最前線の育児論byはやし浩司

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●断絶した親子

2006-11-14 11:28:35 | Weblog
●K県のRさんより

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K県のRさんより、メールが届いた。
息子たちと断絶状態にある。どうしたら
いいかという相談があった人である。

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【Rさんより、はやし浩司へ】

以前、高校1年の息子と断絶状態にあると相談したものです。マガジンの方を読みました。ありがとうございました。

あれから私の子供時代の記憶をたどっていきました。自分ができなかったことを、息子にさせ、して欲しかったことをしてやり、きっと子供にとっては、自分の行く先々を先回りして、寄り道さえも軌道修正している、うっとおしい親だったのではないかと思っています。

子供のことも振り返り、今思えば何度もSOSを発信していたのに、単なる愚痴のようにとらえてしまっていました。

上の子(現在、高3)が、中学校に入学してから、次男(現在、高1)は、次第に素行不良になり、次男は中学に入学したとき、(そのとき長男は中3)、「お前はあの○○の弟だろう」と言われて、嫌な思いをしていたようです。

長男は高校に1年通いましたが、学校についていけず退学。その後通信制の高校に入学、バイトなどをし、不規則な生活で、普通ではない家庭でした。

長男(キレやすい)とは、派手に何度ももめました。食卓も一緒に囲めない、顔も合わせない、深夜徘徊はするという状態が続き、なるようにしかならないとあきらめてからは、彼もいくらか落ち着き、(でも今でもキレやすいですが)、卒業後の就職のことを考えるまでになりました。これからは歩いていく子供のうしろ姿を応援しながら、見ていけるように努力したいと思います。いつの日かまた会話ができる日が来るのを待ちながら.……。

相談にのっていただき本当にありがとうございました。もっと早くに先生のHPを知っていれば長男のときも、ここまでこじれずに済んだかも知れません。これからもここを愛読させていただきたいと思います。

【はやし浩司よりRさんへ】

 「どこの家庭も似たようなものですよ」という言い方は、適切ではないかもしれません。しかしあえて言えば、どこの家庭も似たようなものです。

 親子が仲よく、静かに会話をしあっている家庭など、今という時代には、さがさなければならないほど、少ないです。つまり親子というのは、もともとそういうものだという前提で、こうした問題を考えてください。

 1日のうち、一言、二言、会話があれば、まだよいほうです。あいさつさえ交わさない親子も、珍しくありません。要するに、子どもには期待しないこと。

 が、子どもが、幼児や小学生のころは、そうでない。どんな親も、「うちの子にかぎって」とか、「うちの子は、だいじょうぶ」とか、思いこんでいます。「休みには、どこかへ行こうか」と声をかけると、喜んでついてきます。

 しかしその歯車が、どこかで狂う。狂って不協和音を流し始める。最初は、小さな不協和音です。その不協和音が、どんどんと増幅し、やがて手に負えなくなる。が、その段階でも、それに気づく親は、まずいません。「まだ、何とかなる」「まさか……」と思う。思って無理をする。子どもの心に耳を傾けない。

 親にしてみれば、あっという間の短い期間かもしれませんが、子どもにとっては、そうではありません。その(あっという間)に、子どもの心は、親から離れていく。本当に、あっという間です。が、親のほうは、過去の幻想にしがみつく。「そんなはずはない」とです。

 しかし大きく見れば、それも巣立ちなのですね。いつまでも、「パパ」「ママ」と言っているほうが、おかしいのです。またこの日本では、(学校)というコースからはずれることイコール、(落ちこぼれ)と考える傾向があります。が、そういう(常識)のほうが、おかしいのです。

 そんなことは、ほんの少し、目を世界に向ければ、わかることです。日本の(常識)は、決して、世界の(常識)ではありません。

 だから今のままでよいですよ。コツは、「今の状態を、今以上に悪くしないことだけを考えて、静かに様子を見る」です。あとは、『許して、忘れ、時を待つ』です。これを繰りかえしてください。

 あなたの子どもは、あなたの深い愛情を感じたとき、必ず、あなたのところに戻ってきます。そのときのために、今のあなたができることは、部屋の掃除をして、窓をあけておくことです。

 そして大切なことは、あなたはあなたで、自分の人生を生きる。前向きに、です。こうした問題は、あなたが前向きに生き始めたとき、自然消滅の形で、解決します。ですから、こう宣言しなさい。

 「あなたたちはあなたたちで、勝手に生きなさい。私は、私で勝手に生きるからね。ついでにあなたたちの分まで、がんばってやるからね」と。

 子どもといっても、いつか、あなたを1人の人間として、評価するときがやってきます。そのとき、その評価に耐えうる人間であればよし。そういう自分をめざします。

 あとは、どういう状態になっても、あなたはあなたの子どもを信じ、支えます。おかしな(常識)にとらわれないで、子どもだけをしっかりと見つめながら、そうします。

 幸いなことに、あなたの子どもには、それ以上の問題はないようです。今どき、不登校など何でもない問題です。またキレやすいという部分については、思春期の病気のようなものです。神経が過敏になっていますから。心の緊張感がとれないで、苦しんでいるのは、子ども自身です。

 相手にせず、あなたはあなたで勝手なことをすればいいのです。相手にしたとたん、それが子どものためではあっても、子どもは、それに反発します。まあ、何と言うか、そういうときというのは、被害妄想のかたまりのようになっていますから。心理学でも、そういった状態を、「拒否反応」と呼んでいます。そういうときは、何を言ってもムダと心得ることです。

 「親である」ということは、たいへんなことです。だったら、親であることを忘れてしまえばいいのです。「私は親だ」という気負いがある間は、子どもは、あなたに対して心を開くことはないでしょう。

 こんな原稿を書いたのを、思い出したので、ここに添付します。

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【親が子育てで行きづまるとき】

●私の子育ては何だったの?

 ある月刊雑誌に、こんな投書が載っていた。

 「思春期の2人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼育してきました。

庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向かい、読み書きする姿も見せてきました。リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部屋も飾ってきました。

なのにどうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、マイペースなのでしょう。旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。

息子は出不精。娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。二人とも『自然』になんて、まるで興味なし。しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。

私の子育ては一体、何だったの? 私はどうしたらいいの? 最近は互いのコミュニケーションもとれない状態。子どもたちとどう接したらいいの?」(K県・五〇歳の女性)と。

●親のエゴに振り回される子どもたち

 多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。こんな相談があった。ある母親からのものだが、こう言った。「うちの子(小3男児)は毎日、通信講座のプリントを3枚学習することにしていますが、2枚までなら何とかやります。が、3枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。どうしたらいいでしょうか」と。

もう少し深刻な例だと、こんなのがある。これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。「昨日は何とか、2時間だけ授業を受けました。が、そのまま保健室へ。何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と。

 こうしたケースでは、私は「プリントは2枚で終わればいい」「2時間だけ授業を受けて、今日はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。

仮にこれらの子どもが、プリントを3枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「4枚やらせたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。こういう相談も多い。「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中学へ」と。

そしてその子どもがC中学に合格しそうだとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。要するに親のエゴには際限がないということ。そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。

●投書の母親へのアドバイス

 冒頭の投書に話をもどす。「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬ドキッとした。しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴ。

もっとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ。そのつど子どもの意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。親の独善と独断だけが目立つ。「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。息子は出不精」と。この母親のしたことは、何とかプリントを3枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。あるいはどこが違うというのか。

●親の役目

 親には三つの役目がある。(1)よきガイドとしての親、(2)よき保護者としての親、そして(3)よき友としての親の三つの役目である。この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視点がどこにもない。

とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。この母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャップを感ずる。はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」であったのかどうか。あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどうか。結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。

が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴに気づいていないということ。いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみついている! 「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表している。

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 今のRさんには、たいへんきびしい意見かもしれませんね。わかっています。しかしこれで冒頭に書いた、「どこの家庭も似たようなものですよ」の意味が、わかっていただけたものと思います。

 今の今も、実は、「これではまずいなあ」と思われる親子がたくさんいます。しかし私のような立場のものが、それにとやかく口をはさむのは、許されません。相手が相談してくれば、話は別ですが、それまでは、わかっていても、わからないフリをする。そういう世界です。

 そういう意味では、もっと、多くの人の、私のマガジンを読んでほしいと願っていますが、それとて、相手の決めることですね。

 これからも、末永く、ご購読ください。よろしくお願いします。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
親子の断絶 会話のない親子 思春期の子ども)