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Retro-gaming and so on

遊星からの物体X

H.P.ラブクラフト原作の映画を数本取り上げてきたわけだが。

「異次元から来たもの」とか「ヘンテコマシン登場」とか、H.P.ラブクラフトの作品は「SFホラーのハシリなのか?」と言われるが、実はそこまででもない、と思う。
そんなH.P.ラブクラフトの作品に「狂気の山脈にて」(At the Mountains of Madness :1931〜1936)と言う話がある。
大まかなストーリーを言うと

  • 南極でヘンな生物と都市を発見しちまった
と言うモノだ。
どっかで聞いたような話じゃないか。

実はラブクラフトの件の小説発表の二年後(1938年)に似たようなコンセプト

  • 南極でヘンな生物を発見しちまった
と言う小説が発表される。これはジョン・W・キャンベルと言う作家が書いた、ジャンル的には本当のSF小説だ。題名を「Who goes there?」(邦題: 影が行く)と言う(※1)。
ラブクラフトファンの中には、これが「狂気の山脈にて」のパクリだろう、とか、あるいは「クトゥルフ神話へのオマージュじゃないか」とか言う人がいる。
どうなんだろうねぇ。

ラブクラフトは1890年生まれ、ジョン・W・キャンベルは1910年生まれ。キャンベルの方が20歳若いわけなんだけど。
ある意味2人は同時代を生きていて、そして20世紀初頭当時の大きなニュースと言うか人々の関心事の1つに南極探検とか南極の領有権、って話題があったわけよ。
当然それぞれ「南極のニュース」を聞きながら生活してたんだろうし。「氷に閉ざされた世界」から「何かが見つかる」と言うアイディアは別個に思いついても別段不思議じゃあねぇんだよなぁ。
そして話の組み立て方も全く違う。ラブクラフトは相変わらず独白状態の小説で、中で出てくる参考文献が「ネクロノミコン」だったり「ナコト写本」だったり、と仮想の文献の引用だったりするし、クトゥルフ教団の存在を匂わせたり、邪神が出てきたり、とある程度前提知識がないとワケワカメな小説だったりする。
「クトゥルフ神話」に対しては重要な出版物なのかもしれないが、それだけ、と言ってしまえばそれだけだ。
一方、キャンベルの小説は実はミステリーを組み合わせている。ミステリーの中核、「Whodunit」を採用してるんだ。しかも、クリスティの「そして誰もいなくなった」のように「閉鎖環境」を舞台としている。そういうミステリーの「手法」とSFをかけ合わせると自然とホラーになる、と言う発見は大発見だと思う。
要するに、小説記述のアプローチが全然違う。個人的な意見を言わせてもらえば、ラブクラフトの商業誌デビューは1923年で、キャンベル13歳の時、しかもラブクラフトは怪奇小説専門誌に書いてたわけで(※2)、SF好きのキャンベルが「当時殆ど知名度が無かった」ラブクラフトに注目してた、ってのはいくら何でも無理があるだろ、って思ってる。

と言うわけで、キャンベルの「Who goes there?」の映像化作品、「遊星からの物体X」の話をはじめよう。大好きなSFホラーを挙げよ、と問われれば僕が真っ先に挙げるのがこの作品で、あまりにも有名な作品なんでちとどうなんだ、とは思うんだけど、ラブクラフトの話をしてきて若干疲れた事もあるし(笑)、ちょっとここで心機一転、メジャー作品を取り上げたいよな、ってのが1つの理由。もう1つは、この映画は1982年に公開された映画なわけで、今年は2022年。つまり40周年記念、と言えるわけだ。よって今年取り上げるには良い映画だよな、と言うのがもう1つの理由となる。

さて、ジョン・カーペンター監督が撮ったこの映画、原題をThe Thingと言う。日本語で言うと「それ」とかそういうニュアンスだろうか。
なんでこんなヘンな題名なのか、と言うと、実はこの映画、"Who goes there?"の映像化としては二度目の映像化なんだ。
一回目の映像化は1951年で、こっちの映画も大ヒットだったらしい。ただし、この当時だとどっちかっつーと「フランケンシュタイン」とかの怪物映画の一種として撮られている。怪物映画なんだけど、その「怪物」は地球上の怪物ではなくって宇宙からやってきました、って映画になってるわけだな(※3)。





1951年の映画なんで白黒だ(笑)。日本でも遊星よりの物体Xと言う名前で公開されてたらしい。ちなみに初代ゴジラ(1954年)の三年前、の作品だ(笑)。
もう特撮もショボいし、ハッキリ言って原作改悪の典型例と言って良いんだけど、当時のハリウッドでの映像化はこれが限界だったんだ。
それでもこの映画は公開当時はヒット作だったわけだが、ジョン・カーペンターはタイトル映像も完璧にコピーして、如何にもこの映画のリメイクです、と言うカンジで観客をミスリードする事を選んだ。でもそれはウソなんだよ(笑)。
タイトルを「ジョン・カーペンターのThe Thing」として、「ホラー映画監督が往年のThe Thingをリメイクするとこうなるんだぜ?」と言ってるように見せかけてるが、実は違う。こっちの映画の方が原作「Who goes there?」にむしろ近いのだ。
つまり、本来だったらタイトルも原作通りに戻して、往年のThe Thingを無視して「完全映像化」と謳っても良い筈なのに、ジョン・カーペンターは「往年のThe Thingのファン」にもアピールする、と言う道を選んだ。かなり頭脳作戦的であり、だからこそジョン・カーペンターはやっぱりアタマの良い人なんだな、と思う。

さて、1982年の映画版「Who goes there?」、「遊星からの物体X」のストーリー。
ハスキー犬をヘリコプタが追っかけながら銃撃する謎のシーンから物語は始まる。


さて、同時刻。アメリカの南極観測基地ではメンバーがそれぞれくつろいでいた。


主人公のマクレディ。顔面全部毛、と言う懐かしいハリウッド的キャラ(笑)。演じるのはカート・ラッセル。ジョン・カーペンター監督とは何度もコンビを組んでいる。
なお、原作では、副隊長で気象学者、と言う設定だが、この映画ではヘリ操縦士、と役割が変更になっている。


マクレディの暇つぶしの相手をするのは「Chess Wizard」と書いてるがどう見てもApple IIだ(笑)。
なお、このゲームは実際に売られたゲームじゃなく、画像も映画用にわざわざ作ったモノらしい。そして当時のパソコンが、映画のように喋るなんつー事はないわけで、少なくとも映画内のコンピュータは現実より進歩してたようだ(笑)。


なお、Chess Wizardはマクレディに勝っちまった為、怒ったマクレディはウィスキーの氷を本体内にぶちまけてぶっ壊し、結果、Chess Wizardはこの映画の最初の犠牲者となる(爆

そんな中、冒頭の犬とヘリコプターがアメリカの南極基地内に入ってくる。
ヘリコプターの識別標により、どうやらノルウェーのヘリコプターの模様だ。
ノルウェー人の基地内の発砲の為、止むなく射殺するアメリカ側。





一体何が起きてわざわざノルウェーの南極隊員が犬を殺しにアメリカ南極基地までやってきたのか。マクレディと隊の医師、コッパーの2人は、ノルウェー基地を目指して飛ぶ。
ところが、ノルウェー基地には誰もいず、おかしな死体がいくつかあるだけで、殆ど廃墟と化していた。



そして基地内には「氷の棺」と呼べるような不思議なモノが残されていた。


マクレディとコッパーの2人は、残されていたビデオと、屋外にあった奇怪な「焼死体」を基地に持ち帰る。








隊員の生物学者であるブレアが「奇怪な死体」を解剖してみるが、死体の見た目にそぐわず、心臓、肺、腎臓、肝臓、腸は全て「普通に」見える。

さて、アメリカ基地に逃げ込んだハスキー犬は基地内を歩き回っていたが、邪魔だ、との事で隊の犬舎に連れて行かれる事になった。しかし暫くして、犬が騒ぎ出す。




異常を感じた隊員たちが犬舎に集まると、そこには化物が横たわっていて、殆どの犬が殺されかけていた。







隊員の1人、機械技師のチャイルズは化物を焼き殺す。



一夜明けて、焼き殺した「化物」を解剖するブレア。



解剖して分かった事は、「この生物」は他生物を消化・吸収し、その細胞を「真似する」能力がある事だ。



隊員達はノルウェー基地から持ってきたビデオ(もちろんテープ・笑)を観てみる。そこには「何かを発見した」記録が成されていた。



ノルウェー隊員達が「何かを発見した場所」を確認したアメリカ隊員達。マクレディと地球物理学者のノリスともう1人(顔が確認出来ん・苦笑)が向かうと、そこには巨大な円盤があった。





ノリスが言うには、氷の層から考えると少なくとも10万年前からその円盤は「そこにあった」らしい。
また三人は近場に「何か掘り返された跡」を発見する。



生物学者のブレアは、「それ」が隊員に接触したり、人類のエリアに解き放たれた時のコンピュータシミュレーションをする。







コンピュータは隊員が「乗っ取られる」確率が75%、また「それ」が人類の生存域に紛れ込んだ場合、27,000時間(1,125日、つまり3年弱)で人類は「それ」と同化する、と答える。
なお、このプログラムは極めて優秀だ(笑)。こんな事を解答してくれるプログラムは今でも作るのは難しいだろう(笑)。1982年だとアメリカでもそれほどパソコンは浸透していなく、「コンピュータが何を出来るのか」イマイチ一般人が分かってなかった、って事から書く事が出来たシナリオだと言う事が出来る(笑)。こんなプログラムはマジで今でも書けないだろう(笑)。当時の映画内でのコンピュータは飛び道具だよな(笑)。

さて、マクレディはブレアの助手のフュークスから相談を受ける。


ブレアが自室に閉じこもって返事もせず出てこなくなった事。研究室にブレアが置いてた「ノート」によると、「それ」はこれまでに何度も地球外生物を「喰って」、細胞を「真似」してきた事。そしてノルウェー基地から持ってきた「死体」の細胞活動は依然停止していなく、「死んでない」事を。
そんな中、ノルウェーから持ち込んでた「変死体」を監視してた気象学者のベニングスが「それ」に襲われる。



それを見かけた通信技師のマイクロソフトもといウィンドウズが助けを呼ぶ。
ベニングスになった「それ」は逃走するが、石油をかけて燃やされる。




しかし、その後すぐに、ブレアが発狂状態になり、無線機を壊し、全員に取り押さえられる。
ブレアを隔離し、果たして誰かが「感染」してるのか、血液検査をしようとするが、保存してある隊員の「血液」も誰かの手によって使えなくなってしまう。



またウィンドウズも「自分以外」に疑いの目を向けて錯乱気味になる。
もはや誰かが「乗っ取られてる」のか、全員が全員とも疑心暗鬼になる。
果たして、この「姿が見えない」侵略者を見つけて退治する事が可能なのか・・・・・・と言う手に汗握るSFホラーが本作だ。

なお、SFホラーと言えば金字塔として、1979年のエイリアンがある。これは確かに面白い。「遊星からの物体X」と同じように閉鎖環境、つまり「逃げ出しようがない場所」でのエイリアンによる人間の蹂躙劇が描かれる
ただし、僕が何故に「遊星からの物体X」の方を「より面白い」と評価するのか。その理由はエイリアンはキャラクタ性が確立してしまった事。「遊星からの物体X」にはそれがない、からだ。
ホラー映画では確かに「怪物」のキャラ性が大事なトコがある。しかし、回数を重ねると段々とそのキャラが「怖くなくなって」しまって、一種アイコン化しちまうんだよな。
ドラキュラだろうとフランケンシュタインだろうとそうなっちゃうんだよ。山村貞子なんざ始球式までやっちまって、そうなればアイドル的なアイコンになる。


そう、「キャラを確立すれば」初め怖かったモノでも失笑対象になりかねないんだ。ホラーに出てくる「怪物」には下手すればそういう運命がある。
一方、「遊星からの物体X」の場合、設定上、「怪物」は変幻自在だ。すなわち「固定したキャラを持ちようがない」と言う辺りが素晴らしいんだ。






実は原作では「怪物の真の姿」が描かれていて、また英語版では表紙でそいつの姿を拝むことが出来る。




原作では「赤い三つ目」で「頭部に青虫のようなモノが生えている」モンスター、と言うのが「他生物を取り込む」前の姿だ、と描写されている。
しかし、映画版ではそれは出てこない(一説では、最初はその姿を作ろう、としてたみたいだが)。それは原作と違って、「アメリカの観測隊が見つけたのではなく、ノルウェー隊が見つけた」として改変されてるからだ。だから我々はその「元の姿」を知ることが出来ない。従ってキャラ性が生じなくなったわけだ。
これは極めて優れた設定改変だと思う。
また、この映画は大まかには原作の流れを忠実に再現してるが、「誰が取り込まれたのか」は基本的に全く変わっている。従って、原作既読者でも「一体誰が"それ"に汚染されて乗っ取られたのか」が分からなくなっている。その辺もジョン・カーペンターは非常に上手くやっていると思う。
あとは、原作では「怪物」はテレパシーを使い、擬態した相手の「行動」や「性格」を、他の人間の記憶から「読む」設定になってるが、その辺はバッサリと切っている。
いずれにせよ、SFホラーとしては極めて優れた映画だと思うし、いまだにこれを超えるSFホラーは無いんじゃないか、って思う(※4)。
僕の世代前後ではあまりに有名な映画だが、若い人で一回も観たことがない、って人は是非とも観てみて欲しい。一時間五十分に満たない映画だが、面白過ぎて手に汗握る「ミステリー」だと思う。

なお、音楽はイタリア人映画音楽の巨匠、エンリオ・モリコーネが担当している。この人は、ホラー映画の帝王と呼ばれてるダリオ・アルジェント(デモンズのプロデューサ、サスペリアの監督)の初期の作品でも音楽を担当していて、ホラー映画の劇伴も上手い。最小限の音数で「遊星からの物体X」の恐怖感を盛り上げている。

※1: 「影が行く」と言う邦題は1961年に早川書房の雑誌(SFマガジン)に掲載された矢野徹の翻訳が初出(1967年に単行本化)。ぶっちゃけた話、この邦訳は読みづらい。矢野徹の知名度の割にはガッカリだ。
長い間、この邦訳しかなく、しかも古い本なので見つかりづらかったが、最近では新訳の版がいくつか出てるようなので(例えば東京創元社版)、興味があればそっちの新訳の方がオススメだ。

※2: ラブクラフトは当時はマイナーもマイナー作家で、知名度がそれなりに上がるのは死後(1937年没)の1945年以降なので、時系列的に考えても、キャンベルがラブクラフトの影響下にあった、と見るのは無理があるだろう。

※3: この時の映画ではその「異星人」は実は「植物母体の」エイリアンだ、と言う事になっている。
一方、ラブクラフトの「狂気の山脈にて」に出てくる「生物」は半植物だ、って事になっていて、その辺の「設定の似かより」が、余計、キャンベルの原作小説がラブクラフトの影響下だ、と言う妄想(笑)の根拠になってるんじゃなかろうか。

※4: それ以前に、強調して強調し過ぎる事はないと思うが、「他生物を吸収し、それに化ける」なんつー、それこそ1980年代のSFX技術があってこそ思いつきそうなネタを、そんなモノがない1930年代に「思いついた」と言うのはあまりにも早すぎるし凄い、と単純に思う。ジョン・W・キャンベルの想像力こそが時空を超えたようなモノであり、ラブクラフトのそれ(南極云々)とは決定的に違うのではないか。
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