前回の私のブログでは、本能寺の変の描き方について興奮したように書いてしまいましたが、元々今回の大河は学園ドラマのように思ってしまっています。
どうして、立っているの❓殿を前にして。
戦国時代といえども、ほぼ学生同士のノリ。
ですから、時々❓と思ってしまう場面があります。
今回も家来たちが自分の上司である家康に、本当は何を考えているのか問いただすところ。
あの時代、と言っても私自身が実際見たことはないのでわからないのですが、それでも、上司というか会社で言ったら社長に、ああいう物の言い方をするんだろうか、ということ。
そこが不思議に思ってしまった。
どうする家康:なぜ、信長を「討つ」ではなく「殺す」 家康の強い決意の表れか、それとも?#大河ドラマ #どうする家康 #松本潤 #岡田准一 https://t.co/LfCt4xgHZG
— MANTANWEB (まんたんウェブ) (@mantanweb) July 13, 2023
どうして、立っているの❓殿を前にして。
そういう場面を見ると、ホント、❓ と思ってしまいます。
こういうのってアリなのか、と。
まるで、親しい仲間の中で交わしている会話のように思える。あるいは、最近の学園ドラマのような感じ。教師にも友達同士のように接したりする、学園ドラマ。それで、みんな頑張ろう、とか。
でも、そんな学園ドラマでも、もうちょっと敬語を使ったり、言い方に遠慮があるように思える。が、今回の家康では、上司であろうが友達同士のようなノリ。
それで、お仕えしています、と言われてもなんか実感が沸かない。友達同士なんだから。
言葉遣いだけではなく、その態度も、どうも、君主に仕えているようには見えないのです。仲間内で接しているような印象。
君主だったら、もうちょっとへりくだった態度をしませんかねえ。ずっと頭を下げているとか、座っているとか、、。
それに、着物のことをよく知っている人から見たら、和装での所作が全くなっていない、ということだそうです。そのあたりのことは、私はよくわからないのですが、、。
さらに、瀬名の考えていたことなんて、ほぼ現代風で、あの時代にああいう事を考えていた、なんてことはちょっと眉唾物、に思えます。現代の考え方を無理やりあの時代に当てはめたような感じ。それで、いろんな人を築山に呼び寄せていた、って危険じゃなかったのでしょうかね。それに瀬名の考え方にみんな賛同したなんて。
あの勝頼が、一度は瀬名の考えに賛同した、って、ちょっと信じられませんでした。第一、あの時代にあの考え方の方が、怖がられませんかねえ。あまりにも違いすぎるから。
ついでに、商人が鼓たたいたり、家康の側室が笛を吹いたり、人材不足❓
でもあれがああなってこうなった、というストーリーの展開は見事❗️と思いましたが。
脚本の吉沢さん、歴史は何が本当かわからない、と思っていらっしゃるようで、それは私も同じですが、そういうことからストーリーを膨らませたようです。
でも、今回の光秀はなぜあの人❓なのでしょうか。演じている役者さんが悪いのではなく、和歌に親しんで京都とも縁が深いようには見えないから。ガサツなおじさん、ぐらいにしか見えません。
どうする家康の明智光秀、明智光秀というより、へうげものの古田織部じゃない? pic.twitter.com/arSOe3bPWN
— がぶ (@gaburi45cc) July 9, 2023
あの、長谷川博己さんが、、、。なんちゃって。
だって、肖像画はこれですよ❗️
とても役者さんとのイメージが離れすぎています。
が、この配役が今後どう生かされるのか、それも楽しみかも。
タイトルからして
どうする家康
なんだから、従来の「時代劇」とは別物と考えた方がいいのかもしれません。
さて、これからのドラマはどうなるのでしょうか❓
でも、このドラマ、家康が死ぬまでやるようですが、時間が足りるのでしょうか❓