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Retro-gaming and so on

カノジョも彼女

今期期待のギャグアニメ。うん、色んな意味で「期待の」である。

ちょっと解説。
原作のヒロユキ、なる人は漫画家としてのキャリアは10年を超えてて、6作品程度を上梓している。が、どっちかと言うと長い間、掲載雑誌のせいでマイナー作家扱いだった、と言って良いだろう。
しかしその作品の1/2に当たる3作品がアニメ化されてて、この「カノジョも彼女」がその3作品目に当たる。

個人的にはアニメ化された第一作「マンガ家さんとアシスタントさんと」で知った作家である。と言うのもスクエア・エニックスの雑誌(ヤングガンガン)を買ってたから、だな。
基本的な作風は、誤解を恐れずに言うと「どつき漫才」マンガだ。主人公かあるいは主人公の周りにいるヒロインが「変人である事にマジメ」であり・・・いや、変人なのを意図してるわけではないが、彼らなりに「マジメ」であって、そのマジメさ故に変人だ、と言う事か。まぁいずれにせよ、そのマジメな人に対して周りがツッコミを入れるとかあるいは、マジメな対象者にツッコミを入れる、と言う作風である。
が、シチュエーションと言うか環境自体は割にフツーで、ギャグ漫画の傑作である「マカロニほうれん荘」みたいにシチュエーションや環境を無茶苦茶にしてしまう、と言う事は無かった。
と言うわけで、ギャグ漫画としては面白いんだけど「鋭い」と言う事も特になく、要は雑誌上の「ギャグ枠」を無難に埋められる人、と言う認識だったのだ。
ここで言う「無難な」と言うのは悪い意味ではない。どっちかっつーと職人っぽいんだよな。結構ギャグ漫画枠で「可もなく不可も無く」ってのを行えるのは難しいと思うんだ。
これは彼の少年マガジン移行した後の作品、2本目にアニメ化された「アホガール」でも作風は変わらない。もうタイトルがストレートなんだけど、ここでも職人技を発揮している。せいぜい「どつき漫才」度合いがより過激になった、ってくらいか。ある意味テンション自体は「マンガ家さんとアシスタントさんと」と変わらなかった。

余談だが、スクエア・エニックスと講談社は業務提携の関係があるのか、しばしば作家が移動している。これは小学館・集英社・白泉社の一ツ橋グループではあまり見られない傾向である(実際は「銀の匙」の荒川弘の例があるが、あくまでこれは「例外」に近く、また、少年サンデーくらいしか見られない事態ではある)。
旧くは「Q.E.D. 証明終了」の加藤元浩の例からはじまって、金田一蓮十郎や数名、スクエア・エニックスと講談社の作家の「移動」ないしは「共有」が見られるのだ。これは漫画雑誌の黎明期(70年代)はさておき、作家の「囲い込み」が当たり前になった80年代以降、割に珍しい「現象」に見えるのだ。
だから講談社とスクエア・エニックスは、場合によっては単行本の「宣伝」キャンペーンを示し合わせて、同時に行う、と言うような事もやっている。詳細は分からないが、今の講談社とスクエア・エニックスはある程度連携が取れる程度の関係なのではなかろうか。
いずれにせよ、読者的な立場で言うと、雑誌の格で考えれば講談社発行の雑誌は「格上」であり、スクエア・エニックスが発刊するような「三流雑誌」から講談社の雑誌に活躍の場を移すのは「出世」に見える。実際はどうだか知らんが、見えるのは事実である。
で、明らかにヒロユキと言う作家はそういう「出世組」なのだ。
しかし、彼の快進撃はどうやらそれだけで終わらなかったようである。
その証明がこの作品、「カノジョも彼女」である。

まず絵だが、この「カノジョも彼女」でどういうわけか絵柄がかなり上達してるのだ。
通常、漫画家と言うのは、あるマンガを描きはじめて、「描き慣れる」と言う事はあるが、極端に「上達する」って事はまずない。
ところが、このヒロユキ、と言う人は、知ってる範囲で言うと、今作で急激に絵の技術が上達している。
いや別に元々下手だったわけではない。ただ、元々硬質な絵柄の人で、ギャグ漫画、と言う範疇では可、なのだが、柔らかい線とかはどっちかっつーと苦手な人に見受けられた。従って色気が無かったんだが(いや、ギャグ漫画だと逆にフツーは色気は必要ない、とも言える)、今作になってから女性キャラが特に線が柔らかくなってて、急に色気が出てきてる。何故急に?とか結構不思議である。
こういう「進歩」があった人ってのは、少なくとも過去一人しか知らない。ご存知江口寿史である。「すすめ!!パイレーツ」とその後連載した「ひのまる劇場」の絵柄はほぼ断絶してる。この二作品の間で急激に絵が上達したのが江口寿史と言う作家だった。
個人的には、ヒロユキって人は江口寿史的な変化が起きた人だと思う(もっとも「アフター」と「ビフォー」を比べるとヒロユキ氏の方がビフォー時点で絵は上手かったが)。
しかもヒロユキ、と言う作家はそれだけじゃあない。フツーギャグ漫画ってのは描くのが厳しい、と言うのが定説で、1作目より2作目、2作目より3作目の方がパワーダウンして、どんどん「面白くなくなっていく」のがフツーなのだ。しかもデビューしてから10年以上、いや、下手すれば15年以上経っている。フツーなら枯れていく一方なのだ。
ところが、「カノジョも彼女」。アニメ化された前2作に比べても格段に面白くなっている。こんなこたぁフツーあり得ないのだ。っつーか殆ど天才の部類だろう。恐ろしい才能である。
一つのポイントとして、先にも書いたけど、アニメ化された前2作とも設定と言うか環境は「物凄くフツー」のマンガを彼は描いていた。
例えば、「マンガ家さんとアシスタントさん」では主人公はマンガ家で、要するに「フツーのマンガ家としての日常」の中で彼の「異常なこだわり」に周りのキャラからのツッコミが入る、と言うのがパターンだった。しかし主人公は同時に「マンガ家としてはなんだかんだ言ってマジメに行動してる」ワケだ。そこには「(我々が直接は知らないが)マンガ家としての日常」からの逸脱は実はない。極めてマジメな環境の中でのツッコミ(ツッコまれ?)の話なのである。
同様に「アホガール」では、主人公の幼馴染がアホなだけで、主人公は極めてハイスペックでマジメな男子高校生である。今回は主人公がツッコミ役なわけだが、主人公がクソマジメな以上、「高校生としてのフツーの生活」からは実は逸脱していない。アホガールは逸脱しかねないが、実は主人公がツッコむ事によって「フツーの高校生の世界」からは全然逸脱しない話だったのだ。
この辺がヒロユキと言う人の限界に見えていた。非常にシチュエーション的には、ギャグ漫画の割にはマジメな世界の話なのだ。だからこそ無難にギャグ漫画をこなせる「職人技な人」と評してたのだ。彼のマンガは逸脱しない。
ところが、限界に見えてたトコを今回「カノジョも彼女」で彼はぶち壊した。はじめてシチュエーションを「異常なモノ」にしたのだ。しかもこれも、面白い事に、主人公がマジメ過ぎる故に自らシチュエーションを異常なモノとする。そう、二股である。
通常二股なんつーのはマジメじゃないヤツが起こすもの、と相場が決まっている。ところが、このマンガでは「主人公がマジメ過ぎるが故に」二股になってしまう。しかも一応、彼女二人とも公認である。フツー、ラブコメだと「あっちの娘もこっちの娘も魅力的」ってぇんで、主人公やヒロイン達は、誰が選ばれるにせよ最後まで結ばれない。それが王道なのはみんな知ってるだろう。
ところがこのマンガはいきなり結論から来ているのだ。「マジメな主人公がヒロイン二人とも魅力的なので両方とも誠意を持って付き合う」と(笑)。一体誠意とはなんやねん、と言う哲学的疑問を抱えながら(笑)も、そういう異常なシチュエーションを主人公自身が「肯定的に」作り出してしまう。そう、彼は今までヒロユキ氏が描いて来た通りの「異常にマジメな主人公」で、はじめて自ら「フツーの常識的な世界」をぶち壊した主人公である。
こんなマンガが面白くないわけないのだ。
いずれにせよ、このヒロユキ氏は凄い。キャリアが10年以上あるギャグ漫画家で、「より面白いマンガを描いちゃう」人はフツーいないのだ。ある意味彼自身が彼の描くマンガの主人公のようにクソマジメなのだろう。単純に少年マガジンの作家へと「ステップアップ」しただけじゃない、彼のマンガ自体がステップアップしてて、今後どこへ向かっていくのか、非常に楽しみな作家である。

と言うわけで、以前ギャグアニメに傑作なんて無い、って話をしたが、素材で考えてみれば、この作品自体が今あるギャグ漫画の中でも最高にイカしてるマンガだと思う。そしてヒロユキ氏の「ギャグ」のスタイルは先にも書いた通り、基本「どつき漫才」である。
これを上手くアニメ化していけば、不毛のギャグアニメで最初に大笑い出来るアニメになるんじゃないか、って思う。
カノジョも彼女、今期最高の期待の一本である。


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