拉麺歴史発掘館

淺草・來々軒の本当の姿、各地ご当地ラーメン誕生の別解釈等、あまり今まで触れられなかっらラーメンの歴史を発掘しています。

ノスタルジックラーメンⅠ 東京都23区内 戦前の創業店

2023年01月30日 | ラーメン
東京23区内 老舗ラーメン【戦前創業店】
2017.12初稿UP。その時点での現存店。2019年12月加筆・修正。
2020年1月大幅加筆・修正。以後、随時修正中です。 
※=管理人実食済、リンク先はラーメンデータベース 
店舗名後ろの★印=辨麺(汁あり)提供店。「辨麺」についてはコチラをご覧ください。 
※店舗創業年は、末尾記載の書籍・雑誌等から情報を得、店舗公式サイトやWEBマガジン等インターネットでの情報等で裏付けなどをして記載したものです。間違いがある場合もありますので、情報等を最下段コメントにてお寄せいただければ幸いです。(以上、「Ⅱ」以降同じです)

(春日・ゑちごやの外観、チャーシューメン)
1876 明治10 ※ゑちごや 春日・菊坂下 *中華類提供は昭和25年ごろから。

1887 明治20  ※とらや 柴又帝釈天  *ラーメンの提供開始時期は不明

1889 明治22  ※神楽坂龍公亭 神楽坂 
*開業当初は寿司店。中華を提供し始めたのは大正時代末期(大正10年とも大正14年ともいわれる)。

1897 明治30ごろ ※水新菜館 浅草橋 *ラーメンの提供は1972年から。

1899 明治32 ※維新號  
*当初は神保町で開業。1947(昭和22)に銀座八丁目で営業再開(現在の「銀座維新號」。当時は中華饅頭専門店)。現在の本店は赤坂。

1906 明治39  ※揚子江菜館 神保町

1911 明治44  ※漢陽楼 神保町


1912  明治45   味の萬楽 外神田 
1912  明治45   萬楽飯店 神保町 *「味の萬楽」「萬楽飯店」は兄妹の関係の経営で、兄妹の曽祖母が日本橋にて創業した店を基にする。
一部メディアで「現役店で最も古い中華料理店」との紹介があったが、無論誤りである。
1912 大正元 ※天府   内神田 *神田五十番から1987年に屋号変更した店と思われる(小菅桂子・著「にっぽんラーメン物語」より。店舗にて管理人が経営者姓を確認済であるが、神田五十番の後継店であることの確認は取れていない。此方にまとめてある。
※この3店(萬楽と天府)はどちらが先に開店したのかは不明。

1914 大正3  ※中国料理大勝軒  茅場町 *一部メディアで「人形町大勝軒系」と紹介されているが、相当古い時期から経営者が変わっており今では「人形町系」とは無関係である。
1914 大正3 精陽軒  渋谷 *洋食店として開業後、中華へ。
1914 大正3 直久 *創業は山梨県甲府市の日本蕎麦店「更科」。ただし、中華そばを提供していた。ラーメン専門店の創業は1967(昭和42)年10月、銀座数寄屋橋にて。現在は株式会社フククルフーズ が経営するチェーン店。リンクは公式サイト。

1917 大正6  ※生駒軒水天宮 水天宮 *2018年12月閉店
※この店自体の「暖簾分け」は1964(昭和39)。初代の生駒軒創業時は台東区松が谷の製麺所。現存(2018年8月時点)する「生駒軒」最古参は北区堀船の生駒軒らしい。本サイトでは、水天宮店が初代の縁戚(初代の実姉の養子の娘夫婦)であることから掲示した。人形町の生駒軒を「生駒軒発祥」とするサイトがあるが、人形町店は「生駒相互親睦会」の事務所がある店(2018年8月、水天宮店舗奥様に確認)で、同時期に数店が生駒軒として開業した(人形町店にて確認)。 

1919 大正8  ※巴家料理店 大手町 *2019年1月31日閉店。

1923 大正12 坂本屋 西荻窪 *2019年10月から、当面カツ丼の提供のみ
               ※中華楼 蔵前

(浅草 やよい の広東麺 とメニュー)
1924 大正13 ※やよい 浅草
1924 大正13ごろ ※復興軒 業平橋
1925 大正14 ※品香亭 三田 
                        三笠会館(揚州名菜・秦淮春)銀座五丁目 
*大正14年6月、歌舞伎座前氷水屋として創業。昭和22年、現在の銀座並木通りに開店。
1926 大正15 ※萬福 東銀座

(東銀座 萬福のワンタンメン

1926 大正15以前 ※中華麺家まんまる 四ツ木(葛飾・本田渋江「萬来軒」として     の創業。大正15年発行の東京支那料理業組合員名簿(書名「大東京の現況:飲食料品業界専門」)の中に当時の本田村澁江、現在の葛飾区四ツ木所在として「萬来軒」(経営者・藤ノ木氏)の名が見える。



昭和初期    ※あさひ 浅草 
1926 昭和元 ※銀座アスター本店 銀座一丁目


1927 昭和2 ※中村屋[Manna]  新宿
*中村屋喫茶部の設立時期。中村屋[Manna] では伊府麺などを提供している。


1928 昭和3  ※三河屋 堀切菖蒲園
       ※深川煉瓦亭本店 新大橋(森下)
1930 昭和5 ※菊水軒 人形町
               ※楽楽 森下
       三勝菜館 門前仲町
1930 昭和5頃 三喜屋  宝町(京橋)
          龍華 三軒茶屋 *2020年3月31日閉店

1931 昭和6   ※ 萬来軒 半蔵門
      ※たいめいけん 日本橋
                    ※春木家本店   荻窪

1932 昭和7 ※ 廣豊楼 神田

1933 昭和8  ※来来軒  祐天寺(1933年創業ともある)
       ラーメン松楽 秋葉原(昭和初期ともある)
       ※萬来軒総本店 代田橋 
        *現在府中にある萬来軒の支店からスタート。*2019年1月25日閉店 

(閉店間際だった萬来軒総本店の店内。ボクが食べた数日後に閉店してしまった)

1935 昭和10   ※ふぢの  豊洲市場 *築地場内から移転
        ※かいらく  王子
        ※北京料理 鳳凰軒  馬喰町
 昭和10ごろ ホープ軒 吉祥寺 *錦糸町で貧乏軒という屋台でスタートした時期。
1936 昭和11   ※中華料理永楽  京成小岩
1941 昭和16ごろ ※銀座ホール  砂町銀座
1944 昭和19 ※小洞天日本橋本店 日本橋(写真↓)




参考書籍等:発行順、★=単行本 ☆=MOOK本、雑誌  
★「トーキョーノスタルジックラーメン」山路力哉・幹書房(2008年6月刊)
★「日本ラーメン秘史」大崎裕史・日本経済出版社(2011年10月刊)
★「町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう」町中華探検隊・立東舎(2016年8月刊)
☆「町の中華」BRUTUS833号・マガジンハウス(2016年10月刊) 
★「東京ノスタルジック町中華」タツミMOOK・辰巳出版(2016年11月刊)
☆「みんなの町中華」散歩の達人 2018年1月号・交通新聞社(2017年12月刊)
☆「絶品!町中華 首都圏版」ぴあMOOK・ぴあ株式会社(2018年12月刊)
☆「定食マニア」散歩の達人 2019年2月号(2019年1月刊)
★「町中華探検隊がゆく!」町中華探検隊・交通新聞社(2019年2月刊)
☆「塩・醤油 しみるラーメン」おとなの週末2019年2月号・講談社ビーシー(2019年2月刊)
☆「昭和の東京を歩く」散歩の達人 2019年7月号(2019年6月刊)
☆「絶品!横浜の町中華」ぴあMOOK・ぴあ株式会社(2019年9月刊)
☆「荻窪・西荻窪」散歩の達人 2019年11月号(2019年10月刊)



ノスタルジックラーメンⅡ 東京都23区内 昭和20年(1945)~昭和34年(1959)の創業店

2022年11月01日 | ラーメン
東京23区内 老舗ラーメン 昭和20年(1945)~昭和34年(1959)の創業店 
2017.12初稿UP。その時点での現存店。2019年12月加筆・修正。
2020年1月大幅加筆・修正。以後、随時修正中です。
※=管理人実食済、リンク先はラーメンデータベース
店舗名後ろの★印=辨麺(汁あり)提供店。「辨麺」についてはコチラをご覧ください。
※店舗創業年は、末尾記載の書籍・雑誌等から情報を得、店舗公式サイトやWEBマガジン等インターネットでの情報等で裏付けなどをして記載したものです。間違いがある場合もありますので、情報等を最下段コメントにてお寄せいただければ幸いです。


【1945 昭和20】
花家 日暮里 *創業は戦前で生花店との記載がある。
あづま家 日暮里
栄屋ミルクホール  淡路町 *2021年10月8日、一旦閉店。移転予定あり。
※らーめん田丸 目黒 
※八重洲大飯店 東京駅八重洲口
 大菊總本店(日本蕎麦店) 都立大学

【1946 昭和21】 
※山口家本店  浅草
磯野家  築地場内 2018年4月28日閉店 
岐阜屋 新宿

(新宿西口、通称「思い出横丁」にある岐阜屋)

※浅草橋大勝軒 浅草橋
※新世界菜館 神保町
※新橋亭(しんきょうてい) 新橋

【1947 昭和22】
※栄龍 入谷
光陽楼 青砥 *2017年には閉店した模様。
※丸長 荻窪本店 荻窪
亜細亜 五反田
東興樓  銀座7
山珍居 西新宿五丁目

【戦後まもなく(昭和20~22頃)】
※大興 上野御徒町
山水楼 代々木

【1948 昭和23】
※あづま軒 人形町
来々軒 水天宮

(水天宮・来々軒の肉炒め麺。看板がなぜかさかさまである)
※珍珍軒 上野
 今むら 新御徒町
※中華やまだ 御茶ノ水
中華若月  新宿西口 *2018年1月閉店
やじ満 築地場内  2018年10月に豊洲へ移転。
※中華博雅 八重洲 
満来 豪徳寺 *2016年頃閉店した模様
なかや 江戸川区松島(新小岩)

(江戸川区松島にある なかや 店内掲示メニュー)

(浅草・ぼたん と 広東麺)
※春木屋 荻窪本店 荻窪
登喜和 西新宿
※泰興楼 八重洲本店 東京駅八重洲口
※銀座天龍本店 銀座一丁目
1948 昭和23ごろ 中華つばめ 二子玉川
1948 昭和23ごろ ※集来 大門

【1949 昭和24】
鶏龍軒  広尾
中華料理 勝太楼  御徒町 ※2021/9 二代目奥様に確認。
1949 昭和24ごろ ※オトメ 根津

(根津・オトメの広東麺

【1950 昭和25】
※中華そば丸信 荻窪
※慶楽 日比谷  2018年12月閉店
※来集軒  浅草 
代一元本店 代田橋
※幸軒  築地場外
五芳斉 早稲田 
ぶん華 神保町
中華珍満 御徒町
喜楽 大森
新三陽 田端後楽園白山(根津)に店舗あり。創業店は調査中。
1950 昭和25ごろ 中華食堂 松葉 落合南長崎

【1951 昭和26】
※代々木上原大勝軒 代々木上原
※丸福 荻窪
第一食堂 代田橋
※中野大勝軒 中野
来集軒 八広


【1952 昭和27】
味乃一番  浅草 2017年1月閉店

(飾り切りが見事だった味乃一番・什錦湯麺)
※喜楽  渋谷
※宝来 堀切菖蒲園
※一番飯店 高田馬場
 四川・東家(新井薬師)
1952 昭和27ごろ ビストロ福昇亭 浅草 初代=中華店、二代目=洋食店、現在は三代目でランチタイムのみラーメンを提供している。
1952 昭和27より以前 ※中華 博雅 浅草

【1953 昭和28】
※福寿  笹塚
二葉 学芸大学
国泰飯店  京橋
※武田流古式カレーライス支那そばインディアン  蓮沼


1953 昭和28ごろ ※萬金 新富町 *屋台時代含む *2018年12月27日閉店

【1954 昭和29】
天津飯店本店 新宿
*豊島区雑司が谷にて点心・料理の製造工場を創業した時期。
※餃子の王さま 浅草
※おけ以 飯田橋
梅華(菜館) 自由が丘
丸長新井薬師店 新井薬師
丸長目白店 目白
亀喜 三田
   
 昭和20年代後半 ※宝来軒 三田

【1955 昭和30】
麗郷 渋谷店 渋谷 

(麗郷と海老ソバ。2021年11月)

中国料理 福井(フーチン) 菊川
※中華 みやこ 鶯谷  
※若葉  築地場外
※新東洋 御徒町
※丸長下北沢店 世田谷代田駅
香港園 目黒
長寿  亀戸
北京飯店 西新橋 *閉店した模様。横浜中華街には出店
1955 昭和30より以前 ※中華そば 成光  神保町

【1956 昭和31】
共楽 銀座一丁目
※永楽 大井町
※草むら 永福町


十番 東中野
※三幸園 白山通り店 神保町
昇龍 アメヤ横丁
赤坂飯店 赤坂見附

【1957 昭和32】
※メルシー  早稲田
元祖五十番神楽坂本店 神楽坂 現在は肉まん等の販売のみ
 正華 五反野
 榮林 赤坂 2021年秋に移転予定、詳細不明で2021年9月現在営業していない。
1957 昭和32より以前 中華・蕎麦 あさひ 平井

【1958 昭和33]
中華料理栄楽 方南町
※味の横綱 東向島
中華軽食 かっぱ 小岩
寿福 自由が丘
末っ子 浅草
三番 東中野 *大森・中華三番(閉店)の創業年
宝家 東陽町
樓外樓飯店 赤坂本店 赤坂

【1959 昭和34】
※再来軒 用賀
高社郷 (コウシャゴウ) 大山
七面鳥 高円寺
春華亭   町屋
わかい 人形町
(人形町・わかい)



生駒軒発祥の店は生駒軒「梶原店」だった?

2022年01月05日 | ラーメン
【最終更新 2022年9月18日】

【結論】「生駒軒(生駒菜館・とんかつ生駒等)」の中華料理店としての創業店は、1958(昭和33)年に開業した北区堀船にある「生駒軒梶原(店)」の可能性が高い。

(生駒軒梶原店と味噌ラーメン)
 
 主に東京東部に存在する一大町中華のれん会「生駒軒」。最盛期に120店を数えたというこの“のれん会”の、中華料理店としての発祥店は、ネット上では長い間「人形町店」とされていた(ことが多い)。
 しかし、ボクの調査によればそれは誤りの可能性が高いのだ。推測の域は出ないものの、創業店とされるその店は北区堀船にある「生駒軒」(都電荒川線「梶原電停」近く。以下、梶原店という)である。しかし、1917(大正6)年に台東区松が谷で「児玉製麺」を興した初代児玉氏は、出身が長野県山ノ内町であり、町に隣接する長野県中野市にあった「生駒菜館」(以下、中野市店という。2019年閉店)である可能性も否定できない。

【理由】
人形町店のご主人が「ウチが創業というか、5店同時に(営業を)始めた。(日本橋)浜町(店)は同時期」と話されているほか、以下の事実などが判明した。
  1. 日本橋浜町店(2012年12月閉店)の創業は1964(昭和39)年である。
  2. 同じく1964(昭和39)年の創業である水天宮店(2018年12月閉店)の女将さんが「一番古い店は梶原の店」と発言された。
  3. 梶原店の創業は、梶原店の女将さんによれば1958(昭和33)年である。
    ただし、初代児玉氏が上京する前に店を開いていたという。隣接する長野県中野市の「生駒菜館中野市店」が創業店と言う可能性も否定できない。
 ネット上で「人形町店が発祥」という書かれ方が多いのには、おそらくネタ元が一緒であるからだろうが、それが書かれたブログは既に閉鎖されてしまい、今は見ることはできない。「人形町店が発祥」ということだけがネット上に残ってしまったということだ。

 ボクがその説--つまり、生駒軒=人形町店発祥説に疑問を持ったのは、2017年12月発行の「散歩の達人」2018年1月号(交通新聞社。以下「散達」という)の特集記事を読んだからである。『みんなの町中華』の特集のなかで、さらに『のれん分けの気になる世界』で大一元、光陽楼ともに生駒軒にスポットを当てた。大一元は本店、光陽楼は創業者の縁戚の店を紹介しているのだが、なぜか生駒軒は人形町店でなく、水天宮店であった。なぜ「散達」は、発祥と言われる人形町の店を取材しなかったのか。

 2018年夏、ボクは水天宮のお店を訪れ、女将さんに話を聞くことができた。水天宮のお店は、初代児玉氏の姉の養子の方が1964(昭和39)年に開いた店で、お聞きした当時の女将さんの、2017年に亡くなった父上にあたるという。

 女将さんは「生駒軒で一番古い店は梶原店」と仰った。その理由として『生駒相互親睦会』の名簿を見せてくださり「会員名簿の先頭にあるのが梶原店」と指摘をなされたのだ。人形町店は創業店ではなく「親睦会の事務所がある店」とも仰った。ただ、もともと親睦会の事務所は台東区松が谷の初代児玉氏が開いた児玉製麺所にあった。製麺所が廃業になったあと、人形町店に移ったということだろうが、それは同時に人形町店が創業店ということにはならないか?

(生駒軒水天宮店=2018年暮れ閉店) 

 人形町店は初代児玉氏の娘さんが創業したという。また長年、少なくとも1976(昭和51)年までは「生駒相互親睦会会員認定証」の会員証に、会長として”児玉武市”氏の名があった。現在の人形町店の食品衛生責任者も児玉姓であることから、“直系”であることは間違いなく、おそらくこの理由で“創業店”とされたのではないだろうか。

 ボクは同じ2018年の夏、梶原店に向かった。ご高齢のご夫婦で営んでおいでで、ご主人の体調が思わしくなく、今は昼のみの営業だという。女将さんに生駒軒では一番古いのではと話すと「そうかも知れない」と同調しつつ「人形町の店は? あそこは初代の娘さんが開いたはず」とも仰った。女将さんは「以前、生駒軒は120店ほどあった。個人商店だから後継者がいなければ閉めるしかない。そうして閉じてしまった店はたくさんあって、もう昔のことを知る人はほとんどいなくなった」と寂しそうに話されていた。ちなみに梶原店は先代が1958(昭和33)年に開いたそうだ。水天宮店創業の6年前のことである。

 今度は人形町店である。店は忙しくあまり話は聞けなかったが、スタッフの一人が「創業店というより、同時期に数店が創業したと聞いている」と話してくれた。
 
 RDBの此処によれば、此方のご主人がこう答えている。「ウチと同時期に5店舗が開業した。浜町もそうだ」。

(生駒軒人形町店のもやしそば) 

 浜町、つまりは日本橋浜町の店であるが、ネットに上がった此処によると2012年暮れに廃業したのが見て取れる。廃業のお知らせには「48年間感謝する」旨が書かれている。すなわち、浜町店の創業は「1964(昭和39)年」である。先ほどの人形町のご主人の言葉によれば、人形町店の創業も同じ1964年ということになる。水天宮店も同じ年だから、「5店同時開業」には水天宮、浜町、人形町ほか2店舗ということになるわけだ。1964年創業であれば、梶原店創業の1958年よりは後ということになるのだ。

 ただし、創業店が長野県にあった「生駒菜館中野市店」である可能性もある。それは、初代児玉氏は、「荻窪丸長」創業者の青木勝治氏と同郷の、長野県山ノ内町出身であり(此処をご覧ください)、山ノ内町に隣接する長野県中野市に2019年半ばまで「生駒菜館中野市店」が存在したからだ。

 2017年に水天宮店で拝見した生駒相互親睦会会員名簿の四番目にその店名はある。梶原店の女将さんが「初代児玉氏は長野で店を開いていた」と仰っているので、この店が創業の地、とも考えられなくはない。児玉氏が上京時に店舗を姻戚などに譲った、あるいは児玉氏が上京後に同じ場所で誰かが再開した、などが考えられる。ちなみに長野県にかつてもう一軒「生駒軒」があった。それは長野市鶴賀七瀬中町にあった店である(現在は別の店になっている)。ただし、鶴賀七瀬中町は山ノ内町とは相当距離があるため、創業地の可能性があるとしたら中野市店のほうだろう。

 此処までお読みいただければ、推測の域は出ないにせよ、冒頭の結論が一定の信ぴょう性があることがご理解いただけるだろう。しかしなお、疑問は残るのである。
  1. 児玉氏が長野県山ノ内町から上京したのが1917(大正6)年、生駒軒梶原店創業が1958(昭和33)年。この間、実に41年である。児玉氏は上京後、ずっと製麺所だけを営んでいたのだろうか。初代児玉氏は長野で店を開いていたというから、仮に30歳前後で上京したとするなら、梶原店創業時には70歳を超えていることになる。それはいかにも遅すぎるという気もするのだが。ただ、「散達」が水天宮店の紹介をする際『早い段階で暖簾分け店となった』としていることからすると、あながち「遅すぎる」ということでもないかも知れない。
  2. 梶原店の創業を、人形町店のご主人はご存じなかったのだろうか? ご存じであれば「創業店五店の一つ」とご自分の店を言うことはないだろう。人形町店は初代児玉氏直系の店と考えられるのに。
 なんにせよ、梶原店の女将さんが仰るように、昔を知る人は随分と少なくなってしまった。手掛かりとなる店の殆ども閉店してしまっており、生駒軒創業の店の確たる真実は、もう明かされることはないかも知れない。

(初稿2017年12月、全面改稿2020年2月、一部修正2022年1月)


※生駒相互親睦会会員名簿の順は、梶原店→水天宮店→とんかつ生駒→長野県中野市の生駒菜館の順である。

【2020年1月現在、現存する『生駒軒』『生駒菜館』】
※印は管理者来店済 ▲=浅草開化楼麺使用(確認した店のみ)
リンクはRDB。ただし「食」は食べログ

■生駒軒(秋葉原)▲     神田和泉町
■※生駒軒(人形町)  日本橋2
■※生駒軒(梶原)     北区堀船3 1958年創業
西往寺生駒軒        港区芝2
生駒軒(八丁堀)   八丁堀2
生駒軒        南千住5(三ノ輪橋) 1970年代後半の創業
生駒軒(浅草)    雷門1
生駒軒(扇橋)    扇橋3

※生駒軒(住吉)▲  江東区住吉2
生駒軒(大森)    大田区山王3
生駒軒(森下) ▲        江東区新大橋2
生駒軒(新御徒町)    台東区三筋1
生駒軒(鳥越)           台東区台東1 
生駒軒(月島)           中央区月島1
生駒軒(扇橋)              江東区扇橋3
生駒軒(王子神谷)  北区豊島7
生駒軒(東中野) 中野区東中野1
■中国菜館生駒軒       日本橋兜町
中国菜館生駒軒新川店       中央区新川1
生駒菜館(本所)      墨田区本所3 
■※生駒菜館(菊川駅前)▲   墨田区菊川2
生駒菜館(新日本橋)    千代田区神田鍛冶町

■※とんかつ生駒 (食)   日本橋小舟町8 

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【2020年1月~2022年9月までに閉店した『生駒軒』『生駒菜館』】
生駒軒(東大前)        文京区向丘1 2021年暮れごろ閉店
■生駒軒(馬喰町)  東神田1 2021年夏ごろ閉店
生駒軒(稲荷町)       東上野5 2021年春ごろ閉店


かつて存在した『生駒軒・生駒菜館』】
■生駒軒(水天宮)  中央区日本橋蛎殻町 1964年創業、2018年末廃業
■生駒軒(東向島2)  墨田区東向島2-39
生駒軒(東向島5)   墨田区東向島5-27
生駒軒(曳船)      墨田区向島5-50
生駒軒(押上)    墨田区向島3
生駒軒(錦糸町)   墨田区大平2
生駒軒(両国)    墨田区両国3
生駒軒(門前仲町)  江東区門前仲町2
生駒軒(築地)      中央区築地6
■生駒軒(浜町)     中央区日本橋浜町2 1964年創業、2012年末廃業
生駒軒(京橋)        中央区京橋1
生駒軒(芝浦ふ頭)  港区海岸3
生駒軒(笹塚) 世田谷区北沢5
生駒軒(本所吾妻橋) 墨田区吾妻橋1
■生駒軒(蔵前) 台東区蔵前3
生駒軒(浅草橋) 台東区浅草橋5
■生駒軒(三ノ輪) 荒川区東日暮里1
■生駒軒(大山) 板橋区中丸町
生駒軒(北池袋) 豊島区池袋本町1
■生駒軒(池袋) 豊島区池袋2
生駒軒(菊川)   墨田区立川2
生駒軒(大京町) 新宿区大京町
生駒軒(新宿御苑前) 東京都新宿区新宿1
■生駒軒     江戸川区中央(のちに「もも」に改称)
■生駒軒(新河岸) 埼玉県川越市大字藤間
■生駒軒     長野県七瀬中町
■生駒菜館    長野県中野市

※以下は『生駒相互親睦会』会員ではないと思われる。
■台湾料理 生駒  墨田区緑 ※生駒軒インスパイアであることは確認済。

ノスタルジックラーメンⅢ 東京都23区内 1960(昭和35年)~1975(昭和50)年創業店

2021年07月17日 | ラーメン
東京23区内 老舗ラーメン(提供)店
1960(昭和35)~1975(昭和50)創業店

2017.12初稿UP。その時点での現存店。2019年12月加筆・修正。
2020年1月大幅加筆・修正。以後、随時修正中です。
※=管理人実食済、リンク先はラーメンデータベース
店舗名後ろの★印=辨麺(汁あり)提供店。「辨麺」についてはコチラをご覧ください。
※店舗創業年は、末尾記載の書籍・雑誌等から情報を得、店舗公式サイトやWEBマガジン等インターネットでの情報等で裏付けなどをして記載したものです。間違いがある場合もありますので、情報等を最下段コメントにてお寄せいただければ幸いです。


【1960 昭和35】
※味芳斎 大門
三ちゃん 荻窪
栄楽 恵比寿

1961 昭和36】
※おはる 門前仲町
※共楽 銀座
東天紅上野本店 上野不忍池
※東池袋大勝軒 東池袋
丸長豪徳寺店 豪徳寺
※らぁめん ほりうち  新宿西口 *前身の「満来」の創業時期
※中華洋食食堂あゆた  *前身の「漫満亭」の創業時期
虎林 荻窪 *先代が築地で創業した時期。荻窪での開業は1978年
永新  麻布十番

1962 昭和37】
※十八番  野方
後楽園飯店 水道橋
玉屋  東十条

(東十条・玉屋の仙人ラーメン 


【1963 昭和38
髄園別館新宿本店  新宿御苑前
 ※十八番 浅草
新京 東長崎
香妃園 六本木
1963 昭和38ごろ 来集軒 小村井

【1964 昭和39

※中華三原 東銀座
眠亭 下北沢
中華料理 タカノ 新高円寺
※支那麺はしご(橋悟)銀座本店 有楽町
新華楼 柴又 *開業は新橋
※山久 上野

上野・山久の広東麺)
     
【1965 昭和40】
※ラーメン北斗 新橋 
※こばやし 不動前
交通飯店 有楽町交通会館地下1階
※来来来(みらい) 押上 2019年2月閉店
※五十番 新小岩
紅菜館 人形町
東生園 銀座六
多来福 練馬
華都飯店(シャトーハンテン )  神谷町
1965 昭和40ごろ 中華料理 ひかり 淡路町

【1966 昭和41】
光陽楼 荻窪
美華飯店 西大井
井上 築地 *2017年8月3日、火災により焼失。2020年2月現在、再開の見通し立たず。
平和軒 大崎広小路
手もみらーめん十八番 荻窪
※さぶちゃん 神保町 *2017年11月閉店
※伊狭 神保町
丸鶴 大山
天龍 亀戸

【1967 昭和42】
一品楼 小岩駅南口 *令和元年7月31日閉店
札幌ラーメンしれとこ 新小岩
※実用洋食七福 江東区白河
※谷ラーメン 有楽町
※中華シブヤ 宝町
新雅 江戸川橋 *創業は川口で、1972年に現在地へ。

【1968 昭和43】
ラーメン二郎 三田
※江戸豊  浅草

三益 荻窪    2018年7月閉店
梅林 五反田
幸楽 新御徒町
萬龍軒 荻窪
天宝 渋谷
台湾料理 青葉 歌舞伎町
中華料理 一力  日暮里
1968 昭和43  ※【浅草・来々軒継承店】中国料理進来軒  稲毛

【1969 昭和44】 
あづま 高円寺
宗楽  中目黒
支那そば大陸 赤羽岩淵
1969 昭和44より以前  ※大吉飯店 十条

【1970 昭和45】
丸長 阿佐ヶ谷店 阿佐ヶ谷
羽衣 銀座本店 東銀座
1970 昭和45ごろ 再来軒 三ノ輪

【1971 昭和46】
ふーみん 表参道
李晃 錦糸町
寿楽 中野
長崎飯店 高田馬場店 高田馬場

【1972 昭和47】
えぞ松本店 飯田橋
※新雅  江戸川橋
開運中華 慶修 ときわ台
1972 昭和47ごろ ※北京飯店 京成江戸川

【1973 昭和48】
※八京  新橋
※支那そば勝丸 目黒
あづま 浅草 休業中
※一寸亭 日暮里

【1974 昭和49】
※弁慶 浅草本店  浅草
※中華徳大 荻窪
※手打ちらーめん満月 赤羽
古典札幌柳麺 芳蘭  日比谷
萬来園 大井町
来華 押上

【1975 昭和50】
 ※ターキー   雑司ヶ谷 *2020年9月19日閉店
 ※三吉 新橋  
りんりん 北千住・日光街道沿い



参考書籍等:発行順、★=単行本 ☆=MOOK本、雑誌 
★「トーキョーノスタルジックラーメン」山路力哉・幹書房(2008年6月刊)
★「日本ラーメン秘史」大崎裕史・日本経済出版社(2011年10月刊)
★「町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう」町中華探検隊・立東舎(2016年8月刊)
☆「町の中華」BRUTUS833号・マガジンハウス(2016年10月刊)
★「東京ノスタルジック町中華」タツミMOOK・辰巳出版(2016年11月刊)
☆「みんなの町中華」散歩の達人 2018年1月号・交通新聞社(2017年12月刊)
☆「絶品!町中華 首都圏版」ぴあMOOK・ぴあ株式会社(2018年12月刊)
☆「定食マニア」散歩の達人 2019年2月号(2019年1月刊)
★「町中華探検隊がゆく!」町中華探検隊・交通新聞社(2019年2月刊)
☆「塩・醤油 しみるラーメン」おとなの週末2019年2月号・講談社ビーシー(2019年2月刊)
☆「昭和の東京を歩く」散歩の達人 2019年7月号(2019年6月刊)
☆「絶品!横浜の町中華」ぴあMOOK・ぴあ株式会社(2019年9月刊)
☆「荻窪・西荻窪」散歩の達人 2019年11月号(2019年10月刊)

辨麺(バンメン)とはこれだ!?

2019年12月30日 | ラーメン
横浜を中心とした老舗中華料理店に存在する謎メニュー
「辨麺(バンメン)」。一挙紹介‼

※リンク先は原則ラーメンデータベース。写真はすべて管理人撮影
※2017年12月29日UP。2020年1月閉店情報などを追記


 辨麺ってなんだ? ベンメン ではない。「バンメン」と読む。
 一言で言えば「うま煮そば」あるいは「野菜餡かけ麺」、「広東麺」。断っておくが、汁なし系(まぜそば)の「坢麺」とは全く別物である。
 広東麺などと呼べばいいのだが、なぜか「辨麺」というメニューで提供する店が横浜を中心とした老舗の店にある。というより、老舗の店にしかないのだ。
 以下、記述時点で提供している店(2017年12月29日。価格も)を紹介していこう。

 実は、辨麺提供店、横浜の山手・本牧地区に結構集中している。
 
 まずは奇珍楼。大正7年創業。実に平成29年現在で100年という、相当な歴史を持つ店。「バンメン」は800円。この店の特徴は、全体的に甘い味。他の品も含めて何度かいただいたが、正直、甘すぎるきらいはある。甘い物は貴重な時代の名残という人もいるが、お店の人のインタビュー記事でも正確には分からない。

(横浜・奇珍楼のバンメン)

奇珍楼より少し山手駅寄りにあるのが三渓楼。創業は昭和7年、バンメンは750円也。
 
 本牧通りを本牧方面に進んで、少し脇にあるのが華香亭本店。創業はなんと明治41年である。バンメンは850円。時が止まったような店で、毎年10月から11月にかけて長期の休業に入る。そして、この店にはちゃんと広東麺もある。そうした店はいくつかだがあるので、「広東麺=辨麺」ではないのだ。ここらあたりがややこしい。
 
 (横浜・華香亭の店内)
 
 さらに本牧方面に進んだところに玉家がある。日中友好食処、と掲示されていたのが面白い。創業は大正13年。此処では「辨麺」で900円と少しだけお高い。

 (横浜・玉屋の看板)
 
 埠頭近くに「マリンハイツ」という小さな団地がある。1階にいくつか中華料理の店がテナントで入っていて、そこに 榮濱樓 がある。創業は、おそらく団地が建設された昭和50年代だろう。結構な「場末」感で、辨麺目当てだから行ったが、そうでなければ、という感じの店。此処には咖喱辨麺という、おそらく世界にここしかないであろうメニューがある。結構、辛い。

 

 次は坂を下りて、弘明寺方面へ向かう。
 弘明寺商店街の中ほど、一際レトロな中華店が目につく。「レトロの店で中華なんたら」と古い建物を逆手に取って店頭でアピールしているのが廣州亭。若い女性などはちょっと引いてしまうような店構えだ。バンメンは600円也。
 
 伊勢佐木町には、「生碼麺」発祥の店と一部で言われている玉泉亭がある。創業は大正7年。生碼麺発祥に関しては、中華街の聘珍樓であるとか、先に触れた奇珍楼という説もあるが、今となっては分からないし、謎のままでいいのかとも思う。脇にそれたが、玉泉亭のバンメンは860円。この店では「ウリ」の一つで「おすすめ」メニューになっている。玉子焼きが乗っているのが特徴。ちなみにここでも広東麺併売だ。


 (横浜伊勢佐木町・玉泉亭本店のメニュー)
 
 もう一店。伊勢佐木長者町駅と阪東橋駅の中間あたりを南下したあたり、これまたレトロな外観のコトブキ亭がある。創業はおそらく昭和30年代半ば。此処のバンメンは700円。この店は「五目うま煮そば」を併売。おかみさんにバンメンの由来を尋ねたが「わかりません」とのことだった。小さく古いお店だが、家庭的な店で居心地が良かった。
 
 野毛地区には中華料理 萬福がある。此処は「ばんめん」で600円。創業は昭和43年。此処も小さい店だ。実はボクが「バンメン」を初めて喰った店が此処。以来、嵌ったというか、興味を持ったわけだ。
 
 日本最大の中華街、横浜中華街。あれだけの店があっても辨麺を現在提供している店はほぼ存在しない。現時点で確認できたのは二店だけ。關帝廟通りにある清風楼である。創業は昭和20年の、さほど大きくない店である。此処では「辨麺」で1,150円。汁がかなり少ないタイプ。ちなみに、写真を撮ろうとしたら「ご遠慮ください」とのこと。過去にトラブルがあったとのことだった。
 
 その清風楼の向かって右にある店が 広東料理 聚英。此処は以前「坢麺」と称していた「蟹肉辨麺」がある。「蟹肉のあえそば」と併記されている。坢麺にしては汁が多いし、辨麺だとしたら汁が少なすぎる。微妙な一杯ではあるが、優しい味でボクは気に入った。なお、この店は2001年創業である。
 
 京浜急行線の戸部駅近くにあるのは迎賓楼。創業は昭和20年代前半から30年代初めにかけて。おかみさんに確認したがよく分からないと仰る。この店は「三鮮弁麺」、750円。三鮮、とは「肉、魚介、野菜」の中国料理を指す。此処、やたらネギが多くて、餡がほぼなくて、他の辨麺とはまた違う。この品を頼む客はほとんどいないとのことだった。
 
 東急東横線反町駅近くには神奈川翠香園がある。中華街の、創業が大正末期とされる(ただし中華菓子店として)同名店の親戚筋(翠香園。こちらには辨麺はない)で、店自体は昭和27年に開業したそうだ。此処の「バンメン(850円)」はスープが少ないタイプ。玉泉亭同様、おススメニューに挙げられている。
 
 大口駅あるいは京急子安駅から徒歩圏にあるのは宝明楼 大口店。残念ながら、此処はまだ行ったことがない。創業時期も情報がなく分からない。此処は「弁麺」で650円。

(横浜・伊勢佐木町 コトブキ亭のバンメン

 此処まででわずか14店。

 かつて、聘珍樓でも提供していたというし、中華街から少し離れたJR根岸線石川町駅近くの旭酒楼(創業明治43年)では「賄い」としてあった、との記録もある。ただ、旭酒楼の店の人に聞いたが「そんな話は知らない」と一蹴されてしまった。
 
 このほか、野毛の會星楼(2019年閉店)。今では「うま煮ソバ」になってしまったが、かつての名称は辨麺だったという。確かに実食すれば、うま煮ソバと辨麺の違いはまったく分からない。

 (横浜 野毛の 會星楼 ウマ煮そば
 
 さらに京急南太田駅を降りて坂をずいぶん登った場所にある小さい店、末廣。2011年まではメニューに「バンメン」があったそうだ。ボクは仕方なくタンメンを喰った。

 (横浜 南太田・末廣)


 都内でも数少ないがあるにはある。


 例えば、日本橋横山町にある「大勝軒」。大正13年の創業で、店構えは何とも風格がある。此処は「バン麺」。ただし、あまり出ない様で、ボクが「バンメンください」と言ったら怪訝な顔をされた。この店は、いわゆる「日本橋大勝軒」と呼べれる系譜の店で、この系統の店にいくつか「辨麺」を出す(出していた)店がある。

(日本橋横山町・大勝軒のバンメン
 
 三越前の「中華料理 大勝軒」(1933=昭和8年創業)。詳しくはここを読んでほしい。メニューには記載がないが、「うま煮そば」を注文したら、お店の人が「バンメン」と言った。経緯を聞いたが要領を得なかったが。※2019年4月、残念ながら閉店してしまった・・・

 また、小伝馬町(日本橋本町)日本橋大勝軒はかつての「日本橋よし町」の復活で、2017年3月に開業した(現在は屋号変更して『HALE WILLOWS』)此処もまた人形町大勝軒の流れを汲む店で、正統派の「辨麺」を出す店だ。
(そのほかの地区 は近日UP予定)