●日本の仏教
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日本の仏教には、いくつかの謎がある。
その第一。なぜ、日本にある仏像は、
どれも例外なく、古代インドのそれではなく、
古代ギリシアの服装をしているのか。
その謎を解く、ひとつのカギがまたまた
見つかった。
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アフガニスタンの中部にあるバーミヤンで、このほど、5~6世紀ごろの塔院跡や、高さ3メートルはあったとみられる、立仏像のひざ下部が発見されたという。
発見したのは、UNESCO(国連教育科学文化機構)。
アフガン考古保護協会のゼマリアライ・タルジ代表は、「7世紀にバーミヤンを訪れたとされる、玄奘三蔵(三蔵法師のこと)が、『大唐西域記』の中で見たと記した幻の涅槃(ねはん)像が近くにあるかもしれない」と話しているという(中日新聞06-09-25)。
が、この記事の中で、私の目をひいたのは、つぎの部分である。
「……しっくいで覆われた主仏塔側面の柱状の装飾部分には、ギリシア文化の影響を受けた植物の葉の彫刻が施されていた」と。つまり「ギリシア文化の影響を受けた装飾が施されていたという。
バーミヤン遺跡というのは、一般には、5~8世紀の造営とされているが、それ以前との説もある。アフガニスタンの首都カブール、西約240キロのところに、それはある。
以前から、このバーミヤンで、インドから伝わってきた仏教と、古代ギリシア文明が融合したという説はあった。日本の仏像が、どれも、古代インドの服装ではなく、古代ギリシアの服装をしているのも、そのためと考えてよい。
ただ私が調べた範囲では、ここに書いた、玄奘三蔵(三蔵法師のこと)は、バーミヤンまでは来ていない。現在のチベットあたりまで来て、引きかえしているはずである。それはともかくも、三蔵法師は、インドまでは行っていない。これは動かしがたい事実である。
つまり私たちが今、この日本で「仏教」と呼んでいるものは、原型をとどめないほどまでに、その過程で、加工されたものと考えてよい。釈迦経典と言われているものについても、釈迦滅後、何百年もたってから、そのときどきの仏教徒によって書かれたり、編纂されたものである。
つまり、日本の仏教には、多くの矛盾がある。矛盾だらけと言ってもよい。少し前になくなったが、東大の中村名誉教授も、さかんに「大乗非仏説」を唱えていた。つまりインドからヒマラヤ山脈の北を回って中国、日本へと伝わった仏教(大乗仏教、北伝仏教)は、釈迦が唱えた仏教とは異質のものである、と。
たしかにおかしな点も多い。たとえば、インドでは男性だったカノンが、日本では「観音様」という女性になっている。
ここに書いたように、日本の仏像が、(ガンダーラの仏像もそうだが)、古代インドの服装ではなく、すべてヘレニズム文化の影響を受けた古代ギリシアの服装を身につけている。
また経典の中に、よく、貨幣の話が出てくるが、釈迦の時代にはまだ貨幣はなかったこと、などなど。
釈迦の生誕地に残る仏典(法句経)は別として、それ以外は、どうも?、というものが多い。そういうものを根拠にして、仏教を説いても、あまり意味がないのではないのか。さらに総じてみれば日本の仏教は、あのチベット密教の影響をモロに受けている。それが中国の土着宗教と結びついて、日本へ入ってきた。チベット密教そのものと言う人もいる。
だからといって私は仏教を否定しているのではない。仮に仏教が否定されたとしても、
その仏教とともに生きてきた、何億何千万もの人たちの人生まで否定することはできない。ただ、盲信するのはいけない。中には、経典の一言半句にまで深い意味を求める人もいるが、しかしここにも書いたように、矛盾がないわけではない。そういう矛盾、つまり明らかなまちがいまで押し殺して盲信するのは、危険なことでもある。
大切なことは、自分で考えることだ。先日もある著名な仏教哲学者U氏の講演をテレビで見ていたが、その中でその哲学者はこう言っていた。「○○経にXXという言葉がありますが、つまり人間はみな、平等と釈迦は教えているのです」(NHK、02年6月)と。
しかし、だ。何もおおげさに経典の一節をもちださなくても、人間がみな平等というのは常識ではないのか。ほんの少し自分自身の「常識」に照らし合わせれば、小学生にだってわかる。それにその哲学者は、こうも言っていた。「人間は白人も、黒人も、黄色人種も、みな平等だと、そういうことを釈迦は教えているのです。すばらしいことです」と。
しかしこの話はウソ。釈迦の時代に、釈迦の周辺に、白人や黒人、黄色人種はいなかった! その教授は、経典に、自説をこじつけたにすぎない。
私たちは何の疑いもなく、日々の生活の中で、仏教的な儀式を繰り返している。そしてそれがあるべき方法だと、信じて疑わないでいる。しかしそういう姿勢こそ、ひょっとしたら、釈迦がもっとも嫌った姿勢ではないのか。話せば長くなるが、法句経で述べている釈迦の精神とは、どこか違うような気がする。
ここではこの程度にしておくが、もし興味があったら、あとは皆さんが、自分でたしかめてほしい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 古代インド 古代ヘレニズム バーミヤン 大乗非仏説 中村元 日本の仏教)