前回の
どうする家康
では
太閤、くたばる
というタイトルで秀吉が亡くなるまでが描かれていました。
太閤は1598年、61歳で亡くなりました。この時、家康は 55歳。
どうして年齢のことを書くのかというと、武田信玄が早々と表舞台から消えてしまった時、戦国時代を生き抜くには、年齢、というのも重要ではなかったのか、と思ったのです。
有名武将に生年は大体、下の通り。
武田信玄 1521年
織田信長 1534年
豊臣秀吉 1537年
徳川家康 1543年
こうやってみると、武田信玄は家康のお父さん(当時ではおじいさん❓)ぐらいに年齢が開いています。そして信玄は上洛途上で病気で亡くなってしまいます。この時、51歳。
関ヶ原までに20年以上もある時に、どうする家康で、信玄が「天下統一」とか言っていても、年齢的にムリなんじゃないの❓と思ってドラマを見ていました。
信長は年齢と関係なく亡くなってしまいましたが、家康よりは10年も年長。家康にとっては、一番上のお兄さん、という感じだったでしょう。
このように、有名な戦国武将の中では一番若かった徳川家康。
この時代、そんなに歳をとっていなかった、ということが、家康が天下を取ることができた一つの要因とも思えます。
若いと、まだまだ体も気力も衰えていないし、脳出血など高齢者が発症しやすい病気にもならなかったでしょう。
もしも、この4人が順調に長生きして1600年を迎えたら、どうなっていたでしょうね。
信玄 79歳
信長 66歳
秀吉 68歳
家康 57歳
こうだったらどうだったのかは全然わかりませんが、信玄、79歳まで生きられたのだろうか❓それで、この年齢で関ヶ原で戦えただろうか❓
第一、信長が生きていたら、関ヶ原はなかったかもしれません、けどね。
しかし、歴史を振り返ると、「年齢」ということを考えたら、一番後に生まれた若い家康に運があったかもしれない、と思っています。
ちなみに、家康は73歳で亡くなりました。当時としてはかなりの長寿ですね。健康だったのですね。
追加)
当時の人は、敵のトップの年齢とか健康状態をどう捉えていたのだろうか。