地元自治体の広報誌で相模線が今年で100年というのを知ったので、今回は相模線(の各駅)をテーマに書いてみました…の完結編。
なお、各駅の右端に国鉄時代の駅名標を意識したものを作ってみましたけど、フォント、間隔、バランス…とにかく自己流なのであしからず…
⑬下溝駅
ここからは相模川より一段高いところに駅が…そういえば、相武台下を出て台06系統ルートと線路が並走する辺りで、すでに相模線の方が少し高くなっていて、線路の下が潜れるようになってました。
見どころは八景の棚…と言いたいところですが、八景の棚という最寄りのバス停があるので、三段の滝ですね。ウンザリする程の階段の先なんですけど…あと、滝そのものに過大な期待を抱くことは…むしろ相模川の眺めの方に期待かな。
(下溝駅が載っている記事はこちらとこちらとこちら)
⑭原当麻駅
「はらたいまさんに三千点!」…というのはさておき、読めそうで読めない(?)原当麻駅。
原当麻といいますと…バスのみで厚木へ向かう際に何度か乗り換えで利用しています。相模大野→北里→原当麻→厚木なんですけど、原当麻での乗り換えが…北里から当02で原当麻へ向かい、そこから厚79なんですけど、原当麻での乗り換え時間が6分なのに、これがうまくいかないんです。おそらく、原因は坂を下った先の右折するところ。右折待ちのスペースがないので、1台右折待ちがあると、その後ろが動けず…路線バス以外右折禁止にしてもらいたいくらい…まあ、いつも利用するのは朝早くなので、厚木行きの本数がある時間帯だからいいんですけど。
(原当麻駅が載っている記事はこちらとこちら)
⑮番田駅
…困りました。書くようなネタが…でも、田端から田端まで歩いた時に立ち寄ってたんですね。あと、『キ〇シオ』の「あいうえおの旅」の「は」で番田だったんですよね。おそば屋さんでカツ丼食べていたのが…あと、原当麻から上溝通って相模原までバスに乗ったことがありまして、確か途中番田を通っていたんじゃなかったかな…もう廃線になっちゃったけど。
(番田駅が載っている記事はこちらとこちら)
⑯上溝駅
相模線の中で、昔の記憶がかろうじて残っている数少ない…いや、唯一といっていい駅ですね。
入谷のところでも書きましたけど、中学時代の部活動の練習試合で、何度か利用したことがありまして、昔は階段上がった先に駅舎があったんです。高架ではなく、築堤上に駅舎とホームがあったんです。築堤上…昔の小田急線の大和駅(のホーム)も確か高架ではなく築堤上だったかと。高架と違う趣がいいんですけどねえ…
(上溝駅が載っている記事はこちらとこちら)
⑰南橋本駅
ここも神奈中バスと縁がないので、個人的にも…でしたけど、大河原というバス停が線路に近かった関係で、線路に沿って南橋本駅まで進んで以来、駅前を何度か訪れたことはありますが…もっと早く訪れてみたかった、と。
(南橋本駅が載っている記事はこちらとこちら)
⑱橋本駅
相模線沿線で一番変わったんじゃないでしょうか…それもこれも…京王線のおかげですね。
この先もリニアのおかげで変わることがあるのかなあ…
今回も国鉄時代の相模線の写真を何枚か…というわけで、まずは橋本駅の駅名標。やっぱりこれですねえ…
駅名標ばっかでウンザリしていた方、お待たせいたしました。やっと気動車の登場です!
同じ画像ですけど、気動車のアップということで…ちなみに、電化される前の白地に青いライン…あれ、一枚も撮ってませんでした。でも、どうしてあの色だったのかなあ…常磐線の新塗装のあまりか、それとも小田急線を意識したか…
⓪西寒川駅
最後に番外編として西寒川駅について。
1984.3.31をもって廃止された寒川支線は、寒川と西寒川を結ぶ路線で、途中駅はナシ。
乗ったのは廃線1年前のたった1度だけで、住宅地の間を抜けたらと思ったらもう終点…くらいの印象しかないですが、廃線跡の遊歩道を歩くことができたのは貴重な体験でした。また歩きたいけど…
(寒川支線をたどった時の記事はこちらとこちら)
サビまくりの西寒川駅の駅名標。
何となく撮ったのかなあ…でも、今となっては貴重な一枚となってしまいました。
…というわけで、相模線シリーズはここまでです。横浜線100周年はだいぶ前なのでやりません…と言いたいところですけど、ネタに困ったら…あと、番田と下溝は旧駅舎も撮っていたんですね。自分で言うのもなんですけど、ファインプレーかな…
なお、各駅の右端に国鉄時代の駅名標を意識したものを作ってみましたけど、フォント、間隔、バランス…とにかく自己流なのであしからず…
ここからは相模川より一段高いところに駅が…そういえば、相武台下を出て台06系統ルートと線路が並走する辺りで、すでに相模線の方が少し高くなっていて、線路の下が潜れるようになってました。
見どころは八景の棚…と言いたいところですが、八景の棚という最寄りのバス停があるので、三段の滝ですね。ウンザリする程の階段の先なんですけど…あと、滝そのものに過大な期待を抱くことは…むしろ相模川の眺めの方に期待かな。
(下溝駅が載っている記事はこちらとこちらとこちら)
「はらたいまさんに三千点!」…というのはさておき、読めそうで読めない(?)原当麻駅。
原当麻といいますと…バスのみで厚木へ向かう際に何度か乗り換えで利用しています。相模大野→北里→原当麻→厚木なんですけど、原当麻での乗り換えが…北里から当02で原当麻へ向かい、そこから厚79なんですけど、原当麻での乗り換え時間が6分なのに、これがうまくいかないんです。おそらく、原因は坂を下った先の右折するところ。右折待ちのスペースがないので、1台右折待ちがあると、その後ろが動けず…路線バス以外右折禁止にしてもらいたいくらい…まあ、いつも利用するのは朝早くなので、厚木行きの本数がある時間帯だからいいんですけど。
(原当麻駅が載っている記事はこちらとこちら)
…困りました。書くようなネタが…でも、田端から田端まで歩いた時に立ち寄ってたんですね。あと、『キ〇シオ』の「あいうえおの旅」の「は」で番田だったんですよね。おそば屋さんでカツ丼食べていたのが…あと、原当麻から上溝通って相模原までバスに乗ったことがありまして、確か途中番田を通っていたんじゃなかったかな…もう廃線になっちゃったけど。
(番田駅が載っている記事はこちらとこちら)
相模線の中で、昔の記憶がかろうじて残っている数少ない…いや、唯一といっていい駅ですね。
入谷のところでも書きましたけど、中学時代の部活動の練習試合で、何度か利用したことがありまして、昔は階段上がった先に駅舎があったんです。高架ではなく、築堤上に駅舎とホームがあったんです。築堤上…昔の小田急線の大和駅(のホーム)も確か高架ではなく築堤上だったかと。高架と違う趣がいいんですけどねえ…
(上溝駅が載っている記事はこちらとこちら)
ここも神奈中バスと縁がないので、個人的にも…でしたけど、大河原というバス停が線路に近かった関係で、線路に沿って南橋本駅まで進んで以来、駅前を何度か訪れたことはありますが…もっと早く訪れてみたかった、と。
(南橋本駅が載っている記事はこちらとこちら)
相模線沿線で一番変わったんじゃないでしょうか…それもこれも…京王線のおかげですね。
この先もリニアのおかげで変わることがあるのかなあ…
最後に番外編として西寒川駅について。
1984.3.31をもって廃止された寒川支線は、寒川と西寒川を結ぶ路線で、途中駅はナシ。
乗ったのは廃線1年前のたった1度だけで、住宅地の間を抜けたらと思ったらもう終点…くらいの印象しかないですが、廃線跡の遊歩道を歩くことができたのは貴重な体験でした。また歩きたいけど…
(寒川支線をたどった時の記事はこちらとこちら)
…というわけで、相模線シリーズはここまでです。横浜線100周年はだいぶ前なのでやりません…と言いたいところですけど、ネタに困ったら…あと、番田と下溝は旧駅舎も撮っていたんですね。自分で言うのもなんですけど、ファインプレーかな…