Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
【親子のきずなを深める法】
親子のきずなが切れるとき
●親に反抗するのは、子どもの自由?
「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、85%。「親に反抗してはいけない」と考えている高校生は、15%。
この数字を、アメリカや中国と比較してみると、親に反抗してもよい……アメリカ16%、中国15%。親に反抗してはいけない……アメリカ82%、中国84%(財団法日本青少年研究所・98年調査)。
日本だけは、親に反抗してもよいと考えている高校生が、ダントツに多く、反抗してはいけないと考えている高校生が、ダントツに少ない。
こうした現象をとらえて、「日本の高校生たちの個人主義が、ますます進んでいる」(評論家O氏)と論評する人がいる。しかし本当にそうか。この見方だと、なぜ日本の高校生だけがそうなのか、ということについて、説明がつかなくなってしまう。日本だけがダントツに個人主義が進んでいるということはありえない。 アメリカよりも個人主義が進んでいると考えるのもおかしい。
●受験が破壊する子どもの心
私が中学生になったときのこと。祖父の前で、「バイシクル、自転車!」と読んでみせると、祖父は、「浩司が、英語を読んだぞ! 英語を読んだぞ!」と喜んでくれた。が、今、そういう感動が消えた。子どもがはじめてテストを持って帰ったりすると、親はこう言う。「何よ、この点数は! 平均点は何点だったの?」と。
さらに「幼稚園のときから、高い月謝を払ってあんたを英語教室へ通わせたけど、ムダだったわね」と言う親さえいる。しかしこういう親の一言が、子どもからやる気をなくす。いや、その程度ですめばまだよいほうだ。こういう親の教育観は、親子の信頼感、さらには親子のきずなそのものまで、こなごなに破壊する。冒頭にあげた「85%」という数字は、まさにその結果であるとみてよい。
●「家族って、何ですかねえ……」
さらに深刻な話をしよう。現実にあった話だ。R氏は、リストラで仕事をなくした。で、そのとき手にした退職金で、小さな設計事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事は行きづまってしまった。R氏には2人の娘がいた。1人は大学1年生、もう1人は高校3年生だった。R氏はあちこちをかけずり回り、何とか上の娘の学費は工面することができたが、下の娘の学費が難しくなった。
そこで下の娘に、「大学への進学をあきらめてほしい」と言ったが、下の娘はそれに応じなかった。「こうなったのは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、あんたの義務を果たしてよ!」と。本来ならここで妻がR氏を助けなければならないのだが、その妻まで、「生活ができない」と言って、家を出て、長女のアパートに身を寄せてしまった。そのR氏はこう言う。「家族って、何ですかねえ……」と。
●娘にも言い分はある
いや、娘にも言い分はある。私が「お父さんもたいへんなんだから、理解してあげなさい」と言うと、下の娘はこう言った。「小さいときから、勉強しろ、勉強しろとさんざん言われつづけてきた。それを今になって、勉強しなくていいって、どういうこと!」と。
今、日本では親子のきずなが、急速に崩壊し始めている。長引く不況が、それに拍車をかけている。日本独特の「学歴社会」が、その原因のすべてとは言えないが、しかしそれが原因でないとは、もっと言えない。たとえば私たちが何気なく使う、「勉強しなさい」「宿題はやったの」という言葉にしても、いつの間にか親子の間に、大きなミゾをつくる。そこでどうだろう、言い方を変えてみたら……。
たとえば英語国では、日本人が「がんばれ」と言いそうなとき、「テイク・イット・イージィ(気楽にやりなよ)」と言う。「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。よい言葉だ。あなたの子どもがテストの点が悪くて、落ち込んでいるようなとき、一度そう言ってみてほしい。「気楽にやりなよ」と。この一言が、あなたの子どもの心をいやし、親子のきずなを深める。子どももそれでやる気を起こす。
Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司
【子どもの心が離れるとき】
●フリーハンドの人生
「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前向きに生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考えなくていい。親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形で子どもに子どもの人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。
子どもを「家」や、安易な孝行論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待するのも、いけない。もちろん子どもがそのあと自分で考え、家のことを心配したり、親に孝行をするというのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。
●本当にすばらしい母親?
日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育ててやった」と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」と、恩を着せられてしまう。
以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌手のI氏が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(2000年夏)。「私は母の女手一つで、育てられました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」と。
はじめ私は、I氏の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。しかしそのうちI氏の母親が、本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくなってしまった。50歳も過ぎたI氏に、そこまで思わせてよいものか。I氏をそこまで追いつめてよいものか。ひょっとしたら、I氏の母親はI氏を育てながら、無意識のうちにも、I氏に恩を着せてしまったのかもしれない。
●子離れできない親、親離れできない子
日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかりやすく言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく当然のこととして、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』である。「♪かあさんは、夜なべをして……」という、あの歌である。
戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しかしこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着せがましい歌はない。窪田聡という人が作詞した『かあさんの歌』は、3番まであるが、それぞれ3、4行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分は、母からの手紙の引用ということになっている。それを並べてみる。
「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」
しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あなたはどう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけなくなってしまうに違いない。
●「今夜も居間で俳句づくり」
親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べながら、手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」である。そう書くべきである。
つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々と織り込まれている! ……と考えていたら、こんな子ども(中2男子)がいた。自分のことを言うのに、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そういう言い方はよせ」と言うと、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取り」という言葉を、四〇年ぶりに聞いた。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはいる。
●うしろ姿の押し売りはしない
子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければならない。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。
子どもを育てるために苦労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本では「親のうしろ姿」というが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し売りすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。
……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美徳の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こんな調査結果がある。
平成6年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日本の若者はたったの、23%(3年後の平成9年には19%にまで低下)しかいない。
自由意識の強いフランスでさえ59%。イギリスで46%。あのアメリカでは、何と63%である(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな転換期にきているとみるべきではないのか。
●親も前向きに生きる
繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親のものでもない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のためでもある。
私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなければならない。親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳ではない。あなたの親もそれを望まないだろう。いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。が、これからの考え方ではない。あくまでもフリーハンド、である。
ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命に生きる。あなたはあなたで、懸命に生きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。
※ ……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・平成六年)は、次のようになっている。
フィリッピン ……81%(11か国中、最高)
韓国 ……67%
タイ ……59%
ドイツ ……38%
スウェーデン ……37%
日本の若者のうち、55%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏から読むと、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子供の自立 子どもの自立 生活 自立 子どもの依存心 依存性 子供の依存心 依存性 親に依存する子供)
【親子のきずなを深める法】
親子のきずなが切れるとき
●親に反抗するのは、子どもの自由?
「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、85%。「親に反抗してはいけない」と考えている高校生は、15%。
この数字を、アメリカや中国と比較してみると、親に反抗してもよい……アメリカ16%、中国15%。親に反抗してはいけない……アメリカ82%、中国84%(財団法日本青少年研究所・98年調査)。
日本だけは、親に反抗してもよいと考えている高校生が、ダントツに多く、反抗してはいけないと考えている高校生が、ダントツに少ない。
こうした現象をとらえて、「日本の高校生たちの個人主義が、ますます進んでいる」(評論家O氏)と論評する人がいる。しかし本当にそうか。この見方だと、なぜ日本の高校生だけがそうなのか、ということについて、説明がつかなくなってしまう。日本だけがダントツに個人主義が進んでいるということはありえない。 アメリカよりも個人主義が進んでいると考えるのもおかしい。
●受験が破壊する子どもの心
私が中学生になったときのこと。祖父の前で、「バイシクル、自転車!」と読んでみせると、祖父は、「浩司が、英語を読んだぞ! 英語を読んだぞ!」と喜んでくれた。が、今、そういう感動が消えた。子どもがはじめてテストを持って帰ったりすると、親はこう言う。「何よ、この点数は! 平均点は何点だったの?」と。
さらに「幼稚園のときから、高い月謝を払ってあんたを英語教室へ通わせたけど、ムダだったわね」と言う親さえいる。しかしこういう親の一言が、子どもからやる気をなくす。いや、その程度ですめばまだよいほうだ。こういう親の教育観は、親子の信頼感、さらには親子のきずなそのものまで、こなごなに破壊する。冒頭にあげた「85%」という数字は、まさにその結果であるとみてよい。
●「家族って、何ですかねえ……」
さらに深刻な話をしよう。現実にあった話だ。R氏は、リストラで仕事をなくした。で、そのとき手にした退職金で、小さな設計事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事は行きづまってしまった。R氏には2人の娘がいた。1人は大学1年生、もう1人は高校3年生だった。R氏はあちこちをかけずり回り、何とか上の娘の学費は工面することができたが、下の娘の学費が難しくなった。
そこで下の娘に、「大学への進学をあきらめてほしい」と言ったが、下の娘はそれに応じなかった。「こうなったのは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、あんたの義務を果たしてよ!」と。本来ならここで妻がR氏を助けなければならないのだが、その妻まで、「生活ができない」と言って、家を出て、長女のアパートに身を寄せてしまった。そのR氏はこう言う。「家族って、何ですかねえ……」と。
●娘にも言い分はある
いや、娘にも言い分はある。私が「お父さんもたいへんなんだから、理解してあげなさい」と言うと、下の娘はこう言った。「小さいときから、勉強しろ、勉強しろとさんざん言われつづけてきた。それを今になって、勉強しなくていいって、どういうこと!」と。
今、日本では親子のきずなが、急速に崩壊し始めている。長引く不況が、それに拍車をかけている。日本独特の「学歴社会」が、その原因のすべてとは言えないが、しかしそれが原因でないとは、もっと言えない。たとえば私たちが何気なく使う、「勉強しなさい」「宿題はやったの」という言葉にしても、いつの間にか親子の間に、大きなミゾをつくる。そこでどうだろう、言い方を変えてみたら……。
たとえば英語国では、日本人が「がんばれ」と言いそうなとき、「テイク・イット・イージィ(気楽にやりなよ)」と言う。「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。よい言葉だ。あなたの子どもがテストの点が悪くて、落ち込んでいるようなとき、一度そう言ってみてほしい。「気楽にやりなよ」と。この一言が、あなたの子どもの心をいやし、親子のきずなを深める。子どももそれでやる気を起こす。
Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司
【子どもの心が離れるとき】
●フリーハンドの人生
「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前向きに生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考えなくていい。親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形で子どもに子どもの人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。
子どもを「家」や、安易な孝行論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待するのも、いけない。もちろん子どもがそのあと自分で考え、家のことを心配したり、親に孝行をするというのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。
●本当にすばらしい母親?
日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育ててやった」と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」と、恩を着せられてしまう。
以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌手のI氏が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(2000年夏)。「私は母の女手一つで、育てられました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」と。
はじめ私は、I氏の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。しかしそのうちI氏の母親が、本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくなってしまった。50歳も過ぎたI氏に、そこまで思わせてよいものか。I氏をそこまで追いつめてよいものか。ひょっとしたら、I氏の母親はI氏を育てながら、無意識のうちにも、I氏に恩を着せてしまったのかもしれない。
●子離れできない親、親離れできない子
日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかりやすく言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく当然のこととして、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』である。「♪かあさんは、夜なべをして……」という、あの歌である。
戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しかしこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着せがましい歌はない。窪田聡という人が作詞した『かあさんの歌』は、3番まであるが、それぞれ3、4行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分は、母からの手紙の引用ということになっている。それを並べてみる。
「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」
しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あなたはどう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけなくなってしまうに違いない。
●「今夜も居間で俳句づくり」
親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べながら、手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」である。そう書くべきである。
つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々と織り込まれている! ……と考えていたら、こんな子ども(中2男子)がいた。自分のことを言うのに、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そういう言い方はよせ」と言うと、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取り」という言葉を、四〇年ぶりに聞いた。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはいる。
●うしろ姿の押し売りはしない
子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければならない。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。
子どもを育てるために苦労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本では「親のうしろ姿」というが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し売りすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。
……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美徳の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こんな調査結果がある。
平成6年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日本の若者はたったの、23%(3年後の平成9年には19%にまで低下)しかいない。
自由意識の強いフランスでさえ59%。イギリスで46%。あのアメリカでは、何と63%である(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな転換期にきているとみるべきではないのか。
●親も前向きに生きる
繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親のものでもない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のためでもある。
私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなければならない。親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳ではない。あなたの親もそれを望まないだろう。いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。が、これからの考え方ではない。あくまでもフリーハンド、である。
ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命に生きる。あなたはあなたで、懸命に生きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。
※ ……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・平成六年)は、次のようになっている。
フィリッピン ……81%(11か国中、最高)
韓国 ……67%
タイ ……59%
ドイツ ……38%
スウェーデン ……37%
日本の若者のうち、55%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏から読むと、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子供の自立 子どもの自立 生活 自立 子どもの依存心 依存性 子供の依存心 依存性 親に依存する子供)