最前線の育児論byはやし浩司

★子育て最前線でがんばる、お父さん、お母さんのための支援サイト★はやし浩司のエッセー、育児論ほか

●子どもの依存性

2006-10-17 07:31:41 | Weblog
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【親子のきずなを深める法】

親子のきずなが切れるとき 

●親に反抗するのは、子どもの自由?

 「親に反抗するのは、子どもの自由でよい」と考えている日本の高校生は、85%。「親に反抗してはいけない」と考えている高校生は、15%。

この数字を、アメリカや中国と比較してみると、親に反抗してもよい……アメリカ16%、中国15%。親に反抗してはいけない……アメリカ82%、中国84%(財団法日本青少年研究所・98年調査)。

日本だけは、親に反抗してもよいと考えている高校生が、ダントツに多く、反抗してはいけないと考えている高校生が、ダントツに少ない。

こうした現象をとらえて、「日本の高校生たちの個人主義が、ますます進んでいる」(評論家O氏)と論評する人がいる。しかし本当にそうか。この見方だと、なぜ日本の高校生だけがそうなのか、ということについて、説明がつかなくなってしまう。日本だけがダントツに個人主義が進んでいるということはありえない。 アメリカよりも個人主義が進んでいると考えるのもおかしい。

●受験が破壊する子どもの心

 私が中学生になったときのこと。祖父の前で、「バイシクル、自転車!」と読んでみせると、祖父は、「浩司が、英語を読んだぞ! 英語を読んだぞ!」と喜んでくれた。が、今、そういう感動が消えた。子どもがはじめてテストを持って帰ったりすると、親はこう言う。「何よ、この点数は! 平均点は何点だったの?」と。

さらに「幼稚園のときから、高い月謝を払ってあんたを英語教室へ通わせたけど、ムダだったわね」と言う親さえいる。しかしこういう親の一言が、子どもからやる気をなくす。いや、その程度ですめばまだよいほうだ。こういう親の教育観は、親子の信頼感、さらには親子のきずなそのものまで、こなごなに破壊する。冒頭にあげた「85%」という数字は、まさにその結果であるとみてよい。

●「家族って、何ですかねえ……」

 さらに深刻な話をしよう。現実にあった話だ。R氏は、リストラで仕事をなくした。で、そのとき手にした退職金で、小さな設計事務所を開いた。が、折からの不況で、すぐ仕事は行きづまってしまった。R氏には2人の娘がいた。1人は大学1年生、もう1人は高校3年生だった。R氏はあちこちをかけずり回り、何とか上の娘の学費は工面することができたが、下の娘の学費が難しくなった。

そこで下の娘に、「大学への進学をあきらめてほしい」と言ったが、下の娘はそれに応じなかった。「こうなったのは、あんたの責任だから、借金でも何でもして、あんたの義務を果たしてよ!」と。本来ならここで妻がR氏を助けなければならないのだが、その妻まで、「生活ができない」と言って、家を出て、長女のアパートに身を寄せてしまった。そのR氏はこう言う。「家族って、何ですかねえ……」と。

●娘にも言い分はある

 いや、娘にも言い分はある。私が「お父さんもたいへんなんだから、理解してあげなさい」と言うと、下の娘はこう言った。「小さいときから、勉強しろ、勉強しろとさんざん言われつづけてきた。それを今になって、勉強しなくていいって、どういうこと!」と。

 今、日本では親子のきずなが、急速に崩壊し始めている。長引く不況が、それに拍車をかけている。日本独特の「学歴社会」が、その原因のすべてとは言えないが、しかしそれが原因でないとは、もっと言えない。たとえば私たちが何気なく使う、「勉強しなさい」「宿題はやったの」という言葉にしても、いつの間にか親子の間に、大きなミゾをつくる。そこでどうだろう、言い方を変えてみたら……。

たとえば英語国では、日本人が「がんばれ」と言いそうなとき、「テイク・イット・イージィ(気楽にやりなよ)」と言う。「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。よい言葉だ。あなたの子どもがテストの点が悪くて、落ち込んでいるようなとき、一度そう言ってみてほしい。「気楽にやりなよ」と。この一言が、あなたの子どもの心をいやし、親子のきずなを深める。子どももそれでやる気を起こす。   


Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司

【子どもの心が離れるとき】 

●フリーハンドの人生 

 「たった一度しかない人生だから、あなたはあなたの人生を、思う存分生きなさい。前向きに生きなさい。あなたの人生は、あなたのもの。家の心配? ……そんなことは考えなくていい。親孝行? ……そんなことは考えなくていい」と、一度はフリーハンドの形で子どもに子どもの人生を手渡してこそ、親は親としての義務を果たしたことになる。

子どもを「家」や、安易な孝行論でしばってはいけない。負担に思わせるのも、期待するのも、いけない。もちろん子どもがそのあと自分で考え、家のことを心配したり、親に孝行をするというのであれば、それは子どもの勝手。子どもの問題。

●本当にすばらしい母親?

 日本人は無意識のうちにも、子どもを育てながら、子どもに、「産んでやった」「育ててやった」と、恩を着せてしまう。子どもは子どもで、「産んでもらった」「育ててもらった」と、恩を着せられてしまう。

 以前、NHKの番組に『母を語る』というのがあった。その中で日本を代表する演歌歌手のI氏が、涙ながらに、切々と母への恩を語っていた(2000年夏)。「私は母の女手一つで、育てられました。その母に恩返しをしたい一心で、東京へ出て歌手になりました」と。

はじめ私は、I氏の母親はすばらしい人だと思っていた。I氏もそう話していた。しかしそのうちI氏の母親が、本当にすばらしい親なのかどうか、私にはわからなくなってしまった。50歳も過ぎたI氏に、そこまで思わせてよいものか。I氏をそこまで追いつめてよいものか。ひょっとしたら、I氏の母親はI氏を育てながら、無意識のうちにも、I氏に恩を着せてしまったのかもしれない。

●子離れできない親、親離れできない子

 日本人は子育てをしながら、子どもに献身的になることを美徳とする。もう少しわかりやすく言うと、子どものために犠牲になる姿を、子どもの前で平気で見せる。そしてごく当然のこととして、子どもにそれを負担に思わせてしまう。その一例が、『かあさんの歌』である。「♪かあさんは、夜なべをして……」という、あの歌である。

戦後の歌声運動の中で大ヒットした歌だが、しかしこの歌ほど、お涙ちょうだい、恩着せがましい歌はない。窪田聡という人が作詞した『かあさんの歌』は、3番まであるが、それぞれ3、4行目はかっこ付きになっている。つまりこの部分は、母からの手紙の引用ということになっている。それを並べてみる。

「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」
「♪おとうは土間で藁打ち仕事。お前もがんばれよ」
「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」

 しかしあなたが息子であるにせよ娘であるにせよ、親からこんな手紙をもらったら、あなたはどう感ずるだろうか。あなたは心配になり、羽ばたける羽も、安心して羽ばたけなくなってしまうに違いない。

●「今夜も居間で俳句づくり」

 親が子どもに手紙を書くとしたら、仮にそうではあっても、「とうさんとお煎べいを食べながら、手袋を編んだよ。楽しかったよ」「とうさんは今夜も居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「春になれば、村の旅行会があるからさ。温泉へ行ってくるからね」である。そう書くべきである。

つまり「かあさんの歌」には、子離れできない親、親離れできない子どもの心情が、綿々と織り込まれている! ……と考えていたら、こんな子ども(中2男子)がいた。自分のことを言うのに、「D家(け)は……」と、「家」をつけるのである。そこで私が、「そういう言い方はよせ」と言うと、「ぼくはD家の跡取り息子だから」と。私はこの「跡取り」という言葉を、四〇年ぶりに聞いた。今でもそういう言葉を使う人は、いるにはいる。

●うしろ姿の押し売りはしない

 子育ての第一の目標は、子どもを自立させること。それには親自身も自立しなければならない。そのため親は、子どもの前では、気高く生きる。前向きに生きる。そういう姿勢が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。親子のきずなも、それで深まる。

子どもを育てるために苦労している姿。生活を維持するために苦労している姿。そういうのを日本では「親のうしろ姿」というが、そのうしろ姿を子どもに押し売りしてはいけない。押し売りすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。 

 ……と書くと、「君の考え方は、ヘンに欧米かぶれしている。親孝行論は日本人がもつ美徳の一つだ。日本のよさまで君は否定するのか」と言う人がいる。しかし事実は逆だ。こんな調査結果がある。

平成6年に総理府がした調査だが、「どんなことをしてでも親を養う」と答えた日本の若者はたったの、23%(3年後の平成9年には19%にまで低下)しかいない。

自由意識の強いフランスでさえ59%。イギリスで46%。あのアメリカでは、何と63%である(※)。欧米の人ほど、親子関係が希薄というのは、誤解である。今、日本は、大きな転換期にきているとみるべきではないのか。

●親も前向きに生きる

 繰り返すが、子どもの人生は子どものものであって、誰のものでもない。もちろん親のものでもない。一見ドライな言い方に聞こえるかもしれないが、それは結局は自分のためでもある。

私たちは親という立場にはあっても、自分の人生を前向きに生きる。生きなければならない。親のために犠牲になるのも、子どものために犠牲になるのも、それは美徳ではない。あなたの親もそれを望まないだろう。いや、昔の日本人は子どもにそれを求めた。が、これからの考え方ではない。あくまでもフリーハンド、である。

ある母親は息子にこう言った。「私は私で、懸命に生きる。あなたはあなたで、懸命に生きなさい」と。子育ての基本は、ここにある。

※ ……ほかに、「どんなことをしてでも、親を養う」と答えた若者の割合(総理府調査・平成六年)は、次のようになっている。

 フィリッピン ……81%(11か国中、最高)
 韓国     ……67%
 タイ     ……59%
 ドイツ    ……38%
 スウェーデン ……37%
 日本の若者のうち、55%は、「生活力に応じて(親を)養う」と答えている。これを裏から読むと、「生活力がなければ、養わない」ということになるのだが……。 
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●ドメスティック・バイオレンス

2006-10-06 12:57:07 | Weblog
【ドメスティック・バイオレンス】

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家庭内暴力、称して、「ドメスティック・バイオレンス」。
略して、「DV」。

「配偶者(たいていは夫)、もしくは、恋人からの暴力」
をいう。

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●夫婦喧嘩のリズム

 周期的に夫婦喧嘩を繰りかえす人がいる。(私たち夫婦も、そうだが……。)その夫婦喧嘩には、一定のリズムがあることがわかる。【安定期】→【緊張期】→【爆発期】→【反省期】というパターンで、繰りかえされる。

【安定期】

 夫婦として、何ごともなく、淡々とすぎていく。朝起きると、夫がそこにいて、妻がそこにいる。それぞれが自分の持ち場で、自分勝手なことをしている。日々は平穏に過ぎ、昨日のまま、今日となり、今日のまま、明日となる。

【緊張期】

 たがいの間に、おかしな、不協和音が流れ始める。夫は妻に不満を覚える。妻も、夫に不満を覚える。忍耐と寛容。それが交互にたがいを襲う。何か物足りない。何かぎこちない。会話をしていても、どこかトゲトゲしい……。ピリピリとした雰囲気になる。

【爆発期】

 ささいなことがきっかけで、どちらか一方が、爆発する。相手の言葉尻をつかまえて、口論になったり、言い争いになったりする。それが一気に加速し、爆発する。それまでの鬱積(うっせき)した不満が、口をついて出てくる。はげしい口答え。もしくは無視、無言。

【反省期】

 爆発が一巡すると、やがて、反省期を迎える。自分の愚かさを、たがいにわびたり、謝ったりする。が、それも終わると、今度は反対に、相手に、いとおしさを覚えたりする。たがいに安定期より、深い愛情を感ずることもある。心はどこか落ち着かないが、「これでいいのだ」と、たがいに納得する。

 これが夫婦喧嘩のリズムだが、そのうちの【爆発期】に、どのような様相を示すかで、それがただ単なる夫婦喧嘩で終わるのか、DV(ドメスティック・バイオレンス)になるかが、決まる。

●ドメスティック・バイオレンス

 東京都生活文化局の調査によれば、

   精神的暴力を(夫から)受けたことがある人……55・9%
   身体的暴力を(夫から)受けたことがある人……33%、ということだそうだ。
 (1997年、女性からの有効回答者数、1553人の調査結果)

 DVの特徴は、大きくわけて、つぎの2つがあるとされる(渋谷昌三・心理学用語)。

(1) 非挑発性……ふつうならば攻撃性を誘発することのないことに対して、攻撃性を感ずること(同書)。
(2) 非機能性……攻撃しても、何の問題解決にもならないこと(同書)と。

 わかりやすく言うと、DVが、ふつうの夫婦喧嘩と異なる点は、攻撃される側にしてみれば、夫が、どうして急に激怒するか、その理由さえわからないということ。またそうして夫が激怒したからといって、問題は何も解決しないということ。もともと、何か具体的な問題があって、夫が激怒するわけではないからである。

 ではなぜ、夫は、理由もなく(?)、急激に暴力行為におよぶのか。

 私は、その根底に、夫側に自己嫌悪感があるからではないかとみている。つまり妻側に何か問題があるから、夫が暴力をふるうというよりは、夫側が、はげしい自己嫌悪におちいり、その自己嫌悪感を攻撃的に解消しようとして、夫は、妻に対して、暴力行為におよぶ。(もちろんその逆、つまり妻が夫に暴力をふるうケースもあるが……。)

 ただ暴力といっても、身体的暴力にかぎらない。心理的暴力、経済的暴力、性的暴力、子どもを利用した暴力、強要・脅迫・威嚇、否認、責任転嫁、社会的隔離などもある(かながわ女性センター)。

 アメリカの臨床心理学者のウォーカーは、妻に暴力をふるう夫の特徴として、つぎの4つをあげている(同書)。

(1) 自己評価が低い
(2) 男性至上主義者である
(3) 病的なほど嫉妬深い
(4) 自分のストレス解消のため、妻を虐待する、と。

 これら4つを総合すると、(夫の自己嫌悪)→(自己管理能力の欠落)→(暴力)という構図が浮かびあがってくる。

 実は私も、ときどき、はげしい自己嫌悪におちいるときがある。自分がいやになる。自分のしていることが、たまらなくつまらなく思えてくる。ウォーカーがいうところの、「自己評価」が、限りなく低くなる。

 そういうとき、その嫌悪感を代償的に解消しようとする力が、働く。俗にいう『八つ当たり』である。その八つ当たりが、一番身近にいる、妻に向く。それがDVということになる。

 が、それだけではない。その瞬間、自分自身の問題をタナにあげて、妻側に完ぺき性を求めることもある。自分に対する、絶対的な忠誠と徹底的な服従性。それを求めきれないと知り、あるいはそれを求めるため、妻に対して暴力をふるう。

 こうした暴力行為は、本来なら、その夫自身がもつ自己管理能力によってコントロールされるものである。自己管理能力が強い人は、自分を管理しながら、そうした暴力が理不尽なものであることを知る。が、それが弱い人や、そうした暴力行為を、日常的な行為として見て育った人は、そのまま妻に暴力をふるう。

 マザコンタイプの夫ほど妻に暴力をふるいやすいというのは、それだけ、妻に、(女としての理想像)を求めやすいということがある。

 で、自己管理能力を弱くするものとしては、その人自身の精神的欠陥、情緒的未熟性、あるいは、慢性化したストレス、精神的疾患などが考えられる。うつ病(もしくはうつ病タイプ)の夫が、突発的にキレた状態になり、妻に暴力をふるうというケースは、よく知られている。

●対処方法

 妻側の対処方法としては、(あくまでも通常の夫婦喧嘩のワクを超えているばあいだが)、その雰囲気を事前に察したら、

(1) 逆らわない
(2) 口答えしない
(3) 「すみません」「ごめんなさい」と言って逃げる、に尽きる。

 決して口答えしたり、反論したり、言い訳をしてはいけない。夫が心の病気におかされていると考え、ただひたすら、「すみません」「ごめんなさい」を繰りかえす。この段階で、反論したりすると、それが瞬時に、夫側を激怒させ、暴力につながる。

 で、DVも、冒頭に書いたように、4つのパターンを繰りかえしながら起きるとされている。(学者によっては、【緊張期】→【爆発期】→【反省期】の3相に分けて考える人もいる。)つまりその緊張期に、どうそれを知り、どう夫をコントロールするかが重要ということ。

 方法としては、気分転換ということになる。要するに、「内」にこもらないということ。サークル活動をするのもよし、旅行をするのもよし。とくにこのタイプの夫婦は、たがいに見つめあってはいけない。たがいに前だけを見て、前に進む。

 ただこの世界には、「共依存」(注※)というのもある。暴力を繰りかえす夫。それに耐える妻。その両者の間に、おかしな共依存関係ができることもある。

 ここでいう【反省期】に、夫が、ふだん以上に妻にやさしくする。一方、やさしくされる妻は、「それが夫の本当の姿」と思いこんでしまう。こうしてますますたがいに、依存しあうようになる。夫の暴力を、許容してしまうようになる。

 DVは、夫婦という、本来は、何人も割って入れない世界の問題であるだけに、対処のしかたがむずかしい。今では、DVに対する理解も進み、また各地に、相談窓口もふえてきた。

 この問題だけは、決してひとりでは悩んではいけない。もし夫の暴力が、耐え難いものであれば、そういう相談窓口に相談してみるのもよい。

なおこの日本では、『配偶者からの暴力の防止および被害者の保護に関する法律』も、2001年度から施行されている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 DV ドメスティック・バイオレンス 家庭内暴力 夫の暴力 暴力行為 ドメスティックバイオレンス)


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共依存について書いた原稿を
添付します。

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注※……共依存

依存症にも、いろいろある。よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存症など。

もちろん、人間が人間に依存することもある。さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。

しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。それを「共依存」という。典型的な例としては、つぎのようなものがある。

夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。仕事はしない。何かいやなことがあると、妻に怒鳴り散らす。しかし決定的なところまでは、しない。妻の寛容度の限界をよく知っていて、その寸前でやめる。(それ以上すれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)

それに、いつも、暴力を振るっているのではない。日ごろは、やさしい夫といった感じ。サービス精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。お前のようないい女房をもちながら、苦労ばかりかけている」と、謝ったりする。

一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。私は、この人には必要なのだ。だからこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と、夫の世話をする。

こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみることで、依存する。

ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。そして夜、遅く帰ってくる。子どもはいない。その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。そして仕事から帰ってくるときは、必ず、夕食の材料を買って帰るという。

それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイスした。しかしその妻には、聞く耳がなかった。そうすることが、妻の努めと思いこんでいるようなところがあった。

つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。本来なら、夫に、依存性をもたせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫にさせるといったことが必要だった。当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。

が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。夫は、自分から離れていってしまうかもしれない。そんな不安感があった。だから無意識のうちにも、妻は、夫に、依存心をもたせ、自分の立場を守っていた。

ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大きなキズを負うことが知られている。「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったということで、アダルト・チェルドレンになる可能性が高くなるという」(松原達哉「臨床心理学」ナツメ社)。

「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。このような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのではないかという不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があります。

子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりのよさを見につけてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダルト・チェルドレン』と呼んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。

ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン依存症とも考えられなくはない。もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンになるわけではない。ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっても、ここでいうような症状は現れる。

で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……という疑問をもつ人がいるかもしれない。

理由は、簡単。このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲心、貢献心、服従性を、そのつど、確認しているのである。

一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。世間的にも、献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。だからますます、夫に依存するようになる。

こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。これが「共依存」であるが、しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。

親子、兄弟の間でも、生まれやすい。他人との関係においても、生まれやすい。

生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息子)。親子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。わざと、弱々しい母親を演じてみせるなど。

娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先週買ってきた、イモを食べているから……」と。

その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存していたことになる。こういう例は多い。

息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみせたりするなど。前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタスタと歩いている自分の母親を見て、自分の目を疑ってしまったという。

その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまりながら、今にも倒れそうな様子で歩いていたからである。その同じ母親が、その翌日には、友人たちとスタスタと歩いていた!

その女性は、つぎのようなメールをくれた。

「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」と。

いわゆる自立できない親は、そこまでする。「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題ではない。言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。決して珍しくない。

で、その先は……。

今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子ども自身も、依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。

そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想像するが、実際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。むしろ、女児、女性のマザコンのほうが、男性のそれより、強烈であることが知られている。

女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。母と成人した息子がいっしょに風呂に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風呂に入っても、それほど、話題にはならない。

こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。

このつづきは、また別の機会に考えてみたい。
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