拉麺歴史発掘館

淺草・來々軒の本当の姿、各地ご当地ラーメン誕生の別解釈等、あまり今まで触れられなかっらラーメンの歴史を発掘しています。

辨麺 ~謎の愛すべき拉麺遺産 Ⅲ

2022年12月04日 | 老舗の中華料理
萬来軒
 人形町大勝軒系とは別に、都内と千葉に存在する「萬来軒(ばんらいけん)」という店舗群の一部に“バンメン“を提供している、あるいは提供していたという事実がある。

 結論を書いてしまうと、この萬来軒系の「バンメン」は、横浜系すなわち辨麺の大元となる系統とはまったく異なる成立過程を持っている可能性があることが確かめられた。横浜の老舗店でなどで提供されている「辨麺」とはまったく別物の可能性があるということである。此処ではとりあえず便宜的に「萬来軒系」と呼ぶ。

 しかし、である。まったく別物の可能性はあるのだけれど、辨麺という料理はまったく謎が多く、辨麺≒五目うま煮そば・五目餡かけそば、という関係は、やっぱり萬来軒系のバンメンにも当てはまるのだ。結果として「成り立ちは異なるかも知れないが、内容はほぼ同じ」ということになる。これは単なる偶然か、それとも何か理由があるのだろうか?

 「萬来軒系と横浜系と何が違う」のか? 先ほど書いたように成立した過程が横浜系と関連がないけれど、結果的に出来上がった麺料理は、五目うま煮そば、あるいは五目餡かけそばと謳っても何ら違和感はない。ボクは「成立過程中に起きた、理由の後付け」とすることが自然だろうと考えている。その根拠はもちろんないのだけれど、その理由などを書いておく。

 その前に、まずは萬来軒の系譜をたどってみよう。
 そもそも萬来軒という中華料理店はどこが発祥なのか、ということを書く気はさらさらない。「万来(萬来)」、は「千客万来」という四字熟語があるように「多数の人(客)が来ること」を意味するから、どんな業種の商店が名乗っても違和感はない。

 これは以前調べたことがあって、今回は改めて調べなおして書いているのだが、少なくとも都内あるいは近隣県の“萬来軒”という屋号の中華料理店・ラーメン店には、成立と発展別にまとめると四つの系統あることが分かった。すなわち、
1.1924(大正13)年、幡ヶ谷にて創業した「萬来軒」(創業者・下山    氏)。1945(昭和20年、空襲にて焼失したため、二号店であった下記「2.萬来軒」が総本店となった。1955(昭和30)年に二代目が上落合にて「萬来軒」を復活させる。1970(昭和45)年、府中に移転。2018年5月、筆者実食。辨麺はない。

2. 1933(昭和8)年、代田橋にて「萬来軒」二号店開業(店主・福原氏)。のち、「萬来軒総本店」となる。系列店はいっとき40店舗まで増えた。2018年8月、筆者実食するも翌2019年1月、廃業。実食当時、辨麺はなかった。なお、静岡県沼津市に1946(昭和21)年創業の「萬来軒総本店 沼津店」という店が存在していた。2019年には廃業している。沼津市内に萬来軒の屋号を掲げる店がほかに複数確認できるため、沼津市内の“萬来軒の本店”という位置付けと思われ、代田橋・萬来軒総本店の「沼津支店」的ではなかろう。ただ、萬来軒総本店沼津店にはユニークな品名が品書きにあったことを書いておく。
   この店、品書きの左に「品名」を、右側にその説明、を書いてある。たとえば
“47 什景麺 五目めん”
“48 肉絲麺 豚肉細切りの炒め入りそば”
こんな感じ。で、54番目は・・・
“54 広東麺 サンマーメン”。
「広東麺が生碼麺とイコール」というのは、まあ分からなくはないが、他店で見つけたことは一度もない。

3.  1931(昭和6)年創業、半蔵門「萬来軒」。現在も創業地で営業中。2022年9月、筆者実食。辨麺、なし。なお、最寄りの地下鉄駅地下通路に「間もなく創業百年」という案内板を掲示しているが、創業年次は店舗にて筆者が確認している。

4. “暖簾会”的な「萬来軒」店舗群。この店舗群は下表4のグループを形成し、表中の店舗群の一部にバンメンは存在する。表は、「いたのーじさん」(以下「いたさん」)が下表3のNo.3、萬来軒奥戸店(正式店舗名称ではないが、便宜上そう呼ぶ。以下、萬来軒他店も同様表現を用いる。なお、奥戸、とあるが、実際の所在地は隣接する江戸川区西小岩2丁目である)を2022年9月に訪問時、店内で見かけた寄贈鏡に書かれた店舗(店舗所在地)10店をまとめたものがベースとなっている。詳しくは「いたさん」のRDBのレヴューで。

 ボクはまず、寄贈鏡に記載のあった10店について調べてみることとした。なお、表3には12店の記載があるが「いたさん」が見た寄贈鏡にはあくまで10店の記載、である。下欄2段の2店舗については後述する。

 なお、この段階で分かっていることであるが、萬来軒都合四系統のうち、この系統の店舗群のみ、バンメンがあった(ある)ということ。表3のNo.10までの10店舗中、現在も営業中の店はわずか3店のみだが、うち都内の2店は、表記はともあれバンメンを提供している。また、すでに廃業した新小岩店でも提供していたのは確認できている。

 「いたさん」が奥戸店を訪問しているので、ボクは水元の店に向かって確認することとしたのだが、その前に。いたさんが見かけた寄贈鏡がいつ頃製作されたものか、について記す。

 表3のNo.9に「小岩四丁目」という記載がある。これは江戸川区の北部に位置する小岩地区の、住居表示実施前のものであって、現在「小岩四丁目」という地名はない。ボクは地元在住であるから、子どものころに住居表示なるものが実施され、「住所が変わった」記憶がある。

 当該地域に住居表示が実施されたのは、今から50年以上も遡る1966(昭和41)年の3月と9月である。それからして、鏡寄贈はそれより前と分かる。もう50年以上も前のこと、つまり現在も営業中の店は、辨麺提供店に相応しい長い営業歴があるといえよう。ちなみに表No.7の「上平井」も、同1966年に葛飾区で住居表示が実施されたときに消滅した地名(上平井、とあっても江戸川区ではなく葛飾区の地名)である。

 もう一つ。この“暖簾会”的な店舗群だが、暖簾分けを重ねて店舗を増やしていった、いわゆる暖簾会ではない。所在地を見ると10店中、江戸川区内が4・葛飾区内が5と、東京の東部2区に集中しており、千葉の柏の店だけが少し離れている。

 これには理由があって、そしてそれはこの店舗群の成り立ちをも表している。この萬来軒はみな、「ある場所で営業していた中華料理店(仮にB店とする)において、ある特定の時期に働いていた従業員が、その後独立して開いた店のグループの会」なのだ。そして、さらに遡ってそのB店の元となった店もまた現存している。ただし、屋号は萬来軒ではない。これは後でも出てくる話なので、ちょっと記憶に留めておいて欲しい。

 それでは、萬来軒のバンメンとはどんなものなのか? ボクは尋ねた水元店でかなり驚かされる話を聞くことになった。それは、次項で詳しく書くことにする。
 
表3 都内及び千葉県に存在する(した)萬来軒(寄贈鏡掲載10店+2店)
No.
店 名
所 在 地
現在営業
辨麺
備考(バンメンの品書き表記)
1
    柏
柏市永楽台2
×

2
亀 有
該当店不明
3
奥 戸
江戸川区西小岩2
(バンメン)
4
篠 崎
該当店不明
5
細 田
葛飾区細田1
×
G/M※[1]で見る限り廃業
6
水 元
葛飾区水元3
昭和38年創業。(萬メン)
7
上平井
※[2] 該当店不明
8
新小岩
葛飾区東新小岩5
×
廃業している
9
小岩四丁目
※[3] 該当店不明
10
小 岩
江戸川区南小岩4
2018年に廃業している
以下、寄贈鏡には記されていない店
11
※流 山
流山市美原4
創業40年超。(バンメン)
12
国府台
市川市国府台1
創業50年超。(万来バンメン)














  
[11 ※流山] については 注9参照)




■萬来軒系は六軒島系で、バンメンはやはり謎麺
 表題(中見出し)、おそらく「意味が分からない」とお叱りを受けるだろう。ボクもこういう展開は全く予想していなかった。結論から書けば、萬来軒系の「バンメン」は横浜系の「辨麺」とは別物である可能性が浮上してきたわけだ。ただし内容は五目餡掛けそば以外に呼びようがないし、また汁なしの料理ではないから「拌麺」でもない。文字で書くなら、表3 No.6にあるとおりの「萬メン」で、同No.12の「“万”来バンメン」なのである。つまりシンプルな話で、萬来軒だから屋号の頭文字「萬、万」を取って、付けた、ということに過ぎない。実はこの話、同じような話であるのだが、表3 No.11の流山の萬来軒(注9)にて、ボクは2022年夏にそこのオカミさんから聞いていた。

 ただし、「いたさん」が奥戸店を訪ねた際のオカミさんとの会話では、
 『「会計時には「ばんらいけんだからばんめんって言うのですか?」とおかみさんに質問してみる。
 はにかみながら「そうじゃないんですけど、バンメンって名前はわからないんですよね」』
 と否定して見せている。これはどちらが正しいとか記憶違いとかいうようなことではなく、”伝えた側と、伝えられた側”の”受け取り方の相違”であるとボクは考えている。つまりは、「萬来軒だから、ウリは”萬メン”」という単純な命名ではないということだ。それはこの先、明らかになる。

 それでは「寄贈鏡に記載がない流山の店は、水元の萬来軒と関係があるのか?」と問われるだろう。そう、関係は、ある。ついでに書けば、小岩と江戸川を挟んで対岸、千葉の国府台にも萬来軒(表3 No.12。注10)があって、そちらも同じグループに属する。「いたさん」が奥戸店に飾ってあった鏡に書かれた10店に加え、流山と国府台の萬来軒も同一のグループだった、ということである。ほかにもいろいろな疑問があるから、一つずつ解説していく。

 まず、「いたさん」が見た寄贈鏡に流山店と国府台店が記載されていない点。これは単純な話で、鏡が作られた時期にはこの2店舗はまだ存在していなかったからに過ぎない。ボクは国府台の店には2017年1月に、流山の店には2022年9月に出かけてバンメンをいただいている。店のオカミさんに聞いた話では、流山店が営業歴40年超なので1980(昭和55)年前後の創業、国府台店が営業歴55年程度だから1970(昭和45)年前後の創業。寄贈鏡の製作年次は1966(昭和41)以前であることが分かっているから、鏡製作時には2店とも存在していない。店名(所在地名)を入れようがないということだ。

 次に、さらに遡って「この萬来軒の店舗群のルーツはどこの、なんという店」について。その店のことを、少し前に「仮にB店」とする、と書いたわけだが、この項の中見出しにある「六軒島(ろっけんじま)」というのは地名であって、その六軒島にかつて存在した萬来軒という店がそのルーツ、なのである。その店を以下「六軒島萬来軒(系)」と書く。萬来軒系はほかにもあるが、バンメン提供はこの「六軒島系」だけだからだ。


(左:六軒島交差点。右手奥がJR小岩駅、左手手前を進むと葛飾区奥戸。
右:奥戸街道西小岩2・3丁目付近。左手手前の赤い看板が萬来軒奥戸店)

 「いたさん」が萬来軒奥戸店で見た鏡、そこに記されてあった萬来軒10軒は、現在の江戸川区西小岩の「六軒島」という場所に、かつて存在した萬来軒が元になっている。実は、その六軒島という場所は、「いたさん」が訪問した萬来軒奥戸店のほど近くである。具体的に書くと、千葉街道の江戸川に架かる橋・市川橋を東京方面に向かって渡り直進、蔵前橋通りに入りさらに進み、JR小岩駅の入り口前を過ぎるとすぐ、四つ木方面に向かう奥戸街道と分岐する交差点(三叉路)がある。

 その先あたりを俯瞰してみると、蔵前橋通りと奥戸街道、さらには西小岩と鹿本(しかもと)方面を結ぶ区道“鹿本通り”の三本の道路に挟まれた“島”のような形状になっているのが見て取れる。Google Mapで「六軒島」と入力し見てみるとよく分かる。で、ここらを「六軒島」と呼ぶのだ。「いたさん」が訪問した萬来軒奥戸店は、そのまま蔵前橋通りを右に入り、奥戸街道を直進した、すこし先の左側にあるのだ。また、萬来軒水元店ご主人によれば「六軒島より小岩方面に向かった蔵前橋通り沿いにも萬来軒があった(B店ではない)」そうなので、おそらくは表3のNo.9「小岩四丁目店」ではないかとボクは考えている。
 
 さて、ろっけんじま、である。少々変わった地名だ。ボクは小岩が地元、愛着もあるから謂れについて、簡単に書いておこう。
『(今のJR総武線)小岩駅が開業する前年の1898(明治31)年9月、台風の影響により利根川をはじめ幾つかの河川が増水・氾濫し、小岩村辺り一面は水の海となった。この水害の模様を総武本線の車窓から見ると、六軒の家々が浮かぶ島のように見えた事から、この地域に「六軒の島」・「六軒島」と言う俗称が生まれるようになった)』(西小岩六軒島町会HPより。注11)。

 小岩に限ったことではないが、江戸川区はゼロメートル地帯に代表されるように、とにかく水害の多いところであったから、いかにも「らしい」話ではある。ともあれ、昭和30年代、おそらくは昭和20年代からだろうけれど、30年代後半にかけて、「六軒島萬来軒=B店」では多くの若者が働いていた。もちろん、のち独立した萬来軒の各店舗の主(あるじ)となる人全部が同じ時期に勤務していたということではないだろう。数人ずつ、何年かに分かれて勤務し、独立を果たした主たちが一人、また一人と加わってグループを作った、ということである。

 ・・・ボクの悪い癖。話が、飛ぶ。2022年(令和四年)、秋。ちょっとお付き合いを願いたい。葛飾区水元にある町中華・萬来軒。そこでの小さな小さなおはなし。


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注9 流山萬来軒⇒流山市美原4-1195-13。最寄り駅は東武野田線「江戸川台」駅で徒歩7~8分。創業は「40年超」とのこと=オカミサン談。ボクのRDBレヴューは
https://ramendb.supleks.jp/review/1553548.html
注10 国府台萬来軒=市川市国府台1-4-6。最寄り駅は京成線「江戸川駅」で徒歩10分。創業は「50年超」とのこと=オカミサン談。ボクのRDBレヴューはhttps://ramendb.supleks.jp/review/1041182.html
注11 六軒島の地名の由来⇒西小岩六軒島町会の公式サイト、https://www.chokai.info/nishikoiwarokken/029092.php


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1 コメント

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Unknown (arachan777z)
2022-12-06 10:02:00
こっちのバンメンは六軒島店に関わった方が考えたんですね。
でも、やっぱり中国からのバンメンが頭にあったのですかね。
次の項もまた気になります。
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