拉麺歴史発掘館

淺草・來々軒の本当の姿、各地ご当地ラーメン誕生の別解釈等、あまり今まで触れられなかっらラーメンの歴史を発掘しています。

辨麺 ~謎の愛すべき拉麺遺産 Ⅰ

2022年12月04日 | 老舗の中華料理
*本稿は、事実を踏まえて筆者の想像を膨らまして執筆したものです。可能性の一つとしてこんなことがあったのかも、という程度にお考えいただき、お読みいただければ幸いです、特に
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に囲まれた文章は、事実を基にしてはおりますが、筆者が推測・想像して創作した箇所であることをお断りしておきます。また、本稿をお読みいただく前に私のラーメンデータベース(RDB)のレヴューを先にお読みいただきますと、少しだけ面白みが増すかと存じます。

松本「驪山」⇒https://ramendb.supleks.jp/review/1576565.html
上田「福昇亭」⇒https://ramendb.supleks.jp/review/1555670.html
四つ木「まんまる」⇒https://ramendb.supleks.jp/review/1570390.html
三越前「大勝軒」(廃業)⇒https://ramendb.supleks.jp/review/1028388.html
山手(横浜)「三渓楼 」(廃業)⇒https://ramendb.supleks.jp/review/1031520.html

*本稿中、RDBとはWebサイト「ラーメンデータベース」(株式会社スープレックス運営)、WikiとあるのはWeb百科事典「Wikipedia」のことを指します。
*本稿中、「現在」とあるのは2022年11月下旬現在です。
*本稿中の写真は筆者が原則撮影したものです。
*本稿中、「バンメン」の表記については、該当する店の表記などにできるだけ合わせてありますが、一般的な表記は「汁あり=辨麺」「汁なし=拌麺」にしてあります。
*本稿中、引用した古い資料・史料や文芸作品等については、原則原文ママですので、仮名遣いなどは現在と違う箇所もありますし、不快用語などが含まれていることがあります。
*本稿中の引用資料や補足説明は(注)として別に記載しています。また、引用文中に(筆注)は筆者が該当箇所について補足等をしたもので、(注)と同様、別に記載してあります。なお、(注ⅰ)のように注釈の番号が一部連続していない箇所がありますが、これはある程度原稿が完成してから注釈を挿入したことによるものです。
*本稿執筆にあたり、多くの方々にご協力いただきました。本稿文末にお名前等を紹介させていただきました。この場を借りて深く御礼申し上げます。なお、当然のことながら、本稿の文責は当方(筆者)にあります。
*「いたのーじ」さんには辨麺提供店リスト作成等で大変お力添えをいただきました。なお、「いたのーじ」さんとは、RDBにおけるハンドルネームであり、本稿では「いたさん」と表記しています。
また本稿中「研究会(さん)」とあるのは、淺草來々軒が「日本最初のラーメン専門店ではない」とする説を最初に公表した書『お好み焼きの物語』注1などの著作がある「近代食文化研究会」のことです。さらに、”塩崎省吾氏”とは、『焼きそばの歴史 上・下巻』(注1‐2)の著者、塩崎省吾氏です。
 
(「驪山」の”バン麺”)

■「汁そば」なのに「拌麺(まぜそば)」とはさて?
 ・・・この店での表記は、「バン麺」である。

 横浜は山手・本牧エリアの、古い中華料理店を中心とした本当に、ごく一部の店でしか通用しないのだが、スープ(汁)がたっぷり丼の中にある、五目餡掛けそば風の調理麺、麺料理を「辨麺(バンメン)」と呼ぶ。類似の、というよりはほとんどイコールの麺料理を挙げれば、それは“広東麺”であろう。で、同じ“バンメン”と発音する麺料理が別にあって、そちらは汁がない、混ぜそばとか和えそばとかいった類のモノだが、それは「拌麺(バンメン)」という。

  ところが。この店では勝手が違う。ボクはたった今、スープがたっぷり入った汁そばを、食べた。けれど、この店のオカミさんはボクに向かってはっきりとこう言った。

   「うちのはね、拌麺、なのね。そうよ、混ぜるとかいう意味の、バン麺」。
  さて、これは一体どういうことか? 

  秋分を過ぎたのに真夏のような陽射しが厳しい、信州・松本。ボクはオカミさんの言葉を何度も繰り返し、その意味を確かめようとしていた。

  実際の時間は10秒にも満たない時間だったろう。ボクはその僅かな時間で浮かんだその考えを、口には出さずに呟くのだ。オカミさん、それ、勘違いだよ。今さっき、ボクが食べた「バン麺」は間違いなく汁そばで、漢字で書くなら「辨麺」であって、汁なしの、混ぜるとかいう意味の「バン麺」、「拌麺」とは別物さ。

  いや。
  呟く傍から、ボクの中で違った考えが横槍を入れてくる。

  待てよ・・・・オカミさんは間違いなく「混ぜるかとの意味の、バン麺」と言ったのだ。ということはだ、オカミさんは「拌麺」と「辨麺」を区別してそう言った。つまり、この店では、汁そばの、五目餡掛けそば風の麺料理を、「かき混ぜて食べる」から“拌麺”であるというのだ。そして、そのバン麺の“あたま”(餡掛けの具の部分)を載せた汁なしの、揚げそばの、かき混ぜて食べる麺料理を、“焼きそば”というのである。一般の中華料理店なら「五目餡掛けカタヤキソバ」と呼ぶのが常であろう。

  もう一度、自分に問う。
  さて、これは一体どういうことか? 

  ボクはまた混乱する。そして入店する前に、店外で見た品書きの一部を思い出す。

  そうだよ、店頭の品書きにもいくつか「拌麺」、と書かれたモノがあった。それはもちろん焼きそばのことではなくて、数種類の「涼拌麺(リャンバンメン)」、冷やしバンメンであった。

  ボクはこのときまだ、ブロガーnakoさんのことは知らないし、だから当然nakoさんがブログで書いていた冷やしバンメンのことも、知らない。知るのは、もう少し先のこと。


(”コマツ・プラザ”と驪山外観)
 
 ・・2022年9月末、此処、信州長野・松本の気温は30度を超えていた。真夏のような日差しが容赦なく照り付けていて、汗が滴る。冷房で冷えているであろう店の中に早く入りたいのだが、ボクにとっては運悪く、店内満員の盛況振りだ。数分のち、一組二人の客が店から出てきたが、「ごめんなさいね」と女性スタッフがボクに告げ、あろうことかボクの後ろに並んだ男性客二人を先に案内していった。おいおい、ボクが先に・・・と思ったが、空いたのは4人掛けのテーブル席のようで、単身客のボクを案内するのは効率が悪いということだろう。まあ、良い。それにすぐスタッフが「暑いでしょうから中でお待ちください」と店内に招き入れてくれたから、此処は大人の対応がスマートだ。

 長野県松本市、桐。コマツ・プラザという小さな飲食店数店が集まるミニ・レストラン街、とでも言おうか。松本駅から、松本城の脇を通る循環路線バスで20分ほど、信州大学医学部付属病院や松本深志高校が近くにある。

  店の名は、驪山、という。れいざん、である。中国・陝西(せんせい)省中部には実在する同名の山(ただし、れいざん、ではなく、りざん)があり、始皇帝陵のことも驪山と呼ぶそうだが、関連があるのだろうか?

  この驪山、松本市内にかつて存在した「竹乃家」という中華料理店、広東料理店の系譜に連なる、ちょっと高級な中華料理店である。此処の店主は竹乃家の孫娘さんの御夫君で、その奥方(孫娘)、ご子息とで営んでおいでだ。創業は1977(昭和52)年というから、45年の営業歴である。竹乃家は、時代・歴史小説家であり、稀代の美食家でもある池波正太郎が愛した店と知られていたそうだが、ボクの目的は、そう、「バンメン」を食べることの、ただそれ一点。事情が許せば、この店のバン麺のことも聞こうではないかとの腹積もりで、わざわざ東京から、本稿のもう一方の課題店・上田市所在の福昇亭(2を前日に訪問し、此処までやって来た訳である。

 ・・・店内に案内されたあと、ボクは所在なくカウンターのレジ脇で他の客の動向を見つめていたが、間もなくカウンター席に案内される。事前の予習通り、店内はまさに喫茶店、それも昭和のころの純喫茶、たとえばガロが歌った「学生街の喫茶店」(1973年リリース)に出てくるような、という風情である。照明が落ちれば、カンターバーにでも早変わりでもしそうではあるが。

 バン麺が届けられるまで、他の客が頼んだ品を観察する。ああ、やっぱりな、此処も昨日食べた上田の福昇亭もそうだったが、圧倒的人気なのは「焼きそば」なのである。ほとんどの客はソレが目当て。

  焼きそば、と聞けば、ソース焼きそばを思い浮かべる方も多いだろうが、それは的外れ、まったくのベツモノ。近いのは「餡かけカタヤキソバ」で、特徴的なのは錦糸卵が載っていること。そうそう、横浜は伊勢佐木町の玉泉亭(注3)の「カタヤキソバ」に似ているかな。ネットのレヴュー記事では、例えば横浜中華街の萬珍楼(注4)との相似性を指摘するものもある。あとで詳述するが、この焼きそばこそが“信州のソウルフード”とも呼ばれる食べ物である。しかし不思議なことに、ネットで調べると、長野で著名な焼きそばの店というとボクが前日伺った上田市所在の福昇亭で、その店は創業店として頻回に出てくるのだが、この驪山はほとんど目にしない。理由は・・・、分からない。

 ボクが注文したのはバン麺であるから、食べていない焼きそばの味についてはコメントできない。2人以上で来ることができればシェアするということも考えるのだが、バンメンだけを食べに都内から長野に出向く相当なモノ好きは、まあ、いない。

  ともあれ、頂いたバン麺。見た目は横浜あたりで提供されるソレよりずっとシンプル。しかしやっぱり特徴がある。“あたま”の上にさらに載る、錦糸卵、である。前日に伺った上田・福昇亭にしてもそうだが、長野名物焼きそばはもちろん、長野でいただく“バンメン”ならば、これは必須アイテムだ。麺も福昇亭同様、極細。焼きそばは揚げ麺だが、バン麺の麺は無論揚げていない。

  竹之家の時代は製麺機もあったそうだが、あまりにデカく、現在は製麺機ごと某製麺所に預け、驪山専用の麺を作ってもらっているという、まさに特注麺。ただボクとしては、好みの問題だろうけれど、これはあまりに細すぎる、か。スープには特筆すべきものはないけれど、言ってみれば多くの方がスッと受け入れてしまうようなテイストだ。そうそう、池波正太郎絶賛の叉焼は、やっぱりそこらの町中華とはベツモノと書いておく。

 ボクはそのバン麺を食べ終えて、ダメ元と思いつつ女性スタッフにこう尋ねた。
  「バンメン、って置いてある店は珍しいですよね? 何でバンメンって言うのでしょう?」。
  スタッフは「えっ? それは・・・分からないので・・・」と怪訝な表情を見せたかと思うと、おもむろに「オカミさん、お客さんがバン麺のことをお聞きになりたいそうですけど」と奥の厨房に向かって話しかけたのだ。

 そしてオカミさんの登場。「うちのは混ぜるとかいう意味の拌麺なの」という冒頭の発言につながったわけだ。此処のバン麺は、汁そばでありながら「拌麺」だと仰る。勘違いではなく、「拌麺」と「辨麺」の違いを知りながら、あえて「うちのバンメンは、まぜそば、のバン麺(拌麺)」と言うのであった。

 もう一度、自分に問うのである。ボクが食べたのは紛うことなき汁そばの、すなわち辨麺であって、オカミが言うところの「混ぜそば=拌麺」ではない。それでもオカミはその違いを知ったうえで拌麺だと言う。
さて、これは一体どういうことか? ・・・・・

 さあ、面白くなってきたじゃないか。長野まで来た甲斐は十分あったということだ。

■「辨麺」と「拌麺」の違いは?
 何を言っているのか分からない、という方もおいでだろうから、簡単に解説しておく。ネット上では7~8年ほど前から『ラーメン界のシーラカンス 辨麺』などと題したブログなどが随分と登場している。

  改めて、「辨麺」、である。ベンメン、ではなくバンメンと読む。一般的に言うところの広東麺若しくは五目うま煮そば、あるいは五目餡掛けそばに似ている調理麺のことで、なぜ「辨麺」と呼ぶのか、今一つはっきりしない、というのが多くの方の説明だ。

  ラーメン界のシーラカンスなどと呼ばれる理由は、
  • この品を提供している店が非常に少ないこと。
  • 提供している店は、ほぼ例外なく開業して五十年やら百年やらという長い営業歴を誇る店ばかり。また、“町中華”と呼ばれるような個人店が多く、後継者不在で廃業するなどして年々減少していること。現に、2019年から2022年の僅か4年の間に、10店舗が廃業してしまっている。減少率でいうなら25%超である。もはや現役で提供している店は、知りうる限りでは全国で25店舗程度になってしまった。
  • 提供店の多くは横浜市内、とりわけ中華街の奥に位置する山手・本牧のごく狭いエリアに集中している(いた)こと、ほかに横浜市以外の神奈川県に数店、県外では東京、千葉、茨城、長野の4都県に数店あるのみということ などが挙げられる。
 ボクがこの調理麺のことを知り、最初に食べたのが2016年6月のこと。横浜は野毛地区にある「中華料理 萬福」(注5)という店であった。2016年当時、まだ「辨麺(バンメン)」は同じ発音の「拌麺(バンメン)」と混同されることが多かった。違いははっきりしていて「辨麺」は汁そば、「拌麺」は和えそば・まぜそばなのである。「拌麺」のほうは都内でも時折見かけるもので、どこの中華店にもある、というほどではもちろんないが、さほど珍しい品ではない。

 漢字の「拌」は「混ぜる」の意があり、和えそば・まぜそばの名称としてはまずは相応しい。一方、「辨」は「分ける、区別する」などの意があり、これがなぜ広東麺あるいは五目餡かけそば、五目うま煮そばの別称になるのかはよく分かっていない。ちなみに「辦」や「弁」などの漢字の関係は別図-1のとおりである。「バンメン」を漢字表記した際の“バン”の字=「辧・辦・辨・办・弁」の字は本稿中において、同一と考えて差し支えない。



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注1 『お好み焼きの物語』⇒「執念の調査が解き明かす新戦前史 お好み焼きの物語」、近代食文化研究会/著、新紀元社、2019年1月刊。第二版『お好み焼きの戦前史 Kindle版」もあり。他に『牛丼の戦前史』『焼鳥の戦前史』『串かつの戦前史』等を出版。膨大な収集資料を的確に取りまとめ、近代の食文化史を解き明かしている。研究会とあるが、実際の活動は個人である)
注1-2 『焼きそばの歴史 上・下巻』⇒塩崎省吾 /著。上巻は『ソース焼きそば編』2019年12月刊 、下巻は『炒麺編』2021年6月刊。いずれもKindle版。
注2 上田の福昇亭⇒長野県上田市中央2-9-4。前日の昼、ボクはこの店でバンメンを食べている。WEBサイト『ラーメンデータベース(RDB)』でのボクのレヴューを参照されたい。https://ramendb.supleks.jp/review/1555670.html
注3 玉泉亭⇒横浜市中区伊勢佐木町5丁目所在。創業1918(大正7)年の創業。「生碼麺(サンマーメン)発祥店」とも一部で言われる、横浜を代表する老舗中華料理店。横浜駅東口地下街に支店はあるが、「辨麺」はない。
注4 萬珍楼⇒横浜中華街所在の広東料理店。創業は1892=明治25年で、同じ中華街にあった1884年創業の聘珍楼横浜本店が廃業(移転という話もあるが)したため、創業時から同じ場所で営業する現存中華料理店では最も歴史が長い店となった。
注5 中華料理萬福⇒横浜市中区宮川町2丁目所在。2022年4月に一度閉業したようだが、現在は復活営業されている)



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2 コメント

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Unknown (arachan777z)
2022-12-06 06:52:35
女将さんの登場がまたドラマチックに。
まぜそばなのか五目餡掛けそばなのか。
どちらを追っているのか。
どちらも追っているのか。
2つのバンメンは過去を遡ると出会う場面はあるのか。
発祥も気になります。
頑張って下さい。
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Unknown (buruburuburuma)
2022-12-08 23:43:55
@arachan777z いつもありがとうございます うるうる・・・
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