最前線の育児論byはやし浩司

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●あせる親たち(2)

2006-06-29 10:10:42 | Weblog
● 独特の価値観

はげしい受験競争を経験した子どもほど、独特の価値観をもつようになることは、よく知られている。

 人間の価値ですら、学歴や、点数で評価するのも、そのひとつだが、ほかにも、いろいろある。

 命の価値ですら、金銭的な数字に置きかえて判断する。損得だけで、人間関係を考える。相対的な評価だけで、自分は幸福だと思ったり、不幸だと思ったりする。

 親に対しても、「親の恩も、遺産しだい」と。

 つまりは、独特の価値観をもった、冷たい人間になる。が、当の本人ですら、それに気づくことはない。脳のCPU(中央演算装置)そのものが、狂うからである。

 しかし結局は、一番、損をするのは、その子ども自身ということになる。

 私の知人の中にも、定年退職をしたあとも、退職前の学歴や職歴(肩書き)を、そのまま引きずっている人がいる。そのため一般の社会に同化できず、孤独で、さみしい人生を送っている。

 このタイプの人は、あなたの周囲にも、1人や2人は、かならずいるはず。

● 変わる入試問題

しかし教育のほうだって、何も、こうした現状を前にして、手をこまねいて、おとなしくしているわけではない。

 現在、教育は、欧米化をめざして、どんどんと変わってきている。教育の自由化もそのひとつだが、受験体制、さらには、入試問題そのものも、大きく様変わりしてきている。

 いわゆる受験塾では、対処できない問題になりつつある。

 学校における内申書を重要視しながら、入試問題も、たとえば、総合的な判断力をみるものへと、変わりつつある。

 わかりやすく言えば、(できる・できない)よりも、(より深く考えられる。考えられない)という視点で、子どもを判断する。

 その一例として、こんな問題がある。

 環境の変化についてのさまざまなデータを、グラフや表で見せながら、「あなたは、これらのデータを見て、どう考えますか。200字以内で、自分の意見を書きなさい」(H市内N高校中等部入試問題)と。

 こうした傾向は、そのまま高校入試、さらには、大学入試へとつづいている。

●では、どうするか?

簡潔に言えば、親自身が、賢くなること。これにまさる解決方法は、ない。賢くなる……、つまり親自身が、自分で考えて行動する。

 それはたとえて言うなら、荒野の一軒家で、夜の闇におびえながら、ビクビクしているようなもの。わずかの物音に驚き、ものの気配におびえる。

 しかしそんなところに住みながらも、物音の正体を知り、ものの気配といっても、思い過ごしでしかないことを知る。夜の闇がこわければ、電灯をつければよい。ついでに戸締りも厳重にすればよい。

 賢くなるというのは、そういうことをいう。

 人間(動物)の宿命として、バカからは、バカがわからない(失礼!)。自分がバカであることにさえ、気づかない(失礼!)。しかしそのバカは、脳みその問題ではない。努力の問題である。

 が、そのバカな人たちから一歩、抜き出てみると、あなたをとりまく世界は、一変する。あなたがそれまでいた世界が、あたかも、サルの世界のように見えてくる。そして、同時に、あなたにも、何が大切で、何がそうでないかがわかるようになる。子どもの教育が、今、どうあるべきかが、わかってくる。

 つまりそういう形で、自分を昇華させながら、問題を解決する。

 その第1歩として、この原稿を書いてみた。

 あなたをよりよく知るための、その参考になれば、うれしい。
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中日新聞紙上で発表した原稿を、3作、
転載します。

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●いじめの陰に嫉妬

 陰湿かつ執拗ないじめには、たいていその裏で嫉妬がからんでいる。

この嫉妬というのは、恐らく人間が下等動物の時代からもっていた、いわば原始的な感情の一つと言える。それだけに扱いかたをまちがえると、とんでもない結果を招く。

 市内のある幼稚園でこんなことがあった。

その母親は、その幼稚園でPTAの役員をしていた。その立場をよいことに、いつもその幼稚園に出入りしていたのだが、ライバルの母親の娘(年中児)を見つけると、その子どもに執拗ないじめを繰り返していた。手口はこうだ。

その子どもの横を通り過ぎながら、わざとその子どもを足蹴りにして倒す。そして「ごめんなさいね」と作り笑いをしながら、その子どもを抱きかかえて起こす。起こしながら、その勢いで、またその子どもを放り投げて倒す。

以後、その子どもはその母親の姿を見かけただけで、顔を真っ青にしておびえるようになったという。

ことのいきさつを子どもから聞いた母親は、相手の母親に、それとなく話をしてみたが、その母親は最後までとぼけて、取りあわなかったという。父親同士が、同じ病院に勤める医師だったということもあった。被害にあった母親はそれ以上に強く、問いただすことができなかった。

似たようなケースだが、ほかにマンションのエレベータの中で、隣人の子ども(3歳男児)を、やはり足蹴りにしていた母親もいた。この話を、80歳を過ぎた私の母にすると、母は、こう言って笑った。「昔は、田舎のほうでは、子殺しというものまであったからね」と。

 子どものいじめとて例外ではない。Tさん(小3女児)は、陰湿なもの隠しで悩んでいた。体操着やカバン、スリッパは言うに及ばず、成績表まで隠されてしまった。しかもそれが1年以上も続いた。Tさんは転校まで考えていたが、もの隠しをしていたのは、Tさんの親友と思われていたUという女の子だった。

それがわかったとき、Tさんの母親は言葉を失ってしまった。「いつも最後まで学校に残って、なくなったものを一緒にさがしていてくれたのはUさんでした」と。Tさんは、クラスの人気者。背が高くて、スポーツマンだった。一方、Uは、ずんぐりした体格の、どうみてもできがよい子どもには見えなかった。Uは、親友のふりをしながら、いつもTさんのスキをねらっていた。そして最近でも、こんなことがあった。

 ある母親から、「うちの娘(中2)が、陰湿なもの隠しに悩んでいます。どうしたらいいでしょうか」と。先のTさんの事件のときもそうだったが、こうしたもの隠しが長期にわたって続くときは、身近にいる子どもをまず疑ってみる。

そこで私が、「今一番、身近にいる友人は誰か」と聞くと、その母親は、「そういえば、毎朝、迎えにきてくれる子がいます」と。そこで私は、こうアドバイスした。「朝、その子どもが迎えにきたら、じっとその子どもの目をみつめて、『おばさんは、何でも知っていますからね』とだけ言いなさい」と。

その母親は、私のアドバイス通りに、その子どもにそう言った。以後、その日を境に、もの隠しはウソのように消えた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 いじめ 子供のいじめ いじめ問題 嫉妬)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●生意気な子どもたち

 子「くだらねエ、授業だな。こんなの、簡単にわかるよ」
私「うるさいから、静かに」
子「うるせえのは、テメエだろうがア」
私「何だ、その言い方は」
子「テメエこそ、うるせえって、言ってんだヨ」
私「勉強したくないなら、外へ出て行け」
子「何で、オレが、出て行かなきゃ、ならんのだヨ。貴様こそ、出て行け。貴様、ちゃんと、金、もらっているんだろオ!」と。
そう言って机を、足で蹴っ飛ばす……。

 中学生や高校生との会話ではない。小学生だ。しかも小学3年生だ。もの知りで、勉強だけは、よくできる。彼が通う進学塾でも、1年、飛び級をしているという。

しかしおとなをおとなとも思わない。先生を先生とも思わない。今、こういう子どもが、ふえている。問題は、こういう子どもをどう教えるかではなく、いかにして自分自身の中の怒りをおさえるか、である。あるいはあなたなら、こういう子どもを、一体、どうするだろうか。

 子どもの前で、学校の批判や、先生の悪口は、タブー。言えば言ったで、あなたの子どもは先生の指導に従わなくなる。

冒頭に書いた子どものケースでも、母親に問題があった。彼が幼稚園児のとき、彼の問題点を告げようとしたときのことである。その母親は私にこう言った。「あなたは黙って、息子の勉強だけをみていてくれればいい」と。つまり「よけいなことは言うな」と。母親自身が、先生を先生とも思っていない。彼女の夫は、ある総合病院の医師だった。ほかにも、私はいろいろな経験をした。こんなこともあった。

 教材代金の入った袋を、爪先でポンとはじいて、「おい、あんたのほしいのは、これだろ。取っておきナ」と。彼は市内でも一番という進学校に通う、高校1年生だった。

あるいは面と向かって私に、「あんたも、こんなくだらネエ仕事、よくやってんネ。私ゃネ、おとなになったら、あんたより、もう少しマシな仕事をスッカラ」と言った子ども(小6女児)もいた。やはりクラスでは、一、二を争うほど、勉強がよくできる子どもだった。

 皮肉なことに、子どもは使えば使うほど、苦労がわかる子どもになる。そしてものごしが低くなり、性格も穏やかになる。しかしこのタイプの子どもは、そういう苦労をほとんどといってよいほど、していない。具体的には、家事の手伝いを、ほとんどしていない。言いかえると、親も勉強しかさせていない。また勉強だけをみて、子どもを評価している。子ども自身も、「自分は優秀だ」と、錯覚している。

 こういう子どもがおとなになると、どうなるか……。サンプルにはこと欠かない。日本でエリートと言われる人は、たいてい、このタイプの人間と思ってよい。

官庁にも銀行にも、そして政治家のなかにも、ゴロゴロしている。都会で受験勉強だけをして、出世した(?)ような人たちだ。見かけの人間味にだまされてはいけない。いや、ふつうの人はだませても、私たち教育者はだませない。彼らは頭がよいから、いかにすれば自分がよい人間に見えるか、また見せることができるか、それだけを毎日、研究している。

 教育にはいろいろな使命があるが、こういう子どもだけは作ってはいけない。日本全体の将来にはマイナスにこそなれ、プラスになることは、何もない。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●発作的に暴れる子ども

 ある日の午後。一人の母親がやってきて、青ざめた顔で、こう言った。「娘(年中児)が、包丁を投げつけます! どうしたらよいでしょうか」と。

話を聞くと、どうやら「ピアノのレッスン」というのが、キーワードになっているようだった。母親がその言葉を口にしただけで、子どもは激変した。「その直前までは、ふだんと変わりないのですが、私が『ピアノのレッスンをしようね』と言ったとたん、別人のようになって暴れるのです」と。

 典型的なかんしゃく発作による家庭内暴力である。このタイプの子どもは、幼稚園や保育園などの「外」の世界では、信じられないほど「よい子」を演ずることが多い。柔和でおとなしく、静かで、その上、従順だ。

しかもたいてい繊細な感覚をもっていて、頭も悪くない。ほとんどの先生は、「ものわかりがよく、すなおなよい子」という評価をくだす。

しかしこの「よい子」というのが、クセ者である。子どもはその「よい子」を演じながら、その分、大きなストレスを自分の中にため込む。そしてそのストレスが心をゆがめる。つまり表情とは裏腹に、心はいつも緊張状態にあって、それが何らかの形で刺激されたとき、暴発する。

ふつうの激怒と違うのは、子ども自身の人格が変わってしまったかのようになること。瞬間的にそうなる。表情も、冷たく、すごみのある顔つきになる。

 ついでながら子どもの、そしておとなの人格というのは、さまざまな経験や体験、それに苦労を通して完成される。つまり生まれながらにして、人格者というのはいないし、いわんや幼児では、さらにいない。もしあなたが、どこかの幼児を見て、「よくできた子」という印象を受けたら、それは仮面と思って、まずまちがいない。つまり表面的な様子には、だまされないこと。

 ふつう情緒の安定している子どもは、外の世界でも、また家の中の世界でも、同じような様子を見せる。言いかえると、もし外の世界と家の中の世界と、子どもが別人のようであると感じたら、その子どもの情緒には、どこか問題があると思ってよい。

あるいは子どもの情緒は、子どもが肉体的に疲れていると思われるときを見て、判断する。運動会のあとでも、いつもと変わりないというのであれば、情緒の安定した子どもとみる。不安定な子どもはそういうとき、ぐずったり、神経質になったりする。

 なお私はその母親には、こうアドバイスした。「カルシウムやマグネシウム分の多い食生活にこころがけながら、スキンシップを大切にすること。次に、これ以上、症状をこじらせないように、家ではおさえつけないこと。暴れたら、『ああ、この子は外の世界では、がんばっているのだ』と思いなおして、温かく包んであげること。叱ったり、怒ったりしないで、言うべきことは冷静に言いながらも、その範囲にとどめること。

このタイプの子どもは、スレスレのところまではしますが、しかし一線をこえて、あなたに危害を加えるようなことはしません。暴れたからといって、あわてないこと。ピアノのレッスンについては、もちろん、もう何も言ってはいけません」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 スポイルされる子供たち 受験戦争の弊害)