調べればそれくらい分かるだろ、とか思うんだけどな。
っつーか、実際問題、「マスコミ」ってのは「初めに結論ありき」で、例えば「何か気に食わない」となったら非合理だろうと「自らの論を」補完する為にでっち上げさえ厭わない、ってのが、こういう「卒業者」の行動を見て分かった。おっそろしい業界だよ(笑)。そういう世界にいるとああなっちゃうんだろうな。ジャーナリズムだと?(プゲラ
まぁ、twitterなんでガーッと非難喰らってたけど(笑)。僕?んな事に参加するワケねーだろ(笑)。
言っちゃえば「バカなじーさん」だぜ?今までバカで生きていたのに、どうやったら「バカが治る」と思えるんだ(笑)。残り少ない人生もバカのままで生きるしかない、に決まってんだろ(笑)。
前にも書いたけど、「他人のバカを治そう」なんてそれこそ余計なお世話だ。
僕は無駄な事はしないんだ。

さて、「本が売れない」と言われてるこの時代、「深夜アニメ」ってのは今まで見てきた通り、漫画にとってはかなり「合理的な形態の」CMだと思ってる。いや、アニオタがどうのこうの、ってのはうん、マジで関係ねぇんだわ。30分間使って、平均で言うと全12回、決まった時間に、ゴールデンより安くCMを打てる、ってのを「合理的」と言わずにして何と言う?いや、CMとして考えるとかなり優秀なんだよ。
言っちゃえば「ストーリーのある」CMじゃん(笑)?30分の長さがあるCM。こんなCM形態は他じゃ「あり得ない」だろ。
言っておくけど、「深夜アニメの本質はCMだ」たぁ言ったけど、「CMだから悪い」って言ってるワケじゃない。むしろCMとしては「良質」だと思ってるんだ。作戦も良い。
そして、言っちゃえば「弱小出版社の営業努力」自体を「悪い」とか責められるわけがない(角川は「腹立つアニメ」が多いが、それは僕のセンスと合わないだけ、だろ)。

余談だけど、「ラノベのアニメ化」はあまり先が無いだろう、とは書いた。ただ、それが全部ラノベだけのせい、とは思わないんだ。漫画も売れない時代になってきてる、と言われてきて久しい。
あんまこういう事を言う人はいないんだけど、僕からしてみれば原因はハッキリしてる。立ち読みが出来る本屋がなくなったから、以外に原因は考えられない。どの本屋行っても漫画とラノベだけはビニール袋に入ってるんだよ。そんな状態で売れるわけねーだろ、って思ってる。
80年代まで、(当時はラノベがなかったから)本屋の漫画コーナーとか、物凄い人がいたんだよ。漫画の単行本は集客力があるマテリアルだったんだ。ところが、漫画がビニール袋に包まれだしてから本屋に人が集まらなくなった。これが事実だ。
漫画専門店が現れて、蔵書数は多いけどビニールに入ってて、立ち読み厳禁、ってスタイルが出てきて、90年代に入ってからそういう形式を真似した本屋が増えたんだよな。当然他の書籍はビニールになんて入ってない。「一番集客力がある商品がビニール漬けになってから」売上が落ちてる。時期的に考えると、「漫画の売上が落ちた」って危機を言われだした時と、「ビニールに漫画を包む」やり方が普及しきった時期って完全に一致してるんだが、誰もそれを言わないで、「他に原因を求めよう」と無理してるとしか思えないんだわ(笑)。どう見ても原因は明らかだろ(笑)。
まぁ、書店側からすると、ひょっとしたら「100人集客しても5人しか買わない」のなら非効率だ、って思うかもしれないけど、商売を良く知ってる人なら「んなバカな」って思うんじゃなかろうか。100人集まって100人買う、って前提で考えるとか、んなバカな事はねぇわけであって。そして例えば5%って数値が「デカい」ってのが分からない、んだとすれば、ホンマ「商売」が分かってない、って話になる。CM流してもテレビ観てた全員がそれを買うか?買わんだろ、っての。同じ話だ。
しかも、「100人集客しても5人しか買わない」どころか、現実的には「本屋には100人集まらなく」なってんだよ。おかしいだろ、いい加減に気づけ、とならないか?
この「漫画が売れなくなった」って嘆く反面伸びてきたのが、BOOK OFFみたいな古本屋だ。かつて本屋が見せた「賑わい」はBOOK OFFが取ってしまった。BOOK OFFは(コロナ以前は)いつ行っても人が多い。原因はハッキリしてる。立ち読み可、だからだ。そしてそれが、やっぱ数%の人の「衝動買い」を誘う(※1)。
しかも、BOOK OFFは「入荷がどうなるか」基本的には分からんわけだ。つまり「気に入った本」ってのは買わなきゃ無くなっちゃう。そういうのもあって「売れてる」わけじゃん?ただ、そういうのは当然「出版社の売上」としては計上されない。故に、「実質的に人気がある作品は」購買者側の感覚で言うと「売れてる」んだけど、出版社側は「売れない」って言うわけ。
どうなったんだか知らないんだけど、一時期、BOOK OFFが出版社側に問題視されて、資本的に参加しようとか何とかあったんだよな。いや、だから本屋、つまり「小売店」側の「売り方」の問題だろう。古本屋を敵視したからどーなる、って話じゃねぇんだ。
言っちゃうけど、「どんなに無制限に立ち読み許そうが」買うヤツは買うんだよ。買わんヤツは買わない。それだけ。それから著作権厨とかは怒るだろうが、例えば「漫画村」みてぇのがあっても「買うヤツは買う」んだよ。ただ、経済学的なおかしな論法で「取らぬ狸の皮算用」的に「損失がこれだけある」って言ってるだけであって、「全部ダメです禁止します」とか言ったら単にそれは「読みもしないし買いもしない」って話になるだけ、なんだって。
そりゃ売上も落ちるだろう。そして「漫画村があったから漫画が売れなかった」ってのは実は因果関係ってねぇんじゃねぇの?誰か「漫画村の作成者が逮捕されてサイトがなくなった」ってお陰で漫画の売上がV字回復した、とか言うニュース見た事ある?
俺はねぇな。
だから結局、因果関係は無かった、って事じゃねぇか?

ちなみに、僕も「ガラスの仮面」とか昔、「本屋で立ち読みして(当時あった)全巻を読破した」クチです。で、後年「あんま面白いんで」文庫版で(その時出てた)全巻揃えた事もあります。立ち読みって言っちゃえば「取捨選択の場」であって、「面白い漫画を探す場」であり、「これは面白い、買わねば」ってなる場なんだよな。そして「つまらん漫画」「面白いけど買う程じゃない漫画」「買わなアカン漫画」に分かれる。厳然としてそういう「事実」があるだけ、なんだ。
著作権厨は良く言うんだけど、「漫画を読んでる、って事は購入してなきゃなんない」とかさ。読んだ本は100%買ってる、ってぇのは所詮「理想論」なんだって。著作権もクソもまずは「売れなきゃ」意味がねぇだろ、ってな話で。そして「タダで読める」って事は必ずしも「売上を落とす」事には繋がらないんだ。むしろ「上げる」要因でさえある。著作権厨はそういう「商売の道理」を知らない(そして「仮想の損失」なんぞ計算してる「経済学」なヤツらも、当然「商売の道理」を知ってるワケじゃない・※2)。
今だとそういう、むしろこーゆー「商売の足を引っ張る」発言者様達のお陰で、「良い漫画を知りたい」とすれば、これまた「このマンガがすごい!」とか読まなきゃいけなくなってる(笑)。昔はこんなん要らなかったんだわ(笑)。自分で凄い漫画を本屋で探せばいいだけ、だったんだもの(笑)。大体、他人と趣味が合うたぁ限らんし、また「漫画を読む為」だけに「このマンガがすごい!」を買って読破する、とか一体どれだけ面倒なんだ、と言う(笑)。そこまでして漫画を読みたいヤツっていねぇだろ(笑)。
めんどくさい。だから売れなくなるんだっての。バッカじゃねぇの、と。
漫画の売上上げたければ、出版社側の方から小売店に「ビニールに包むのやめてください」って営業指導すりゃ済む話だ。それだけで売上なんざ回復すると思うわ(※3)。
ラノベのアニメ作って自社ラノベ全般的に宣伝効果を波及させたい、ってぇのならビニール剥がさせろ。そしたらちったぁ結果はマシになるだろう(※4)。
マトモな食料品店(例えば魚屋とか?)だったら、売上上げる為に「試食」を提供すんだろ。客が来て「ちょっと✕✕試させて」って言ったら快く応じる筈だ。それでも顧客は買わない時は買わないんだ。でも買う客は買う。当然だよな。
化粧品でも試供品とかあんだろ。マトモな商売してるヤツは「使うキッカケ」を必ず提供する。
どーして本屋で、しかも漫画やラノベだけが「ビニールに包まれて」売られてるんだよ(笑)。商売の原則として間違ってるだろ。そりゃ売れないし、客の心も離れてく、ってだけの単純な話だと思うんだけどなぁ。本屋は再販制度のせいか、商売を良く分かってないのかもしんない。

閑話休題。
以前、アニメのクオリティ的なピークは1980年前後、良くて1980年代前半まで、って話を書いた
その意見も変わっちゃいない。ただし、それは劇場版アニメに限る、って前提がある。
今の深夜アニメだってどうしても、「批評」って意味ではクソとしか言いようがないブツがある。っつーか、「作品として見た場合」90%くらいはクソだろう。ただし、テレビアニメ、って意味で言うとそれでも1980年代よかマシだ、って思ってる自分がここにいるのも事実なんだよな。
深夜アニメの殆どがCMだ、と言う前提を押さえる、とする。そしてそのテのあるアニメがクソだとする。でも「アニメとして制作された何か」がクソだ、って事じゃなくって、その殆どは「原作が既にクソだった」ってのが殆どだろ(笑)。前にも書いたけど、「既に人気があって面白い、と評されてる原作があって」それをアニメにしてるわけじゃない。「良く分からんけど、出版社側が売りたいと思ってる作品」をアニメ化してる以上、選択眼が悪かったら出版社側の責任、っちゅー事になる。言っちゃえば、「アニメ制作会社」に何か手落ちがあった、ってケースは(「転生したらスライムだった件」とか例外があるにせよ?)殆どない。
もう一回深夜アニメの構造を押さえてみよう。「ある商品を売りたい」前提で作っている以上、「原作の魅力を余すトコなく」伝える使命があるんだ。出版社主導である限り「そこは外せない」。
とすると、「アニメながらでのオリジナリティ」なんつーのは(企画的にはあるが)、原則「ご法度」なんだよ。っつー事は、原作ファンが既にいたとしたら、アニメ化したとしても「原作ファンが納得出来る」・・・まだるっこしいな、要は「漫画原作をほぼ完全に転写したような」アニメじゃないとその辺の「CMとしての」要求をクリア出来ない、って事になる。
これは往年の、1980年代には「あり得なかった」視点だ。要は「原作準拠」って意味で言うとクソだろうとそうじゃなかろうと、ほぼ「完璧」に仕上げてきてるのが今現在の「深夜アニメ」(特に漫画原作)なんだわ。

例えば、だぜ?上で僕は「ガラスの仮面」が大好きで、単行本、売ってる全巻揃えた事もある、って言う程の「ガラスの仮面」が大好きだったと言う男だ。「ガラス男」と呼んでくれてもいい(笑)。いや、呼ばないで欲しいが(謎
ところで、今だと覚えてる人いるんかな。1984年に実はこの漫画、テレビアニメになって放送された事があるんだよ。こんなカンジだ。

ガラスの仮面(1984年)。アニメ制作権を取ったのは、何と「サザエさん」で有名なエイケンだ(笑)。エイケンが「磯野/フグ田家」以外をアニメにすればこーなる、と言う今現在から見ると珍しい例でもある(笑)。
なお、エイケンは、白黒時代の「鉄人28号」なんかも作ってた、老舗も老舗なアニメ製作会社だ。

さぁ、どうだろうか。「なんか違う」って印象じゃないか(笑)?
そもそも、これが「美内すずえの絵」なのか、と言われると、ある種「似ても似つかない」とは言えるだろう。



が、80年代だと、そもそもこういう「絵の改変」自体が当たり前で、それで比べると現代の「深夜アニメの作画クオリティ」には遠く及ばない、ってのが分かるだろう。
いや、今の深夜アニメでも原作の絵そのまま動かせてる、たぁ言わない。しかし「原作宣伝の」ミッションを請けてる深夜アニメだと、いくらなんでも80年代で生じてた「ギャップ」よかは「遥かに縮まってる」ってのは分かるだろう。
そうなの、テレビアニメで言うと、80年代のアニメのクオリティって今の深夜アニメで言う「炎上案件」くらいの出来のヤツばっかだったんだわ(笑)。原作が人気あって、「テレビアニメ化!」となって楽しみにしてたけど、観てみると「なんか違う」っちゅー作品の方がむしろ多かった。そして作画崩壊なんかもザラに起きてたのよね。

あと、作家性の問題もあった。監督や演出の「自己主張」とかだよな。
作家性って「上手くハマれば」作品が良くなる、んだけど、そうじゃないとテンでダメなんだよ。
今の(漫画原作の)深夜アニメの監督って、原則、「作家性」は要らないし求められていない。そっちじゃなくって「如何に原作をそのままアニメにトレース出来るか」って言う「技術力」が評価対象になってる。
いや、考えようによっては確かに寂しい話かもしんないけど、作家性が上手くハマるか否か、なんつーのは言ってみりゃギャンブルだぜ?そして「ハマらない」事の方が確率は遥かに高いんだ。
「ハマった上での改変」ならまだしも、「ハマらん時での改変」とか、観る方は地獄だろう。

例えば僕が往年で一番好きだったアニメ監督は出崎統って人だった。んでこの人って演出にアクが強いんだけど、言い換えると「この人が監督する作品」ってのは安心して観てられてたのね。正直言うと、個人的には宮崎駿なんかより凄い人だったと思う。
で、この人が監督したアニメ映画「ゴルゴ13」とか、いまだ大傑作だと思ってるんだよ。ぶっちゃけ原作より面白いくらいだ(笑)。
でもさ、例えばゴルゴ13で有名なのって葉巻だろ?この映画のデューク東郷は何とパーラメントを吸っている(笑)。


いや、こんな「改変」も現代なら炎上案件だ。出崎統が天才的な演出家で、原作より面白いゴルゴ13って映画が撮れたから許されたようなモンだ(笑)。
そして、出崎統は、演出上、「ゴルゴ13はパーラメントを吸うべきだ」と言う何らかの信念があったんだろ。内情は知らんが(笑)。
いずれにせよ、出崎統と言う天才とゴルゴ13と言う題材はウマがあって初めて許されたわけだが、「これをすれば成功する」と言うようなモノじゃなく、成功作になる確率は、一般的には極めて低い。

別の例を挙げる。例えば「うる星やつら」だ。
さて、「うる星やつら」の友引高校、ってどんな建物だったんでしょう?と往年のファンに訊いてみるとする。
恐らく彼らのアタマの中にあるのはこんな「古めいた」木造校舎だ。



十中八九これを思い出す。が、実は原作だとそうじゃないんだ。原作だと、何の変哲もない、いわゆる鉄筋コンクリートで出来た「フツーの校舎」なんだ。



しかし、当時「うる星やつら」のアニメを観たヤツらは全員、友引高校の校舎は当時でさえあり得ない程古めかしい「木造校舎」の印象になってる筈だ。
この「校舎像」の決定をしたのが要は監督だった押井守で、彼の「決定」が完全に友引高校の校舎の「原作のイメージ」を塗りつぶしてしまったんだ。明らかに現代だと「炎上案件」になりかねない決定なんだけど、実際は当時、誰もがそれを「受け入れた」だろう。言っただろ?「塗りつぶした」と。異論を挟む余地さえ無かった。
後に、押井守が監督した傑作、「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」を高橋留美子は気に入らず、

(『ビューティフル・ドリーマー』は)押井さんの『うる星やつら』です。

発言したらしいが、正確には違う。
アニメ版「うる星やつら」は最初から「押井守と言う作家の作品」であって、高橋留美子の「うる星やつら」とは別物だった。手塚治虫の「海のトリトン」と富野由悠季の「海のトリトン」くらい違う。
そして当時、人気があったのは「押井守の」うる星やつらだったんだ。アニメファンは押井守の「作品」の方を支持してたんだ。
これは押井守の「作家性」が上手くハマった例だったと思う。

そういう「作家性」と「漫画原作」が噛み合った例を2つ挙げてみたけど、ある意味「2つくらいしか成功例がない」とも言える・・・他になんかあったっけ?ねぇような気がする。
つまり、1980年代の「アニメブーム」の際に、数多く「漫画原作モノ」のアニメは作られたが、作家性とぶつかって「改悪」としか映らなかった作品、とか、あるいは可もなく不可もなく、と言う「記憶にも残らない作品」の方が多かったんだよ。
逆に言うと、劇場版制作まで「持っていけた」ヤツらってやっぱ才能があって、人数も限られていたわけだ。
つまり、そんなヤツらは「そうそういない」。

結論から言うと1980年代の「アニメブーム黄金期」だろうと現在(2023年)の深夜アニメだろうと、「作品として見れば」90%くらいはどっちにせよクソだ。っつーか、アニメに限らず何でも、「創作物」なんつーのは90%くらいはクソなんだ(笑)。しかし、クソが量産される中で「本当に面白いモノ」が出る。そしてクソを含めたトータル数が多ければパーセンテージは変わらなくても「良作数」が増える。
もう一つ言うと、1980年代だとアニメはまだまだサブカルとかアングラ扱いだったんだよ、児童向けアニメ、以外は。この「サブカル」とか「アングラ」から市民権を得るまでの「過程」がエネルギッシュだったりすんのね。そういう事はままあるわけ。
ロックが「不良の音楽」って言われてた時は、「親にはとても言えない」音楽だったけど、それがポピュラリティを獲得していく「過程」はとてもエネルギッシュなんだわ。逆に「ロックの存在が割に当たり前」になると「ロック」とか別に尖ってないわけじゃない(笑)。一聴すると「昔はもっと攻撃的でハートがあった」とか言いかねないんだけど、要するにある程度普遍化して「その存在が当たり前」になると、「質が落ちたよね」とか言っちゃうハメになる(笑)。
でも実際は「良作」の存在率ってあまり変わんないだろ。
深夜アニメがどーの、ってぇよりも、「アニメを視聴する」って行為が普遍化してる以上、もうかつてのように「アングラ」とか「サブカル」じゃないんだ。言い換えると「陳腐化した」とも言えるんだけど、かつての熱気はないにせよ、「良作の存在率」はやっぱ変わらんと思う。
もう一つポイントを整理しよう。かつて、つまり1980年代くらいは「元請けになり得る」アニメ制作会社が「アニメ化権」を入手して、アニメが上手く行けば制作会社の取り分だったんだけど、失敗したら製作会社のせいだった。
一方今は違う。前に書いた通り、深夜アニメは出版社主導のCMだ。下請けであるアニメ制作会社に、まぁ言っちゃえば権限はない。つまり、アニメが失敗するか否かと言う責任は企画側の出版社の責任になる。アニメ制作会社は、言われた通り「なるたけ原作をそのままなぞって」アニメにするだけ、であり、しかも動画的な部分で言うとほぼミスはないんだ。1980年代と違って「ヒドい出来になる」って事はまぁ無い。っつー事は、「アニメが面白くない」場合、単に原作が面白くねぇだけ、であり、それを宣伝媒体として「アニメ化しよう」とした出版社側の選択ミス、って事になるわけだ。
いや、だから「動画品質自体」は1980年代のアニメがひっくり返っても勝てないくらいのクオリティにはなってんだって。

この「完コピ」的なクオリティってマジでかつての比じゃない。アニメ化する原作漫画を知ってる人がいれば、ほぼ満足となる仕上がりに「どの作品もなってる」筈だ。
前回書いた通り、「コミックフラッパー」を買ってた時には、「なるへそ、深夜アニメって面白い仕組みだ」とは思った。
でも別段だからと言って、「深夜アニメを観たい」とか特に思ってなかったんだよな。
ただ、夜作業する時、音がなんか無いと寂しい、ってんでテレビ点けっぱ、とか良くやってたんだよ。当時は若手のお笑い番組があって、その次に深夜アニメが流れてた。で、別段なんか注目してた、って事は無かった。音を流してただけ、だ(ある意味今も変わらんが)。
しかし忘れもせん。ある時。っつーか、ハッキリ言っちゃえば2009年、だ。いつもどおりテレビを点けっぱなしにしてたらなんか気になるテーマのアニメがやってたんだわ。
これだ。


麻雀だと!?

と(笑)。
いや、たまたま僕が元々麻雀大好きで、たまたま目に留まったのがこのアニメ・・・「咲 -Saki-」だ。ワケ分からんキャッキャウフフなアニメよか断然いい(笑)。
いや、これがあまりに面白すぎて、これがキッカケになって「ちょっとマジメに」深夜アニメを観るようになったんだわ。そしてクソ雑誌、ヤングガンガンを買い始めた原因で(笑)、そういう意味で言うと、出版社の思惑通りCMに引っかかった馬鹿野郎がここに存在する(笑)。わはははは(笑)。
いや、当然、このアニメも麻雀としてはデタラメやってんだけど、そもそも麻雀漫画ってマトモなヤツねぇじゃん(笑)。食えば食う程得点が高くなる、とかそれどんな麻雀なんだっての(笑)。売れてるから、っつったって「マトモな麻雀」描いてる麻雀漫画なんて、言っちゃうけど一つもねぇわ(笑)。
このアニメも、ハッキリ言えば「超能力麻雀」なんだが(笑)、一方、それまで、麻雀漫画と言えばやっぱ「博打」が基本で、アウトローな話、って相場が決まってたんだけど、このアニメの場合、「高校生による競技麻雀」だ。全く現実世界じゃあり得ないんだけど、その辺はいいだろ、と流せる範囲になってる。



んで、すっかり「咲 -Saki-」にやられて原作漫画まで買う事になっちまったんだが・・・・・・。

 
これで驚くんだわ。例えばアニメでの「セリフ」は、追加されてるブツもあるんだけど、基本原作のセリフそのまんまだった、とか、あるいはアニメの構図も漫画の構図そのまんま、だとか、言っちゃえば「かなり病的な再現度だ」ってのに度肝を抜かれたわけ。

「うわぁ・・・深夜アニメってここまでやってんだ」

と。正直言うと、かなりゾッとした(笑)。




いや、セリフまで全く同じ、とか「じゃあ脚本家要らねぇじゃん」って思うくらいのレベルなんだよな(笑)。
でもこうも思ったわけ。1980年代に観たかった漫画原作のテレビアニメってこういうブツじゃなかったか?と。1980年代だと改変に改変継いで当たり前だったかんな〜〜。
僕個人としては1980年代後半には既に「アニメを見限って」、それからかなり時間経ってたわけでしょ?なんか意識的には数十年ぶっ飛んで、いきなりタイムワープしたくらいの衝撃だったのね(笑)。
要は「正しい原作さえ選べば」原作を完全再現出来るくらいのレベルにはアニメのクオリティって進化したんだ、と。で、出版社主導じゃないとそういう風には作れないわけだ。だってCMだから。原作の「良さ」を「そのまんま」伝えたいから。
要は面白い原作さえあればあとはどうにでも出来る。なんつー安定感なんだ、って舌を巻いたんだ。
その経験で、さっきも書いたけど、「ちょっとマジメに深夜アニメを観るようになった」っつーわけ。
いや、マジで「(漫画)原作付き」って限定かもしんないけど(しかも「面白い」って前提)、表題にある通り、基本的には「深夜アニメはかつてのアニメよか絶対マシ」なんだわ。ただし、面白くない原作を使うとダメダメだけどな(笑)。
そして「面白い」漫画は圧倒的に「面白くない」漫画よか数は少ない。当然だ。
ただし、先にも書いた通り、「ポテンシャルとしては」今のアニメの技術力、っつーか「再現力」はかつてのアニメの比ではない。それは言えると思う。

なお、ラノベ原作のアニメの方が、やっぱ原作が小説なだけあって、「解釈の余地」ってのがまだ生じるたぁ思う。漫画原作程ガチガチではないよね。
多分「アニメ製作者側」から言うと、作っててまだ面白いのは、多分ラノベ原作なんだよ。漫画だとさっき書いた通り「セリフも原作のまんま」「構図も原作のまんま」が要求されてるみたいなんで、いわば作り手とすれば「トレース作業」に終始するような印象になるだろうけど、ラノベだとそうじゃないしね。一般的に、「情景描写」なんぞもあまり無いのがラノベの特徴とも言えるんで、「アニメ作り」だと色々やれる余地があるんで、多分「作るのが楽しい」のはラノベ原作の方だろう、たぁ思うんだけど。
いやでも漫画原作の深夜アニメはとにかく凄い。良くここまで持ってきた、とは素直に称賛してるんだ。

※1: ちなみに、例の、「スーパーとかでの袋を完全有料化にする法律」とか悪法以外の何物でもねぇ、と思ってる。これが作り出したのは「衝動買い」をさせない状態、って事で、このクソ法律が出来てから商品の売上が上がったのか下がったのか、是非ともデータを見てみたいものだ。
つまり、ビニール袋なんかを店で無料で配布してるからこそ「フラッと店に立ち寄った人が」なんかを衝動買いする、って図式があったんだけど、今だと「フラッと店に立ち寄れない」。そして「計画無しで」買い物が出来ないんだ。袋がないから。持って帰れないから。
結果、「店にフラッと立ち寄」らないし、「いきなりなんかを欲しくなって買う」事がなくなってる。
ホント、こんなバカな法律を通したヤツのアタマをぶん殴ってやりたい。

※2: このテの「計算」をしてるヤツらは「100人集客があったら100人買う」ってとんでもない前提で計算を行ってる。バカか。
昔の日本人は相当アタマが良かったようで、「取らぬ狸の皮算用」とか「
来年の事を言えば鬼が笑う」等と言ってこーゆーのを戒めていたもんだが、西欧人はこういうのを「理論武装」した社会科学(経済学もその一つだ)、なる疑似科学を作った。
疑似科学なんだよ。とんでも科学、っつっても良い。
彼らは原理、が何を意味するか知らない。数学を使ってれば「科学」っぽく見える、ってだけだが、数学はそれら疑似科学の怪しい「根底の原理」の「正しさ」を保証するモノじゃないんだ。数学は「それら原理が正しいとしたら」、と言う前提(仮定、と言い換えても良い)で「計算結果」を出してるに過ぎない。数学自体は意味を現さない、と何度かこのブログでは指摘している。
いずれにせよ、「あり得ない想定を根拠として」計算を行って、「損失はこんなになってます!」なんぞ言っても所詮それは「取らぬ狸の皮算用」でしかなく、仮にそういう「売上を阻害したと思われる要因」を除外しても、「思ったように売り上げた」なんつー事はねぇだろう。聞いた事がねぇ。しかし、そういう「専門的な計算をした」連中は、デタラメな計算をした、と言う責を絶対に問われないんだ。
何故なら前提が「仮想だし」、言っちゃえば根拠も元から無いんで、どうにでも逃げられるわけだよな(別な「こうこう」と言う理由が考えられます!とか言ったりして・笑)。
占い師と一体何が違うんだ、と問い詰めたいトコだ(笑)。
なお、僕にとっては、経済関係の「シンクタンク」なんぞは単なる「占いの館」と変わらん。

※3: 「ビニールに入れる」やり方に漫画出版社が何も「言えない」のは、結局、こういう商法を始めた「漫画専門書店」が、(問屋を通した間接的な)大口取引先になってるから、だろう。
だから「かつての本屋」と「今の本屋」のやり方の違いが部数減の原因になってる、と「気づいた人間がいても」、それは言えなく、殊更「本が売れない別の理由を探さなくては(「探す」と言うより「捏造する」が近いと思ってる)」ならないわけだ。
繰り返すけど、個人的には、他の原因は考えられない、と思っている。

※4: 余談だが、ラノベはかつてあった「ジュヴナイル小説」の変種だと思われている。僕もそう思ってた。「少年・少女向けの小説」だと。
でもどっかで書いてたんだけど、実は10代の少年・少女は「一番ラノベを買って無く」、実は購入の中心は20代〜40代らしい、と言う驚きのデータがある。
あるいは、現役のティーンで「ラノベを読んでる」って人たちも、高校卒業後、そのテの出版物から「むしろ離れていく」と言う話がある。
つまり、継続的にラノベを読んでるのは「10代の時にラノベはなく」、むしろ大人になってから「読み出した」層が圧倒的に多いわけだ。
これは面白いだろ?事実上、ラノベと、「ジュヴナイル小説の定義」は全く噛み合ってないんだ。
どうしてそういう状況になってんのか、色々と仮説は考えられるんだけど、ぶっちゃけ、一番大きな原因はラノベの販売価格だと思う。ラノベって文庫一冊の値段が今やかなり高いんだわ。今だと一冊1,000円前後すんじゃねーの?あるいはもっと高い、とか。
例えばフツーの角川文庫と角川のラノベのレーベルの文庫の値段を比較すると、ラノベレーベルの書籍の方が遥かに高い筈。
要は、漫画に比べると、中高生が気軽に買うにはかなり割高な商品なんだ。こんなの中高生は継続的には買えないんだわ。
結果として、購入の中心は資金力がある大人、しかいなくなるわけ。そう、中高生は、思い込みと違って、ラノベは読まないし読めない、と言う驚愕の事実があるんだ。
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