カフェ・デ・キリコ

キリコの徒然

(一_一) 8月8日 沖縄★翁長知事逝く

2018-08-09 06:46:32 | Weblog
【米田佐代子の「森のやまんば日記」より】
       腕の調子がいまいち~米田佐代子さんのブログを掲載させていただきました。

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8月も忙しく始まりました。ギリギリまで病院見舞いを重ねて、らいてうの家へ。3日は上田市長訪問と弔問の後山へ上って夜「満天の星を観る会」を。4日は「らいてう日記と湯川日記」をめぐる「らいてう講座」。5日は朝から夕方まで「ラジオ深夜便を聴いたので」という訪問客がみえ、1時間半も質問攻めする方もいて張り合いがありました。合間に別荘自治会懇親会へ。6日は月曜日で何時も余りお客さんは見えないのですが、この日は午後になってからやはり熱心なお客さんで時間をかけ、ギリギリに飛び出して東京の自宅に帰ったのは夜9時過ぎでした。そこへ、入院中の姉が高熱を発し酸素吸入を受けているという知らせが。翌朝とるものもとりあえず駆けつけてみたら、酸素マスクは外されて熱もいくらか下がったということで、少しほっとしました。たまっていた洗濯物などを引き取って翌日運ぼうと思ったら台風襲来の予報で行けず、洗濯物も乾燥機に入れてもからりと乾かないので、行くのは9日に。当分退院できないと思い、ケアマネさんへの連絡や産直野菜の係りへの連絡に追われて一日が過ぎました。

そこへさらに追い打ちがかかったのは「翁長沖縄県知事死去」のニュースです。7月のブログで「翁長さん、生きて辺野古の基地建設を止めさせましょう。あの『慰霊の日』に読み上げられた詩『生きる』のように」と書きましたが、願いはかないませんでした。あの時わたしは翁長知事に「鬼気迫るもの」を感じ、彼はいのちをかけて基地反対をつらぬこうとしていると感じたのです。それがほんとうになってしまった。「満身創痍」の身でたたかい続けた姿に、悼む言葉さえ見つかりません。

ただ言えることは、彼は「思うことをまっすぐに」貫いた人だったということです。この言葉は、わたしが平塚らいてうに贈るオマージュの意味があるのですが、翁長知事にもささげたい。そして今思い出すのは、フランスの詩人ジャン・タルジューの「死んだ人々は還ってこない以上、生き残ったものは何が判ればいい?」という詩の一節です。『きけ わだつみのこえ』で紹介され、戦争で死んだ者たちがもはや語ることができない思いを引き受ける呼びかけになっているのですが、翁長知事がおそらく混濁する意識のなかでつたえようとしたことは明瞭であったと思う。その意志を、生きているものは受けつがなければならない。基地のない沖縄を、そして「戦争のない一つの世界」を。合掌。

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ほんとうにお体ご自愛下さい。
ハラハラしています。
                              デ・キリコ



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