LOVE - GOLDEN APPLE

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高嶺の花 結局見てしまいましたが、最終回は急ぎすぎのような感じ。このドラマの中の華道って何だったんだろう。

2018-09-13 16:28:16 | ドラマ
石原さとみ主演の高嶺の花
結局最終回まで見てしまいましたが、放映日がいつなのか覚えていたわけではありません。昨晩もたまたまテレビ番組表を見ていたら、「高嶺の花」とあったので、えっ、まだやっていたの、という言葉が頭に浮かびました。そういえば、今日で最終回❓なんてこともようやく頭に浮かんだくらいなので、一体今後の展開はどうなるのか、ハラハラドキドキで見ていたわけではありませんが、ドラマの設定が面白かったので、時間があればテレビで、そうでなければTVerやネット配信で見ていました。

それに、時々出てくる、十朱幸代さんの存在ってなんなんだ、ということも考えるのが面白かったです。
結局、風間直人ってマザコン❓という設定なのでしょうか❓と言うよりは、母親は女性がどういうものが教えてくれていた、先生のような存在だったのでしょうか❓で、この風間くんって今まで女性経験がなかったの❓
、、、なんていろいろ考えてしまいました。

片や下町の自転車屋の跡取りで、もう一方は華道の世界で生きている女性という組み合わせで、環境的には月とスッポンのように描かれていましたが、セザンヌの絵とか、女性とはこんな生き物と教えてくれていた母親を慕っていた息子という設定とか、素直になれない女性とか、二人とも中に持っているものは同じようなものを持っていたのでは、と思わせるような描き方だったと思います。

そして、どんな最終回を迎えるのか、と思ったら、若干期待はずれ。
というのも、これで終わらせなければいけないから、ということでとっても急いでというか、辻褄を合わせるような脚本で作ったような印象を受けます。

最近のテレビドラマって、どうしてどのテレビ局も同じような時期に始まって同じような時期に終わるようにドラマを制作しているのでしょうか❓昔はこうじゃなかったと思いますが。。だからどれも中途半端。
今回のこの「高音の花」も、あと1,2話くらいあってもよかったと思います。

というのも、今までは「もう一人の自分」とか言っていたのに、最終回では突然「私はお花」というフレーズが出現し、そしてさらに突然、ももが「私はお花」ふうに花を生けて、別流派を作ると言いだすなんて、「私はお花」という生け方をどういうふうに編み出していったのか、という過程がすっぽり抜けてしまっています。生み出す苦しみがさっぱりありませんでした。
ただ、ニコニコ笑いながら、「私はお花」といいながらお花を生けるのが新しい流派ですか?
それって華道ではなく、フラワーアレンジメント、ですか❓

最終回に来て、このドラマが意味するところの華道って何❓なのか。結局、普通のテレビドラマだったのか、とちょっとどっちらけ。
「私はお花」という言葉を聞いてから、どのようにももは自分の華道を確立していったのか、その辺りを後1,2回くらいで描いて欲しかったですね。風間くんと絡めて。

風間くんとも簡単にくっついちゃって。。。ほとんど、ひねりがありませんでした。

最終回、なんかもものあの笑顔がザァーとらしい、雰囲気すら感じました。
私としては不完全燃焼、かな。

が一番最後のお花は華やかでしたが。。生花は草月流だそうです。ドラマで最後にももが生けたお花は、草月流の「形にとらわれず、自由・斬新」を表しているのかなあ、なんて見ていました。



ドラマの家元は池坊ですか❓
そういうところのお花から、自由・斬新にももはどうやってたどり着けたのか、そのあたりがうやむやで華道を取り扱ったお話としては中途半端な感じがしました。

が、ももが華やかに生けたお花よりも、あの一輪挿しに生けてあったゆりの花一本が、このドラマの中では一番素晴らしい生花だった、と思います。